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<東京怪談ノベル(シングル)>


蘇る魔本


「また……カスミは変なもの買ってきて」
 呆れながらイアルは、その書物をぱらぱらとめくってみた。
 時代がかった、羊皮紙の書物である。
 日本語ではない、英語でも中国語でもない、ラテン語やアラビア語でもない、謎めいた文字で書かれている。
 地球上から、すでに失われてしまった言語であった。
 イアルならば、辛うじて読む事が出来る。
 カスミはしかし、それを知って購入したわけではないだろう。
「音楽の本を買いに行ったんじゃなかったの?」
「何と言うか、つい……買っちゃったのよね」
 にっこりと笑ってごまかしながら、カスミは言った。
「私、そういうファタジーっぽい雰囲気の小物に弱いのよねえ」
 都内のマンションの一室。響カスミの部屋である。
 他にも水晶球やら竜の置物やらが、ところ狭しと飾られている。この羊皮紙の書物も、それらに合わせて上手く配置すれば、まあ幻想的な雰囲気を醸し出すアクセサリーとして機能するであろう。
「ね……イアルはもしかして、これ読めたりする?」
「何とか……うん、読めると思うけど」
 カスミの表情が、ぱっと輝いた。好奇心を抑えられない美少女のように。
「読んで! ねえ読んで、一緒に読みましょう」
 27歳の女性音楽教師が、こんなふうに楽しげにしていると、まるで10代の乙女のようになってしまう。
 絵本読みをせがんでくる子供のようでもあるカスミに押されるまま、イアルはソファーに身を沈めた。
「昔の偉い人が書いた、とんでもなく退屈な自分語りかも知れないわよ? まあ読んでみるけど……ええと。昔々ある所に、とても美しいお姫様と、同じくらいに美しい女の魔王がおりました」


「許せるわけがないだろう? そんな事……」
 魔女王が、にっこりと美貌を歪めた。
 陰惨で悪意に満ちた微笑みが、しかし美しい。
「この私と同じくらいに美しい、なんて……少し、うぬぼれが過ぎるんじゃないんかい? イアル姫」
「え……ちょっと、何……」
 イアルは見回した。
 カスミの部屋、ではない。薄暗く仄明るい、石造りの屋内である。
 その最奥部の石壁に立てかけられた、金属製の寝台。そこにイアルは拘束されていた。
 縄や鎖で縛られている、わけではない。
 左右の細腕を、すらりと伸びた両の美脚を、じたばたと動かす事は出来る。綺麗にくびれた胴をうねらせ、豊麗な胸の膨らみを揺らす事も出来る。寝台の上でだ。
 寝台から、身体を引き剥がす事が出来ない。
 巨大な金属の板、のようでもある寝台。
 否。それは寝台ではなく、大型の楯であった。
 楯の表面に貼り付けられたまま、イアルの全身が固まってゆく。
 たおやかな両腕が、むっちりと形良い左右の太股が、悶えながら硬直してゆく。
 美しく引き締まった胴が、しなやかに捻れた状態で静止した。
 柔らかく膨らんだ胸が、激しく前方に突き出されたまま固くなった。
(わ……私……)
 自分の身体が石に変わってゆくのを、イアルは呆然と感じていた。
(捕われの……お姫様の……役……?)
 可憐な唇が、もはや言葉を紡ぐ事も出来ぬまま石化してゆく。
「まあ確かに、お前は美しいよイアル姫……その美しさを、役立ててあげよう」
 魔女王の楽しげな声を聞きながらイアルは、巨大な楯を壮麗に飾る石像と化していた。


