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<東京怪談ノベル(シングル)>


石姫の目覚め

 萌の要請を受けて、IO2は洋館にいた全ての少女たちと令嬢、そしてガーゴイルの石像であるイアルを保護した。
 野生化で正気を失っていた少女たちは他のエージェント達の手によって意識を正常に取り戻し、対象の記憶操作を受けた後に解放された。
 一方の令嬢は件の重要参考人として、コンクリートに覆われた冷たい部屋で軟禁状態であった。
 そしてイアルはと言えば――。
「おお……これは素晴らしいサンプルだ。暫く研究対象にさせてもらうよ」
 様々な件で押収された危険なマジックアイテム等を保管する倉庫の一画に、実験室が存在した。強固な結界が張られていて、明かり取りの窓すら無い。
 その中にいる、白衣を着た男がそう言った。日本支部に在籍するオカルティックサイエンティストの1人である。土気色の肌をした、いかにも陽の光を普段から浴びてないだろうと思わしき風貌をしている。
 どうやらイアルの石像そのもの、石の材質に深い興味があるらしく、どうやって切り出そうかと思案しているようであった。
 汚れて苔まで生えている石の塊であったが、彼はその苔すら採取してシャーレに入れて顕微鏡を覗きこんだりもしていた。
「……ちょっと、あの男……彼女を割るつもりじゃないでしょうね?」
 別室のマジックミラーから男の様子を見ていた令嬢が、そんな事を言った。
 彼女は今、件の詳細を聞き出されている最中で、自分に仕えていたメイドが復元したガーゴイルの石像、イアルの事を気にかけたのか、見るだけならとこの場に来ることを許可されたのだ。
「何か話したくなったかね」
 令嬢の背後に立つスーツ姿の男性が、静かにそう言った。
 聴取を行っている人物だろう。その傍らには萌もいる。
「!!」
 令嬢がミラーに手をやり、表情を強張らせた。
 視線の先では白衣の男が大きなハンマーを両手で持ち上げ、石像を割ろうとしている姿がある。
「やめさせて!」
 彼女は思わずそう叫んだ。
 だが、スーツの男は何も言わない。萌は少しの焦りを見せていたようだが、それでも何も言わずにいた。
「……っ、話すから! 私の知っていること全部!! だから、彼女を助けて!! あなた達は私と一緒に彼女も『保護』したんでしょう!?」
「なるほど、それもそうだ」
「……あの、私も同じ気持ちです。イアルは最初から保護対象であったはずですし、もう一年もまともな生活を送れてはいないんです。いい加減、解放してあげたい」
 令嬢と萌の言葉に、スーツの男は感心したような顔をして片腕を上げた。合図なのだろう、直後に白衣の男がハンマーを足元におろして悔しそうな表情を浮かべていた。
「これで彼女の身の安全は保証しよう。それ以降の権限は茂枝に任せる」
「はい、ありがとうございます」
「それでは、お嬢さんには元の部屋で改めてお話を伺うこととしよう」
 男は一通りを話してから、令嬢を導くようにしてその部屋の扉を開けた。彼女は俯いたままでそれに従い、数歩を歩く。出口まで近づいた所で、意を決したように顔を上げて振り向いた。
「ねぇ、彼女――イアルを今後どうするの?」
 萌に投げかけられた言葉だ。
 これ以上の会話などもう無いのだと思っていただけに、萌は素直に驚いているようだった。
「え、あ……まずは綺麗にしてあげるところからだけど……それから、元に姿に戻して休ませるよ」
「ふぅん、何でもできるのね此処って。じゃあもう少しだけ時間をちょうだい。私にも手伝わせてほしいの」
 令嬢の表情はしっかりとしたものであった。
 このIO2の施設に入るまでは不安そのもののそれであったのに、と萌は思う。
 本当であれば、彼女も哀しいはずだとその直後に心で呟いた。
 誰も信用できずに側に置いた少女たち、魔女のメイド。
 寂しさを埋めるための儚い者達。だがそれでも、束の間の幸せがそこには確かに存在した。

