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<東京怪談ノベル(シングル)>


切支丹天女(1)


 社屋の最上階に、礼拝堂がある。
 この会社は元々『教会』による出資で設立されたものだ。
 社長以下、主だった役職の人々は、どれほど多忙でも日々の礼拝を欠かさないという。
「会社を経営しているような人々は案外、信心深いものなのだよ。もはや神頼みしかないという局面を、くぐり抜けなければならない事も多いのだからね」
 神父が言った。
「ここの社長も、そのような縁があって、我ら『教会』からの出資を得る事が出来たのだ」
「そのような会社であるからこそ」
 キリスト像の前で跪き、祈りを捧げていた1人の若いOLが、言葉と共にふわりと立ち上がる。
「私のような、人殺ししか能のない者を……普通に雇用して下さる、と。そういう事ですのね?」
 黒の女性用スーツは、喪服のようでもある。
 暗黒色の上着からは、純白のブラウスに包まれた胸の膨らみが飛び出している。きっちりとした女性会社員の服装に閉じ込められて、いささか窮屈そうではあった。
 スリムに引き締まった胴から、形良く安産型に膨らんだ尻周りにかけての曲線が、黒のタイトスカートによって引き立てられ強調されている。
 すらりと格好良く伸びた両脚は、同じく黒色のストッキングを穿いているが、溢れ出す色香を隠しきれるものではない。
「シスター瑞科、勘違いをしてはいけない。君の本来の勤め先は、このような表向きの職場ではないのだから」
 神父は言った。
「武装審問官、白鳥瑞科。君に、本来の仕事をしてもらわなければならない」
「主は、我が道を示したまえり」
 OL……白鳥瑞科は、胸に片手を当てた。
「任務、拝命いたしますわ。この度は、どなた様に聖なる裁きと安らぎを?」
「詳細は掴めていない。情報が不充分な状態で、任務を開始してもらう事になる」
 いつもの事だ、と瑞科は思った。
「場所は九州。この会社の、九州支部の社屋内で異変が起こった」
「どのような異変であるのか、それを調べるところから始めよと。そういう事ですのね」
「人死にが出ている。その日、出社していた者の、ほぼ全員だ」
「全員。それでは生き残った方からお話を聞く、というわけにもいきませんわね」
「1人だけ生存者がいる。九州支部の、支社長だ」
 その支社長に関して、瑞科も噂は聞いている。40代の若さで支社を任せられるに至った人物だ。
「今も、社屋に立て籠もっている」
「立て籠もっておられる、とは……まるでその支社長様が、社員の方々を皆殺しにでもなさったかのような」
「そうとしか判断しようのない状況でな」
 もちろん警察は動いたのだろう。もしかすると、自衛隊も。
 だが、どうにもならなかった。だから『教会』が、こうして武装審問官を派遣する事となった。
「人ならざるもの……恐らくは、神に背いた者たちの力が働いている」
 堕天使、あるいは悪魔。はっきりと、神父はその名詞を口にしない。『教会』関係者にとっては、忌み言葉に近いからだ。
 瑞科がこれまで武装審問官として、害虫駆除と同じ感覚で狩り続けてきた相手でもある。討伐対象としては、ありふれたものだ。
 そんな瑞科にとって、気になる事が1つある。
「その九州支社……御住所は、確か」
「長崎県、島原市だ」
 島原。
 それは日本のキリスト教関係者にとって、いくらか特別な意味を持つ地名であった。


 建物の中だと言うのに、風が吹いている。
 血の臭いを孕んだ空気が、悪しき生き物の如くうねり蠢いている。瑞科は、そう感じた。
 血生臭さ、そのものが風となって、長い髪とマントを揺らめかせている。
 金属製の肩当で留められ、翼の如く広がったマント。
 それは天使の姿が刺繍されたボディスーツと共に瑞科の全身を荘厳に彩り、鍛え抜かれたボディラインを戦闘的に引き立てている。
 翼を広げ長剣を振り立てた、刺繍の天使。その姿は、装着者の豊麗な胸の膨らみによって荒々しく歪んでおり、それが邪悪なる者に対する攻撃性を霊気の如く醸し出しているようでもあった。
 暗黒色のプリーツスカートからむっちりと瑞々しく力強く伸び現れた左右の太股は、同じく天使の刺繍で彩られたニーソックスと、何本もの投擲ナイフを装着したガーターベルトで、攻撃的に飾り立てられている。
 両の美脚を包むロングブーツが、軽やかに廊下を踏んで足音を響かせる。死臭に満ちた、社屋の内部にだ。
 瑞科は見回した。死屍累々、としか表現し得ぬ社内の有り様に、青い瞳を向けた。
 視界のあちこちで、ここ九州支社の社員たちが男女の差別なく、奇怪無惨な肉のオブジェと化している。もはや屍と呼ぶ事さえ躊躇われる状態だ。
 陥落直後の原城も、このような有り様であったのだろう、と瑞科は思った。幕府軍によって、徹底的な殺戮が行われたと聞いている。
「随分と……派手な事を、なさいましたのね」
 瑞科は、まずは会話を試みた。肉のオブジェに満ちた光景の中、待ち受けていたかのように1人で佇む、その男と。
「今この時代に、大勢の人を殺める……それが一体どのような意味を持つものか、理解しておられる?」
「これしき……かつて幕府の者どもが行った仕打ちを思えば、何ほどのものであろうか」
 男は言った。
 九州支部の、支社長。顔写真とは似ても似つかぬ悪鬼の形相が、瑞科に向けられている。
「かつて島原・天草の民が受けた仕打ちを思えば……これしきの事!」
「私は、今この時代に、と申し上げましたのよ」
 右手に携えたものを、瑞科は支社長に向けた。
 美しくしなやかな五指によって保持された、聖なる杖。その先端部は、エデンを守るケルビムの像である。
「今この時代に、このような事をなさる。それは単に平和と秩序を乱すという事にしかなりませんわ……たとえ、あなた方に正当な言い分があろうとも」
「ならばどうする、非情にして非力なる『でうす』の使者よ」
 支社長の顔面が、ニヤリとねじ曲がった。牙が見えた。
「私を討つか? 討てるのか!? 非力なる『でうす』の下僕でしかない者が、偉大なる『じゅすふぇる』の御加護を得たる私を!」
「貴方は……取り憑いて、おられるの?」
 瑞科は訊いた。
「それとも……生まれ変わりで、いらっしゃる?」
「その通り。私はな、この時代の人間として新たなる生命を得た。そしてこの島原の地に、支社長として赴任する事が出来た……まさしく『じゅすふぇる』の御導きよ!」
 無惨なオブジェと化した社員たちを、支社長はギロリと見渡した。
「こやつらはな、『じゅすふぇる』の軍勢をこの世に召喚するための生贄よ! 無論、貴様もだ小娘。『でうす』の下僕など、この私が殺し尽くしてくれる。『あだん』と『えわ』の子孫どもを、私が滅ぼし尽くしてくれる! 島原・天草の民が、幕府の者どもにそうされたようにだ!」
 かつての原城と同じ光景の中、その叫びは禍々しく響き渡った。
「苦しみすがる民のために『でうす』は何もしてはくれなかった! だから私は『じゅすふぇる』に忠誠を誓った! 幕府の者どもが作り上げたこの世を、原城と同じく殺戮の地獄へと変えるためになあ!」