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<東京怪談ノベル(シングル)>


鏡は時々嘘を吐く(5)
 結界が瑞科の動きを縛ろうとしていた。細い腰や豊かな胸、形のいい臀部にまるで見えない手が絡みついてるかのように、彼女の体は重い。重力は、ねっとりと張り付くように瑞科の修道服に包まれた豊満で女性らしい体をこの場へと縛り付けようとする。
 けれど、女はその重圧すら振り払い、駆ける。いっきに距離を詰めると同時に、彼女のしなやかな足が相手へと振り上げられる。結界に囚われているというのに、その足技に鈍りはない。実に鮮やかな一撃だ。
 しかし、瑞科と対峙している相手もまた常人を超越した力を有していた。女悪魔は、瑞科の蹴りを腕でガードし、直ぐさにもう片方の手で反撃をしようとする。だが、振るわれた悪魔の拳は長く艶やかな茶色の髪が揺れた後の何もない空を切っただけで、瑞科の体には届かない。瑞科は瞬時に相手の攻撃を見切り、避けてみせたのだ。
 女悪魔は楽しげに笑い、その瞳に歓喜を宿し細める。遊び相手を見つけた無邪気な子供のような笑みを浮かべ、サキュバスは一度瑞科から距離をとった。身にまとった偽物の修道服には不釣り合いな、背中にはえた漆黒の翼を羽ばたかせ悪魔は飛翔する。
「なかなかやるわね!」
「お褒めのお言葉、感謝いたしますわ。けれど、甘く見ないでくださいませ。この程度の結界では、わたくしの動きをおさえる事など出来ませんわよ」
 ここは女悪魔のテリトリーだ。侵入者にとっては不利な領域だというのに、瑞科の自信は揺らぐ事はない。その整った顔に怯えの色はなく、優雅な笑みを浮かべている。凛とした声で堂々と告げる彼女の態度に、サキュバスも満足げな笑みを返した。
「ふふふ、そうこうなくっちゃ。やはり貴女は私の見込んだ通りの獲物だわ」
「貴女様も、わたくしの攻撃を防ぐとは、なかなかやるようですわね」
「そうでなくっちゃ、」
「ええ、」
「面白くないわ」「面白くありませんわ」
 二人の声が綺麗にハモる。女悪魔が手を瑞科に向けかざし、魔術を放ったのはその直後だった。
 悪魔の手から放たれるは、魔術で作られた漆黒の無数の矢。否、その大きさはもはや槍だ。雨のように、邪気をまとった槍は一直線に瑞科の元へと降り注ぐ。光の速さで自らへと向かってくる、形を持った死の宣告。
 しかし、それは瞬きをしている間に空中で霧散した。直前、一瞬だけ光のようなものが空間を走ったように女悪魔の目には見え、彼女は驚きに目を瞬かせる。
 その光は、瑞科が目にも留まらぬ速さで剣を振るった軌跡だった。瑞科は音もなく剣を振るう事で生まれた衝撃波で、死の魔術を叩き落としたのだ。
「なんですって……!?」
 さすがにこれは予想外だったらしく、女悪魔は初めてその人ならざる美貌に動揺を走らせる。その隙に、瑞科は跳躍。翼を持たぬ天使は空を舞い、華麗に女悪魔の前へ着地する。同時に、振り上げられた拳。グローブに包まれた彼女の美しき手が、女悪魔へと振るわれた。
 その猛撃を、女悪魔はすんでのところで防ぐ。サキュバスは攻撃を防いでいないもう片方の手で、再び魔術を形成しようとする。
 が、瑞科の動きのほうが僅かに速かった。
「させませんわ! 魔術なら、わたくしも得意としていましてよ!」
「なっ、まさか……!? ぐうっ!」
 触れ合っていた箇所から直接電撃の魔術を流し込まれ、サキュバスはうめいた。
 片や天使のように美しき聖女、片や悪魔の翼を持つシスター服の女。二人の姿は対象的であり、まるで鏡だ。けれど、鏡は時々嘘を吐く。実力までも対象に映してくれはしない。
 それ故に、彼女達の戦いにも勝者と敗者は生まれる。
 よろめき尻もちをついてしまった女悪魔の首元に、添えられるは聖女の剣。刃が触れた部分から、人とは違う色をした鮮血が一筋流れる。
「これで終わりですわ」
 狂った邪教に終止符を。瑞科は、最後の一撃を加えようとする。聡く、冷静な彼女には自らの勝利を確信したこの瞬間であろうとも隙がない。
 しかし、そんな鋭い瑞科だからこそ気付いてしまったのだ。サキュバスが、にやり、と意地の悪い笑みを浮かべた事に。
「――!?」
 がたん!と、大きな音が鼓膜を揺らす。次いで、室内に響き渡るのはギギギという音。部屋の奥にあった扉が、ゆっくりと開いていく音であった。