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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


並べて触れて、愉しんで

 叫べば響く、コンクリート造りの無骨な美術館だと。通常の人間が考える場所をファルス・ティレイラは『面白そう』だと感じていた。古いものはそれなりに並んでいるが、師の研究室と比べれば良い物もない。それでも、一つの展示室にはそのテーマに沿ったものが揃えられており、彼女という少女の心ははそれだけで踊るのだ。

 ただ依頼によってやってきた、美術館に。
「捕まえたんですからね!」
 と、元気の良いティレイラの声が響いたのが数秒前。次第にくぐもった、彼女特有の明るさが消えコンクリートの暗がりが不気味な色になってゆくのが現在。
 夜に美術品を盗み荒らす魔族がいると聞き、依頼を請けたのはティレイラ。まだ半人前の身ではあるが、着実に魔法の力を身に付けつつある。魔法の師匠であるシリューナ・リュクテイアも変わった女性であったが悪いようにはされていない。――はずだ。
 前向きな心とひたむきな努力によって、本日請けた『捕獲』依頼を無事、達成したとティレイラは一瞬でも確信していたのである。
 魔族は豊満な女で、その体つきに連想されるものと同じく、狡猾に館内を逃げ回った。竜族の少女としては美術品を壊さぬよう飛び回れば遅くなってしまうとも、自分に有利と追い詰めた先で相手の罠にかかってしまった。
 冬の近づく東京、ニットの白いセーターは肩が開き、上に薄手のワンピースを着て、館内に入るまでは紺のダッフルコートも羽織っていた。長い追いかけっこならばと脱いだ冬服と、若干乱れてしまったニットの下でティレイラの身体は次第に黒く変色し始めている。
「勢い良く飛びついてきたわりにはつめが甘いわねえ?」
 美術品泥棒の魔族がティレイラを眺め、笑った。大きな胸と曲線の強い身体をもった相手だが、顔は少年にも似て中性的だ。口の利き方のみ、嫌味たらしい女のもので、力いっぱい睨もうとするも恐怖が先立ってそうもいかない。
 依頼は『美術品を盗み荒らす魔族を捕らえる』ことが主題であり、捕まえた当初は相手の腰に腕を回していた。ティレイラは小さな胸から魔族の罠――であったらしい。黒い球体で、その中に閉じ込められてしまったのだ――により黒曜石へ変質を始めている。
(つめが甘いなんて……そんな……。だってこんな返り討ちになんて……!)
 魔族の攻撃手段など聞いていなかった。そして、調べることを考えずに来てしまった。悔しいが言い返せず、赤い瞳からは大粒の涙があふれる。背中を伝って尾てい骨が疼きだし、そこから何かが生える音も聞こえてきた。
「い、いや……なに……?」
「あら、抱きつくほどワタシが好きだったんでしょう? いっそ、魔族のような姿になってしまいなさいな」
 「そんな」悲鳴にも似たティレイラの声は捕らわれた罠に吸い取られ、とどめとばかりに相手に腕を回されたなら、音を立てて肺が完全に停止した。命までは奪われずとも、少女という名の彫像の完成だ。背中からは魔族の羽、伸びた尻尾も愛らしくくるりと丸まっているが、どこかおどろおどろしい光も宿している。

「思ったよりいい出来になったじゃない。ただのお子様かと思ったら素材もよかったのね」

 ティレイラと追いかけっこをしていた時に美術品へは傷がつかなかったものの、羽音などは不規則に美術館内を響き渡っていた。それが一人の彫像が出来上がってしまったことにより静けさを取り戻す。
 幼さの残る身体と、まるで泥遊びでもしたかのような服の乱れは色よりも無邪気さが垣間見えた。けれど、魔族の尻尾が上がることによって捲れたワンピースがティレイラの恐怖心を脈打つが如く語っており術者の征服欲を満たしてくれる。
 泣き顔など頬に口付け涙をすすってやりたくなるほどだ。
 月明かりが密やかに覗く展示室。ティレイラが美術品にも配慮し、開けた場所で魔族に飛びついたせいで、他の彫像と並んで少女のシルエットが浮かんでいる。
 黒曜石の如きティレイラの肌は星空を思わせる金が流れ、成熟していない身体からは艶気を漂わせていた。それこそが魔族の気に入るところであったのだろう。抱きしめた少女を見つめる相手の様子は恍惚以外の何者でもない。
「これからどうしましょうかしら。ここで楽しむだけなんてもったいないわ」
 元が美術品を盗んでいた魔族なのだ。今宵は館内の品ではなく、ティレイラを持ち帰るのも良いだろう。罠にはめたのだから当然持ち帰る権利はあると少女の頬に指先を伸ばしたその時だった。