 石造りの迷宮に、悲痛な絶叫が響き渡る。
 剣を掲げたまま、勇者は後退りをした。
 魔女王を守る巨大な楯に、この剣を叩き付けてしまったのだ。
 表面に、美しい女人像が取り付けられた楯。
「貴様……それは……」
「ふふ……そうさ。お前たちが助けなければならない姫君だよ。かわいそうに、今の一撃で死んでしまったかも知れないねえ」
 楯の後ろで、魔女王が嫣然と微笑む。
 間違いない。今の悲鳴は、この女人像が発したものだ。
 悶え苦しみながら石に変わり、楯に埋め込まれた、姫君が。
 勇者は、右に動いた。楯を迂回するためだ。
 巨大な楯が、しかし滑るように動き、すでに勇者の眼前にある。
「どうした勇者殿。この楯を破壊しない限り、その刃は私に届かないよ?」
「卑劣な……!」
「そこそこ美しいだけで調子に乗っているこの姫君を、お前が見殺しにすれば良いだけの話じゃないか。それが出来ないのなら……まあ、死ぬのだね」
 魔女王のたおやかな片手が、雷鳴と電光を発した。
 轟音を伴う電撃光が、楯を迂回し、勇者を直撃する。
 断末魔の絶叫は、雷鳴に掻き消された。
 屈強な勇者の肉体が焦げて砕け、遺灰となって闇に漂う。
 その闇の奥から、足音が聞こえて来る。
「千客万来……いろんな雑魚が、来てくれる。私に殺されるためだけに」
 魔女王が、優雅に嘲笑う。
「炎や雷はもう飽きた。今度は少し趣向を凝らして……ほう、これは」
 闇の中から、うっすらと姿を表しつつある来訪者に向かって、魔女王は思わず目を見開いた。
 たわわに膨らんだ胸と、いささか大きくなり過ぎた白桃のような尻を、下着にも似た小さな甲冑に閉じ込めた女騎士。
 勇壮な兜で凛と飾り立てられた美貌が、じっと女人像に向けられている。
「美しい……ふふっ、趣向の凝らし甲斐がありそうだよ」
 女騎士の全身を、魔女王が視線で舐め回した。
「その美しい肉体、生きたままグールどもに貪り喰らわせてやろうか? それとも、たっぷり時間をかけてスライムに溶かされてみるかい?」
「捜したわよ、イアル」
 女騎士は、魔女王の言葉を聞いてはいない。
「今、助けてあげる……一緒に帰りましょう」


 噂通りだった。
 魔女王は、捕えたイアル姫を石像に変えて楯に埋め込み、これを防御に用いる事によって、数多の勇者たちを葬り去ってきた。
「辛かったでしょうね、イアル……」
 悶え苦しみながら時を止められ、石像と化したイアルに、カスミは語りかけた。
 自分のせいで、大勢の勇者が殺されてしまった。イアルはきっと、そんなふうに思っている。
「魔女王……私は、貴女を許さない。こんなにも誰かを許せないと思ったのは、生まれて初めてよ」
 カスミは剣を抜いた。
 これまでの冒険の旅で手に入れた、聖なる剣。その刀身が、淡く白い光を帯びる。
「この光の聖剣が、イアルを救い、貴女を倒します」
「ふっ……あっはははははは! 持ち主の愛の強さ次第で奇跡の力を発揮し得る、光の聖剣!? おとぎ話も同然のそんな言い伝え、本気で信じているのかい!」
 嘲笑う魔女王に向かって、カスミは踏み込んだ。
 巨大な楯が、魔女王を守っている。
 楯の中で石化しているイアルに、光の聖剣がまっすぐ突き込まれてゆく。
 刀身を包む白い光が、激しく膨張しながら燃え上がった。
 白く燃え盛る光の刃が、女人像を穿ち、楯を粉砕し、魔女王の身体を刺し貫く。
 断末魔の絶叫を吐く暇もなく、魔女王は光に灼かれ、消滅した。
 砕け散った女人像の残骸だけが残った。
 石像の生首が、足元に転がっている。
 たおやかな両手で、カスミはそれを拾い上げた。
 光の聖剣は、持ち主の愛の力で奇跡を起こす。
 カスミに剣を授けてくれた、聖なる祠の精霊が、そう言っていた。
「イアル……」
 苦悶の表情を冷たく固めた、石の生首。
 その唇に、カスミは己の唇を重ねていった。
 冷たい石の唇に、温もりが宿る。
 温かな体重が、カスミの細腕にのしかかって来る。
 生首でも、石像でもない。
 生身のイアル・ミラールが、そこにいた。
「……カスミ……なの……?」
 うっすらと目を開きながら、イアルが弱々しく微笑む。
「貴女に殺されるなら、それもいい……そう思ってたのに……殺して、くれなかったのね……」
「イアルの馬鹿……!」
 カスミは、イアルの身体を思いきり抱き締めた。


「イアルの馬鹿ぁ……」
「ち、ちょっと放しなさいカスミ! 馬鹿は貴女!」
 もつれ合ったまま、イアルとカスミはソファーから転げ落ちた。
「あ……あれ? イアルが服着てる……私のビキニ鎧は……光の聖剣は……?」
「目を覚ましなさい。貴女はね、魔本を買って来てしまったのよ。まったくもう、こんなものが残っていたなんて」
「魔本……ああ、前にイアルが言ってたわね。バーチャルリアリティーの、ファンタジー版みたいなもの」
 そんな事を言いながらもカスミは、イアルを抱き締めたまま放してくれない。
「ん、もう……こんなに楽しいもの、何でこの世からなくなっちゃったのかしら? 1冊しか残ってないなんて」
「私が元いた王国で、全面的に禁止されたわ。カスミみたいにね、ハマっておかしくなっちゃう人が続出したからよっ」
 言いつつイアルは無理矢理、カスミの身体を引き剥がした。