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<東京怪談ノベル(シングル)>


 王女と少女のリチェルカ

(こんなはずじゃなかったのに……!)
 都市伝説として噂されているブティックを見つけた嬉しさで、すべてが占められていたのかもしれない。己の抑えきれぬ好奇心と怪奇探検クラブの副部長としての使命感のようなものが背中を後押ししてきたのだ。
 ――その結果が、これだ。
「新しいブロンズ像は高く売れそうねぇ」
 SHIZUKUを舐めるように上から下まで見つめるのは、ブティックの女主人。最初に応対に出てきた時とは打って変わって、その表情は悪意に歪んでいる。
(助けてよ!)
 その叫びは声にならない。試着室に設置された落とし穴から落とされた時点で、いや、このブティックへの道が開かれた時点でSHIZUKUは囚われたも同然だったのだ。
「魔法実験の素材にするより、好事家へ売ったほうが儲かるかしら? それとも、実験に使ったら面白いことが起こるかしら?」
 くすくすくすと楽しげに嗤う女主人が楽しんでいるのは、新しいブロンズ像ができることだけではない。生きたままブロンズ像にされるSHIZUKUの焦燥や絶望、恐怖といったものが最高の調味料となって女主人を悦ばせているのだ。
(身体が動かないよ……それに、この臭い)
 女主人の放ったコールタールは筆舌に尽くしがたいほどの悪臭を放っている。それで全身を覆われたSHIZUKUは指の先ほども動かすことができないため、臭気を防ぐことができないでいた。
 初めは衝撃と動揺と嫌悪。次に焦燥と恐怖。
(売られる!? 実験に使われる!? どっちも嫌だよ……)
 SHIZUKUの運命は女主人に握られている。彼女の気分次第でSHIZUKUの運命は今すぐにでも動いてしまうのだ。
 自分の運命を他人に握られた恐怖がSHIZUKUの身体中を駆けまわる。足先手先まで満ちた恐怖は精神を圧迫していく。もし身体がブロンズ化していなければ、震えは止まらなかっただろうし、立っていられなかっただろう。
(……)
 次第に時間の感覚すらなくなっていく。最初こそ嫌でたまらなかったコールタールの臭いすらどうでも良くなるような、気の遠くなる感覚。それでも意識が完全に落ちることはなく、眠りという安息に逃れることも許されない、まるで拷問。
 じわり、じわりと首を真綿で締められるように精神をも侵されていく。自由に何かを考える隙間さえ、恐怖に満たされていく感覚。悪い未来しか考えられぬこの状況。オカルトに強いSHIZUKUであっても永遠に正気でいられるというものではなかった。


(魔法のコールタールの回収ね……こんなに手間取るとは思わなかったわ)
 持ち前の身体能力を生かして、イアル・ミラールはアンティークショップ・レンからの依頼をよく受けていた。曰くつきの品物の回収、それが主な依頼だ。今回も『魔法のコールタール』回収の依頼を受けたのだが、その所在を突き止めるのに思いのほか苦労してしまった。
 辿りついたのは都内の繁華街の路地裏。ひと気のあまりないそこにあるというブティックは、女主人の手作りの洋服や小物がネットで話題になっていた。だが実際に辿りついた者は殆どおらず、探したけれど辿りつけなかった――そんな証言の多さから都市伝説的な存在となっている。
 イアルは今、その店に足を踏み入れていた。もちろん、警戒は怠らない。無意識のうちに不意打ちを警戒している自分がいた。だがにこやかに姿を見せた女主人はそこらのブティックの店員のように無理に商品を勧めたりはせず、イアルの存在を意識しながらも商品の位置を直したり書類の整理をしたりと自然に行動している。
(奥の部屋は従業員用のスペースや在庫置き場かしら……無理やり押し入るのは危険だし、この建物の規模からしてそんなに広くないはず。とすれば二階? ……いいえ、上に運ぶよりは下に落とすほうが簡単よね)
 品物を眺めるふりをしながら視線を動かす。ブティックを訪れた客を、うまく移動させるなら――イアルは店内の一箇所で視線を止めた。カーテンではなく扉のついたタイプの試着室だ。
(あそこなら)
 一着のスカートを取り、イアルは女主人に告げる。
「試着してみてもいいかしら?」
「ええ、試着室へどうぞ」
「ありがとう」
 扉を開け、足を踏み入れる。
 扉が閉まる直前に見えたのは――女主人の仮面のようなほほ笑み。


