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停職エージェントの冒険(1)
田舎の人間は素朴で人情がある、なんて思ってる連中が東京にはいるようだが、とんでもない話だ。
狭い場所で足を引っ張り合い、陰口を叩き合う。それが田舎者という人種である。
いわゆる村社会というやつだ。
こんな山に囲まれた場所に引きこもって生きていると、どうしても、そういう人間になってしまうのだろう。
本当に、そういう連中ばっかりだった。
誰も、兄貴を助けようとしてくれない。
俺の兄貴は、村の近くの工場で働いていた。
そこで彼女を作り、毎日のように部屋でイチャイチャしていた。
俺の部屋と兄貴の部屋は同じく2階にあり、隣り合っていて、しかも壁があまり厚くない。
弟としては正直、勘弁してくれと思わない事もなかったが、とにかくあの日も兄貴は彼女と、部屋でよろしくやっていた。
そこを、高女様に覗かれた。
高女様に目をつけられた。その噂は、あっと言う間に村じゅうに広がった。
俺の家は、孤立した。
村の連中は、俺の親父ともお袋とも口をきかなくなった。当然、兄貴や俺ともだ。
兄貴の彼女だった女も、家に寄り付かなくなった。
今日、駅前で見かけた。別の男とイチャイチャしていた。
兄貴は今、1人きりで部屋に引きこもっている。
家の中の空気が最悪なので、俺は今、この連中と一緒にいる。
「心配すんなって。高女様なんてのぁ、ただの都市伝説だろ? 都市っつーか、ここは田舎だけどなあ」
「何女様だか知らねーけどよォ、女には違ぇねえべ。ひん剥いて撮るっきゃねえよ」
東京の人間には『田舎のヤンキー』と一括りにされてしまうような輩である。村のはみ出し者と言うか鼻つまみ者の集団で、俺もまあその一員だ。
ろくな事をしない一団ではあるが、学校で誰も口をきいてくれなくなった俺と、こんなふうに普通に話してくれる連中でもある。
深夜。村でただ1軒のコンビニの前に、俺たちはバイクを止めて溜まっていた。国道を、特に意味もなく一走りしてきたところである。
「俺、おめえの兄貴にゃ世話んなった事あっからよ。高女様なんての、どうせストーカーか何かだべ? そんなん俺が追っ払ってやんから」
「……ま、そんな女の事ぁどーでもいいけどよお」
いくらか照れ臭くなったので、俺は話題を変えた。
「許せねえのは、あの野郎だよ。ナメくさったまんま逃げやがって」
「さっきのアレか。明らかによォ、俺らの事バカにしながら走ってやがったよなああ」
国道で、1台のバイクに追い抜かれた。
ただそれだけの事が許せない。そこが、俺たちという人種の救い難いところである。俺も頭ではわかっているのだ。
「今度会ったらよぉ、みんなで囲んでボコるっきゃねえべ。ま、くれるモンくれたら許してやってもいいけどな」
「けどよぉ、ありゃあんまり金持ってなさそうじゃね?」
俺たちの会話がそこで止まったのは、バイクが1台、駐車場に突っ込んで来て止まったからだ。
俺たちが転がしているものと大して違わない、恐らくは400cc。
黒ずくめの男が、ひらりと片脚を上げ、降りて来る。その動きは、まあ様になっている。
黒のツナギに、黒のフルフェイス。
登山者のような大きめの荷物を背負っているのが、ダサいと言えばダサい。
間違いなかった。
国道で、颯爽と俺たちを追い抜いて行った男である。
「おう! おうおうおう! 待てや兄ちゃん!」
俺たちの中で最も血の気の多い奴が、さっそく絡んでいった。
「さっきはよォ、『俺は風』ってな感じのスカした走りで俺らをバカにしやがってよぉおお! わざわざブチのめされに戻って来たんかオイごるぁあ!」
「……ああ、さっきの」
コンビニ店内に入ろうとしていた黒ずくめが、ヘルメットを脱ぎながら言う。
若い、と言うよりガキっぽい素顔が現れた。高校生の俺たちの方が、下手をすると老けて見える。
「あんなフラフラした走り方じゃ事故るぞ。気を付けろよ」
言いつつ店に入ろうとする、そいつの目の前に、俺は回り込んだ。
「……オシャレなカラコンしてんじゃねえの、兄ちゃんよォ」
「カラコンじゃないんだけどなあ」
カラーコンタクトとしか思えない緑色の瞳で、困ったように俺たちを見回しながら、そいつは苦笑している。
「ブチのめされに戻って来たわけじゃないよ。ちょっと気になるものが視界に入っちゃったんでね……この近くにさ、お札を大量に貼った家があるよな? 壁とか窓とか屋根にもベタベタと。あれって」