 ――お嬢様を、頼む。

 洋館で別れる形となったあのメイドは、今でも無事で居るのだろうか。
 ランクが上であるらしい魔女の存在がいる以上は、彼女も危ないのかもしれない。
 だが今は、その行く末を知ることは萌には出来ない。
 令嬢に手を振って彼女の申し出を受け入れた萌は、自分以外の気配がその場から完全に消えるのを待ち、その後はかくりと肩を落とした。
 エージェントとして、様々な案件を見てきた。その道を通ってきた。
 それでも萌はまだ14歳だ。その身に余る感情ももちろん存在するのだろう。
 額と頬にそっと手のひらを当て、深いため息を吐いた。
 数秒後、ゆるりと首を振って顔を上げる。
 それでもまだ、立ち止まる訳にはいかない。
 数歩進んでミラーに手を置く。その向こうにいるイアルの像を確認してから、ようやく萌も行動を開始した。

「全部話すと言っても、私が知ってることなんて、あんまり無いわよ」
 別室に移された令嬢が用意されていた木の椅子に座り、足を組んだ所で話を切り出した。
 部屋には先程の男と、筆記のための事務女がその場にいた。きっちりとスーツを着込んだ、真面目そうな顔をしている。
「……私は両親が死んでからあの洋館に追いやられた。隠し財産があったから暮らしには不自由していなかったわ。でも退屈だったの。だから魔女と契約した」
「契約とは?」
 男が話しを繋ぐ。
 令嬢はそれをチラリと見上げてから、再び唇を開いた。
「寂しくて、誰でも良いからこの環境を変えてって心で願ったら、突然魔女が現れたのよ。何にもない所から音もなく、ね。とても驚いたけど、それでも私は彼女の話を受け入れた。私の身の回りを世話してくれる存在を無償で寄越してくれる代わりに、私は魔女のコレクションを買った。黒衣の魔女……だったかしら、あの人とは大した話もしたこともないし顔はいつでも黒のベールで隠してるからどんな容姿だったかも知らないまま。でもやけに肌が白くて不思議なトーンの声と……濃い紫色の口紅。葡萄色とでも言うのかしら。それだけは強烈に残っているわ」
 令嬢の言葉全てを、筆記の女がひたすらに書き留めていく。黙々と行われる速記ぶりは素直に驚く光景でもあったが、令嬢はそこで足を組み直して一呼吸を置いた。
「君のことは哀れに思う。早々に解放してやりたいとは思うのだが、元の生活と言っても難しいだろう。例の心ない親戚や黒衣の魔女に狙われる可能性もまだ消えてはいないからな」
「……しばらく、ここに居させてもらってはダメかしら。居心地は良くないけど、それでもよく眠れるのよね……」
 眠る前、いつも温かいミルクを用意してくれていたあの優しきメイドは、もういない。
 一生、側に居てくれる訳ではないと分かってはいたが、それでも彼女だけにはもう少しだけ隣に立っていて欲しかった。
 そんな気持ちが込み上げてきて、視界がゆがむ。
 令嬢はそれを必死で隠し、俯いた。出来れば他人には見せたくはない。それが彼女なりの僅かなプライドなのだろう。
「君の申し出は考慮しよう。監視下で構わないのならIO2が所有するマンションもいくつかある。……話を戻すことになってすまないのだが、黒衣の魔女は1人で君の元へと現れていたのか?」
「そういえば……たまにピンク色の髪の魔女とか、とにかく奇抜な色のは数人見た気がするわ。みんなそれぞれ、黒衣の魔女を「お姉さま」って呼んでいたの。きっと彼女がボスみたいなものなんだわ」
「なるほど。……貴重な情報をありがとう。今日はこれまでとしよう」
 令嬢の言葉を受け止め数秒後、男はその場で軽く手のひらを叩いた。
 それが解散の合図なのか、筆記の女性が立ち上がり、言葉なくドアを開ける。
 本日の聴取は終わりのようだ。
 令嬢はそれを感じ取り、静かにその部屋を出た。女性にシャワールームの場所を聞いて、そちらへと向かう。
 萌はやはりその場にいた。
 すでにガーゴイルの石像と共に室内にいて、水着姿でイアルを洗う準備をしている。
「ねぇ、私もそっち行っても良いかしら?」
 ガラス越しにそう言う。
 すると萌は足元に着替えがあるからと合図を返してきて、入室を受け入れた。
 令嬢は急いで着替えを初めて、最後に長い髪を高い位置で括り、浴室へと足を踏み入れた。