 心の準備はできていた。身体に加わる落下の力に抗うように体勢を整え、石造りの床の上に敷かれた絨毯の上に着地してみせる。
「やっぱり……」
 イアルの予想通り、更衣室の中には落とし穴が設置されていた。落ちた先は想像していたよりも広い地下室。たくさんの『瞳』がイアルを見つめている。
「なんて悪趣味な……」
 壁に沿うように並べられた少女のブロンズ像たちは皆、中央を向いて立たされている。皆、生きたままブロンズ像にされたのだろう。その瞳が恐怖を物語り、助けを求めているように思えた。
「こんなところにいたのね」
 イアルと少女たちの像の中に見覚えのある姿を見つけてそっと歩み寄った。最近メディアで見かけなくなったと思っていたSHIZUKUの姿がそこにあったのだ。録画された番組が流されたと考えれば、恐らく彼女の姿がメディアから消える数カ月前からここに囚われているのだろう。
「あら、あなたもその像がお気に入り? でもね、あなたもこれからブロンズ像になるのよ」
 室内に満ちていた異臭がとたんに濃くなった。地下室へ降りてきた女主人が、イアルが振り向くより早くコールタールを発してきたのだ。
 だがイアルの身体は無意識に軌道を読んでコールタールを避ける。床を蹴り、女主人との距離を詰めつつその手に召喚したのは魔法銀製のロングソード。床と平行に構えてそのまま突き刺すように迫るが、女主人もひらりと裾を揺らしてそれを避ける。
「おとなしくブロンズ像になりなさい!」
 至近距離から発せられるコールタール。回避行動が間に合わない――だがイアルはコールタール付けになるのを免れた。その身を守ったのは、反対の手に召喚したカイトシールド。何よりも使い慣れた武具たちが、彼女の味方だ。
「なっ……」
 まさか防がれるとは思わなかったのだろう、女主人は一瞬驚愕の表情を見せた。その小さな隙を、イアルは見逃さない。斬り上げるようにロングソードを振るう。手応えは、あった。
「ぎゃぁぁぁぁぁ!」
 血しぶきがイアルの白い頬を汚す。女主人の濃い緑のワンピースが血で赤黒く染まってゆく。だが、女主人は諦めようとせず、コールタールを放ってきた。
「狙いが定まっていないわよ」
 傷が深いゆえだろう、その狙いは定まっておらず、イアルが避けずともコールタールは明後日の方向へと飛んでいった。突然の大量出血で立っていられなくなったのか膝をついた女主人に、イアルはゆっくりと近づいて。
「――」
 小さく呟いて、その剣を振り下ろした。


「あーーーー! 動けるってすごいっ!」
「あなた、売られてしまうかもしれなかったのよ。行動はもっと慎重に……」
 どろりと溶けるように魔女が消えた後、イアルは隣接していた部屋から解除薬を発見した。そしてブロンズ像となっていた女性たちを次々と解放して、最後にSHIZUKUを元に戻したのだが。
「うわっ、まだ臭う! この臭い早く落としたい! ねえ、お風呂入りたいんだけど……この際シャワーでもいい、ここにあるかな?」
「早く帰って自宅で入ったらどうかしら?」
「そんなっ、この臭いを撒き散らしながら帰るなんて考えられないよ!」
 数ヶ月動けないままでいたというのに、SHIZUKUといったら臭いの心配ばかりだ。自分が行方不明扱いされている心配とか、他にも考えることはあるだろうというのに。
「……わかったわ、探してみましょう」
 呆れ半分。イアルはため息を付いて立ち上がった。魔法のコールタールは回収できたので仕事はこれで終わりなのだが、乗りかかった船だ、彼女が満足するまでつきあおう――。



■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■

【7523/イアル・ミラール様/女性/20歳/裸足の王女】



■         ライター通信          ■

 この度はご依頼ありがとうございました。
 初めて書かせていただくということで、大変緊張いたしましたが、少しでもご希望に沿うものになっていたらと願うばかりです。
 この度は書かせていただき、ありがとうございました。