「悪かったな、俺んちだよ!」
叫びながら、俺はそいつに殴りかかっていた。
あっさりと、かわされた。
「お、おい待てって……」
何か言おうとするそいつに、全員が襲いかかる。
あらゆる方向から殴りつけ蹴りつけ、だが逆に殴られ蹴られ、1人また1人と倒れてゆく。
そいつが、ふわりと動きを止めた。空手の、残心というやつに似ている。
「ごめん、ちょっとやり過ぎた……と思うんだけど、まだやる?」
「い、いえ……すびばせんでじたあぁ……」
俺以外の全員が、そいつの足元で土下座をした。ボコボコに腫れ上がった顔を、涙でぐしゃぐしゃにしながらだ。
そいつが、軽く溜め息をついたようだ。
「俺も割とキレやすい方だから、偉そうな事は言えないけど……程々にしとけよ」
緑色の目が、ちらりと俺の方を向いた。
「……で、何があった? 話してみろよ」
「な……何で、テメエなんかに」
「警察に頼れないような事なんだろう?」
ガキっぽい顔で、そいつはニヤリと笑った。
「あんなお札で退散してくれる妖怪なんて、この国にはいないぞ」
フェイトより1つ2つ年下と思われる若者が、部屋の片隅で膝を抱えている。そして、よく聞き取れない何事かを呟いている。
虚ろな目は、ぼんやりと窓を見つめていた。
窓の向こうにいる何者かと、会話をしている。そんな感じだ。
当然、窓の外には誰もいない。ここは2階である。
「兄貴……」
コンビニの前で出会った少年が、声をかける。
若者は、何も応えない。弟がそこにいる事にさえ気付いていない。
「何とか、なんのかよ……」
少年がフェイトに、泣きそうな顔を向けた。
「あんたがバカ強えのは、わかったよ……だからって兄貴を助けられんのかよおお!」
フェイトは何も言わず、ただ念じた。
両眼が、淡く緑色に輝く。
精神共有。サイコネクション。
まずは、この若者が見ているものを、しっかり確認する必要がある。
「……あんたが高女様か」
フェイトは、とりあえず声をかけた。
若者がぶつぶつと会話をしている、その相手が、窓の向こうにいる。
ひび割れたように血走った、巨大な目。鼻梁の一部も見える。
とてつもなく巨大な、そして醜悪な顔面が、この部屋を覗き込んでいるのだ。
少年が、不安げな声を発する。
「え……高女様、って……まさか……」
「ああ、そこにいる。見えないんなら無理に見る事もない!」
叫びに合わせ、フェイトの両眼がエメラルドグリーンの光を燃やす。
窓ガラスが、砕け散った。
念動力の波動が、高女様の眼球を直撃していた。
少年が、悲鳴を上げる。
「なな何だ、何なんだよぉおおお!」
「ごめん、ガラスは弁償するから」
言い残し、フェイトは壊れた窓から身を躍らせた。
そして深夜の路上に着地しつつ、前方を見据える。
高女様が、倒れていた。
先程までは2階の部屋を覗き込むほどに巨大であった姿が、今は細く小さく見すぼらしい。
辛うじて女性とわかる体型をした、白い人影。少女のようでもあり、老婆のようでもある。
それが、よろよろと立ち上がった。
弱々しい片手で、重そうな鉈を頼りなく構えている。
「……あやかし荘に、物知りな座敷童がいてさ。俺、いろいろと教えてもらったんだけど」
フェイトは言った。
「高女っていうのは、男と縁がないまま死んじゃった女の人の……成れの果て、なんだって?」
返答代わりに鉈を振り上げ、白い人影が襲いかかって来る。
フェイトは避けず、構えず、ただ見据えた。
緑色の眼光が、念動力を宿しながら激しく迸る。
「そんなに、男が欲しいのかよ!」
白い人影は砕け散り、消えて失せた。
「そんな気持ちだけで、男と一緒になったってな……嫌な事にしか、ならないんだぞ……」
もはや、届かぬ声であった。
異形のものと成り果てた女の魂は、砕け散って消滅し、ようやく平安を得たのだ。
泣き声が、聞こえた。
2階の部屋で、若者が泣きじゃくっている。
「兄貴がよ、正気に戻っちまった……助かった、って事だべ?」
弟である少年が、いつの間にかそこにいた。
「ま、あんがとよ……何かよくわかんねーけど」
「わかる必要はないさ。じゃ、俺はこれで……っと、ガラス弁償しないとな」
「いいって、そんなん。助けてもらった代金だと思えばよ」
「そうはいかない。仕事でやったわけじゃないからな、代金は受け取れないんだよ」
仕事は現在、停職中である。
独断専行のペナルティとしては、まあ軽いものであった。
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