コミュニティトップへ
高峰心霊学研究所トップへ 最新レポート クリエーター別で見る 商品別一覧 ゲームノベル・ゲームコミックを見る 前のページへ

<東京怪談ノベル(シングル)>


鏡は時々嘘を吐く(4)
 ふわり、と茶色のロングヘヤーが揺れると同時にシャンプーの華やかな匂いが辺りへと香る。見張りをしていた教団員達を倒し、ビルの中へと足を踏み入れた瑞科は注意深く辺りの様子を伺いながら疾駆していた。編上げのロングブーツが床を叩く小気味の良い音、そして彼女の魅惑的な唇からこぼれる静かな呼吸音だけが廊下には響いている。
 不意に、割って入ってきたのは異形の笑声だ。いやに暗い廊下の向こうで、爛々と輝く幾つもの瞳がこちらを見やっていた。
「あらあら、お出迎え感謝いたしますわ。わざわざ探す手間も省けますもの」
 この邪教徒に関わる全ての者をせん滅するのが瑞科の任務だ。この悪魔達も例外ではない。一瞬の間の後、彼女は音もなく疾駆し悪魔との距離を一息で詰める。風よりも速くこちらに斬りかかってきた彼女の姿は、悪魔であろうとも目で追う事は出来ない。攻撃を避ける事は叶わず、悪魔は斬り伏せられる。
 ――まずは一体。そして、流れるような動きで彼女は自身の片足を軸に体の向きを変え、近くにいたもう一体へとその剣を振るう。悪魔の悲鳴が、再び女の形の良い耳の奥にある鼓膜を震わせた。
 反撃しようと、邪気に染まった魔術を放ってくる悪魔達。瑞科は瞬時にその豊満な身体を宙へと踊らせ、優雅にその攻撃を避けてみせた。
 華麗に着地した彼女は、瑞科の機敏な動きについていけず戸惑っている悪魔達に容赦なく電撃を放つ。強力な閃光が、数体の悪魔の身体を無へと誘った。
 勝ち目がないと悟ったのだろうか。悲鳴をあげ、悪魔達はついに逃げ出していく。
「させませんわよ!」
 けれど、それを瑞科がみすみす逃すはずもない。彼女は瞬時に、隠し持っていたナイフを逃げ惑う悪魔の背中に向かい投擲する。それはその内の一体へと突き刺さり、悪魔は黒い霧となり消えていった。
 ナイフを投げると同時に駆け出していた瑞科は、続いて最も近くにいた悪魔を蹴り飛ばす。彼女の長い足に蹴られた悪魔は、他の悪魔も巻き込み廊下へと倒れ伏していく。
 順調に悪魔を退治していった瑞科は、最後の一体へと斬りかかると、一度息を吐いた。
「これで、廊下にいた悪魔は最後のようですわね……」
 悪魔の気配は去った。けれど決して油断はせずに、瑞科は周囲の様子を伺う。どうやらここは、廊下の突き当たりのようだった。巨大な扉が、瑞科の眼前に佇んでいる。良からぬ空気が、ドアの隙間から微かに漏れ出ていた。
(ここに、いますわね。――奴が)
 意を決しその部屋に足を踏み入れた瞬間、瑞科のしなやかな体を撫でる空気が嫌なものへと変わったのを彼女は感じた。悪意を孕んだ淀んだ空気に思わず目を細め、彼女は冷静に現状を把握する。
「結界……」
 室内には、人の動きを制限する結界が張られていた。先程の悪魔達が逃げ始めたのは、ここまで瑞科を誘導する目的もあったのだろう。
 部屋の至るところに、割れた鏡の残骸が散らばっている。邪教徒を統べていた者は、恐らくここで支部と連絡をとっていたのだろう。
「ふふ。ようこそ、侵入者さん。まんまと罠にはまってくれたようで、嬉しいわ」
 部屋の状況を伺っていた瑞科の耳に、甲高い女の声が届く。見やると、美しい顔をした少女と目が合った。相手の瞳は不躾にこちらを値踏みするような、不穏な色を宿している。周囲は残骸だらけであり、教団員や配下の悪魔が何人も倒されたというのに、楽しげな笑みを浮かべているその様はあまりにも異質だった。彼女にとって、失った命になど大した価値はないのだろう。
 美しくもありながら、その質は無邪気であり、どこまでも残酷。人の心など理解出来ぬ、漆黒の修道服を身にまとった女悪魔がそこには立っていた。
「貴女が、サキュバスですわね」
 サキュバス。この邪教団のトップであり、今回の任務で最も優先すべきせん滅対象。
 その事を知っているはずなのに、女悪魔は嬉しそうに目を細める。何せ彼女は待っていたのだ。瑞科の事を。彼女という、自分の贄に相応しい優れた美女を。
 それ故にサキュバスは笑う。黒の修道女は、白の修道女を愛しげに眺めながら笑う。その笑声はどこまでも無邪気であり、獲物を見やるその瞳は残酷な狂気に染まってた。
 結界の強力さが女悪魔の実力を語り、ぴりぴりと瑞科の柔な肌を殺気がさす。しかし、瑞科は怯まずに凛と背を伸ばし相手の事を見つめ返していた。彼女もまた、相手と対峙する日を待っていたのだ。自身が結界に囚われているというのに、聖女は笑みを浮かべてみせる。強者と戦える事を歓喜する、美しく自信に満ち溢れた笑みを。
(久しぶりに、本気を出せそうですわ)