「ティレは失敗したか。やれやれ、手間のかかる弟子をもったものだな」

 瞬時に魔族までも黒曜石と化したのだ。涙し、助けを求めるかのようなティレイラにてのひらを差し出す、一見天使の助けにも見える彫像だがその顔は僅かにゆがみ、『魔』を灯している。
 弟子が魔族の捕獲に失敗したならシリューナが引き続き依頼を請け負うこと。これはティレイラの知らない場所で取り交わされた契約である。少女が一人前に成し遂げたならそれでよし、無理であったならば今のように助けに入る。師として、この状況を喜ばしくは思えなかったが、眼前の光景はなかなかに面白い。
「さほど良いとも思わなかったが、口さえ封じてしまえばなかなかではないか。な?」
 魔族がティレイラに呟いたように、零して。シリューナはもだえ苦しむ暇もなく石と化した捕獲対象の肌を撫でた。
 依頼されている魔族は彫像として捕らえられ、ティレイラは見ての通り。ここから更なる来客はないだろう。
 弟子と対になる彫像。それだけでも美術として価値はあるが、魔族特有の人を魅了する豊満な身体、人ならざるものを象徴する顔のつくり、ある意味ではティレイラよりもずっとらしい『物』になったと言える。
 それでも、シリューナの心を捉えて放さなかったのは弟子の彫像であった。
 対を引き離すことは美術として見れば勿体無いと言われて仕方のないことだ。しかし、シリューナは遠慮もなく魔法で魔族の彫刻を退けるとティレイラの眼前へと自らの顔を近づける。
 魔族の罠はシリューナの魔法と違い未熟で、黒曜石から戻ったならば彼女が石であった時の記憶を視覚、聴覚で覚えているかもしれない。これは面白い観察対象にもなり得るのだ。
「ティレ、お前の仇はとったが。失敗もほどほどにしなければ同じことの繰り返しになってしまうぞ」
 厳しい口調だが、シリューナの声音はどこか弾んでおり、指先をティレイラの下唇にやって些細な仕置きとばかりに笑って見せた。当然、魔族の罠が自然に解けるまで弟子はこの姿のまま、自分の『物』となってもらう。
 解けてから文句を言われたとき、どこまで覚えていると聞くのが今から楽しみなのだ。
(ああ、しかしもう一つもどうにかしなければならんのか。……だが、これは依頼だからな)
 ティレイラの髪に触れながら魔族の彫像を眺める。弟子から少しばかり離したせいで美術館の展示品とは不規則な並びになってしまった。これを依頼主に持って行くべきか、報告で済ませるべきか。
「『これ』は私が解かなければ永遠にこのままだ。ならば暫しこれで楽しんでみるのもいいだろう。なあ、ティレ?」
 指を鳴らし弟子を自らの研究室へ送って、残った魔族へシリューナは口端を上げる。人を題材とした作品が多く展示された一室に取り残された彫像は――そんな風に感じることが出来なくとも――寂しそうだ。
 ティレイラは観察の一環にするとして。さて、これは。



「魔族の彫像が増えたとは話したが、まさかこれも任されるとは」
 シリューナは今自らの研究室の一つに居る。美術館の件からまだ一日と経っておらず、月も空に佇んだままだ。
 依頼が終了して報告し、返ってきた美術館館長の言葉は『魔族を好きにしてよい』という一言。元から盗みを止めてほしいというものであったため、彫像にまで興味はなかったようだった。
 研究室は美術館、館内とは違い見た目には古い木で建てられた柱の目立つ内装で、所狭しと薬品や宝石、本が並んでいる。一際大きな彫刻を施してある机の傍には『黒曜石のティレイラ』がおり、魔族の彫刻は室内の扉前に無造作に置いてある。
 『まさか』とシリューナは言ったが実際美術館館長が魔族を必要なしとすることは分かっていたのだ。仕事の内容さえ済ませてしまえばそれで良し、蒐集家な依頼主もいるにはいるが、コンクリートで固められた館内の様子から見てこの結末は予想できる範囲だ。
「並べるつもりもないが、このままでは見てくれも悪いか。――ティレ、どうだ見えるか?」
 黒曜石の彫像を魔法でティレイラの横、正確にはシリューナの机を挟んで二体の美術品がシンメトリーに飾る。その場に座ればよい光景を楽しむことが出来るだろう。
 とはいってもシリューナの興味はあくまでティレイラ。要するに弟子をこの姿に変えた魔族を向かいに置くことで少女がどう思うのか、術が解けるまで観察していくというものである。
「お前の未熟さが招いた結果だが、こうして同じモノとして眺めるのもまた奇妙なものだろう。次はうまくやれということだな」
 言いながらシリューナは椅子に座り、魔族を一瞥してからティレイラに向き直った。
 夜は次第に明けてゆき、黒曜石の輝きは一層大きく神秘を増して、シリューナの瞳に訴えかける。弟子の嘆き、ともとれるだろうか『助けてください、お姉さま』聞こえてきそうな表情はその通りに彼女の思うところであろう。
 だがあえて、師は弟子を助けるということはせず、魔族よりも優しく、残酷に『現在のまま』のティレイラを愛でた。助けを求めていた指の先に触れ、手を繋ぐ。

 季節は秋を通り越し冬、シリューナに季節などあまり関係のあるものではないが、ティレイラが見立ててくれた紺のトレンチコートを普段の衣服上に羽織っている。
 温かいシリューナの身体に冷たくなった指と黒曜石の指、なんと不思議なものだろう。そして、この石がどう肉の感触を戻していくのか。
 指先だけでなくてのひら、腕におさめながら『魔法を使う者』としてシリューナは好奇心の限り堪能することを心に誓うのだ。