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<東京怪談ノベル(シングル)>


鏡は時々嘘を吐く(6)
 扉がゆっくりと開く。ふらふらとした今にも倒れそうな足取りで出てきたのは、一人の女性だった。
「た、たすけ……て……」
 体のところどころに傷があり、真っ青な唇からこぼれる言葉は弱々しい。女の正体は、邪教団に囚われた生け贄の女性であった。
 いつの間にか室内の結界が解かれている。恐らく、人質が歩けるようにわざと解いたのだろう。彼女は餌だった、瑞科に隙を作るための。人質すらも、サキュバスは瑞科を惑わす罠として利用しようとしているのだ。瞬時に女悪魔の狙いに気付いた瑞科は、決して冷静さを失わずに毅然とした態度で周囲の様子を伺う。
 人の命を命と思っていない目眩がしそうになる程に残虐な計略に、聖女は形のいい眉をひそめた。
 その時だ。救いを求め、女性がこちらへと歩いてこようとしたのは。危なっかしい足取りで向かってくる彼女を、瑞科は凛としたよく通る声で制止する。
「危ないですわ! 近づいてはなりません!」
 瑞科の注意がそれたのは、そのほんの一瞬だけだった。たったその一瞬の内に、黒い翼は宙へと舞い上がる。サキュバスは瑞科の下から抜け出し、くすくすと楽しげな笑みを浮かべると聖女に向かい手をかざした。
 降り注ぐ、漆黒の魔法。鋭い凶器のような雨。近距離から放たれた禍々しき魔術の塊。しかし、瑞科は常人を逸する反射神経でその攻撃を防いでみせた。剣に弾かれ、魔術は音もなく四散する。
 次いで瑞科は武器を構え直し、跳躍する。スリットの入ったシスター服がふわりと揺れた。すらりと伸びた長い足を惜しげも無く晒しながら、瑞科は舞うように跳び一息で敵との距離を詰める。
 負けじと女悪魔も手をかざし、瑞科の豊満な胸……心臓へと狙いを定める。剣を振るうよりも、魔術が放たれるほうが速い――かのように思えた。
「がはっ!」
 腹に衝撃を受け、女悪魔の口から悲鳴がもれる。剣を構えたのはブラフだ。そちらに相手の注意をひきつけている内に、瑞科は足技をお見舞いしたのだ。ロングブーツに包まれた足が、女悪魔をそのまま蹴り飛ばす。
 ふらふらと足をもつれかけさせながらも、女悪魔は瑞科を睨み返した。
「さて、今度こそ本当におしまいですわよ」
 瑞科の言葉に、再び女悪魔は口角をあげる。けらけらとした無邪気なその声が、室内に嫌に響いた。再びサキュバスは魔術を放とうとする。
「……っ!」
 ――瑞科ではなく、生け贄である女性へと向けて。
 矢のような速さで女性へと襲いかかろうとした、殺意をまとった魔術。しかしそれは、瑞科が放った重力弾により打ち消された。
「ご無事でして!?」
 瑞科は女性の元に駆け寄り、声をかける。倒れてしまった彼女の体を、優しい手つきで抱き起こす。相手が力ないながらも小さく頷いた事に、瑞科はその魅惑的な唇から安堵の息をこぼした。
 その内に女悪魔はその二対の翼を羽ばたかせ、窓の外へと身を投げる。羽を羽ばたかせる音と共に、彼女の気配と笑声は遠ざかっていく。
 瑞科は彼女を――追わなかった。サキュバスを追いかけ、倒す事は容易い。だが今何よりも優先すべきなのは、人命の救助だ。
 聖女は腕の中にいる女性の体を優しく支え、微笑みかける。
「もう大丈夫でしてよ」
 腕の中にある、瑞科に救われた確かな命から温かなぬくもりが伝わってくる。女性を助ける事が出来た事に優しき聖女は笑みを深め、神へと感謝を捧げた。

「教会」本部へと通信を繋げ医療班を呼ぶ。もうすぐくるだろうから安心していいと微笑みかけると、生け贄だった女性も安堵したように笑みを返した。
 邪教団の本拠は壊滅した。今回の任務はこれで終わりだ。昂揚感に、瑞科はその整った顔に美しき笑みを刻む。
 しかし、まだ全ては終わっていない。まだサキュバスを倒す事は出来ていないのだ。
 黒の修道服をまとった女悪魔の笑顔を脳裏に描きながら、瑞科もまた挑戦的に笑う。
「待っていてくださいませ。必ず、報いは受けていただきますわ」
 あのような残虐な悪魔に、これ以上好きなようにはさせない。そう誓う瑞科の耳には、未だにあの女悪魔の無邪気で嫌な笑声がこびりついていた。

 ◆

 空を駆ける黒い翼。サキュバスは、先程の戦いを思い出しながらも悔しげに眉を寄せた。
「まさか私の肌に傷をつけるだなんてね……。許さないわ、あの女。絶対に、復讐してやるんだから」
 次に会った時こそ瑞科の最期だ。そう、女悪魔は目を細める。広い空に、無邪気な笑声が響き渡った。