 清潔感のある空間に、汚れた石像。蒸気と混ざって悪臭も広がっている。
 それに眉根を寄せつつも、令嬢は進んで固めのスポンジを手に石像を洗い始めた。
 萌も向かい側でブラシ片手に泡を立てつつガーゴイル像を洗っている。
 互いに相手をチラ見しつつの行動が、暫く続いた。
 その間に絶え間なく続く音は、シャワー口から出ている温水だけだ。
「……ねぇ、あなた」
「萌、だよ。茂枝萌」
 令嬢がスポンジを動かしつつ口を開いた。
 萌はそれに遅れること無く応えて、彼女を見る。
 本来であれば、こんな場所で、こんな格好でスポンジを握りしめている存在ではない。
「……、……」
 言葉を掛けようとして、それが出来なかった。
 どんな言葉を選んだとしても、今の彼女にとっては失礼かもしれないと思ったからだ。
「聞いていいのに」
 令嬢がそう言った。
 それでも萌は、首を振る。
「……じゃあ私から聞くわね。萌は、イアルとどんな関係なの?」
「友達、だよ。イアルはもうずっと今回の魔女の事件に巻き込まれたままで……多分、一年ぶりくらいにちゃんと元の姿に戻れるんだ」
「私の知らない所でたくさんの事が……あったのね」
 令嬢の目線の先に丁度、ガーゴイルの脚がある。このあたりにいつも縋って1人で泣いていた。
 ただの石像、しかも異形なガーゴイルだと思っていたのに、不思議な温もりがあった。そしてこの温もりが、自分を守り、一度は砕け散ってしまった。自分の目の前で起こった事だったので、よく覚えている。その後は気を失ってしまったのでどうなったかは解らなかったのだが、一連の流れは既に萌から聞かされていたので容易に光景は想像できた。
「イアルが元に戻ったら……言いたいことがあるんだけれど、特別に貴女を優先してあげるわ」
「……お嬢様」
 貴女も命の恩人だからね、と言葉を繋げて、令嬢は萌の視界から隠れた。
 照れているのだろうか。
 そんなことを思いながら、萌は小さく笑った。
 令嬢の順応性の高さは、元から魔女と言うヒトとはかけ離れた存在と何度も邂逅を繰り返していたからなのかもしれない。そうじゃなければ、この施設で意識を取り戻した瞬間、動揺が激しかったはずだ。最悪、パニック状態にすらなっていたであろう。それが、一般人の反応である。
 そうこうしているうちに、石像は綺麗になっていった。二人掛かりだったので、その分早かったのだろう。
 そしてイアルの像は脱衣場の方へと移動され、その場で女性のオカルティックサイエンティストの錬金術により、ガーゴイルからただの石像へと戻された。
「……っ」
 萌の隣でその過程を見ていた令嬢が、息を呑む。思わず萌の服の端を掴んできたのを横目で確認して、萌はまた小さく笑った。
「彼女は特殊だから、こちらの仕事はこれで終わりです」
 錬金術を使っていた女性がそう言って、萌に頭を下げてきた。本来であれば石化も術で解くことも出来るのだが、イアルのそれだけはどうしても無理らしい。
「難しいことなの?」
 令嬢が萌に問いかけてきた。
 すると萌が一歩を踏み出した後、にこりと笑ってこう答える。
「イアルの石化を解除するには、乙女のキスが必要なんだよ」
 そして彼女は、躊躇いもなく石像へと唇を寄せた。
 その光景が、やけに印象的に令嬢の記憶に刻まれる。神聖な行為のような気がして、胸が苦しくなった。
 石像は一度淡く光った後、足先から徐々に生身の肌へと戻って行った。
 見る間に目の前で顕になっていくイアルという本来の姿。
 美しいラインの肢体、膝裏まである長く綺麗な金髪。瑞のような唇。
 数秒後、ふるりと震えて開かれる瞼の向こうには、宝石のような赤い瞳が存在した。
「……わたし、は……」
 初めて耳にする声音。
 鈴のような響きに、心が奪われる。
「イアル、私がわかる?」
 萌がそう言った。
 するとイアルはふわりと微笑み、頷いて見せた。
「萌、やっぱりあなたが助けてくれたのね」
「約束したでしょ? どんな事があっても、イアルは私が助けてあげるって!」
 萌はそう言いながら、イアルに腕を伸ばして抱きついた。
 イアルもそれに少しも拒絶などを見せずに応えて、萌を抱きしめている。
 美しいやりとりだと思った。それと同時に、少しだけ羨ましくもなる。
 間近でそんなことを思いながら、令嬢は二人を静かに見守っていた。