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<東京怪談ノベル(シングル)>


連鎖する呪い


 それは優しく奏でる雨音が静かに止んだばかりの、学校の帰り道。
 水溜りを避けながら、通い慣れた通学路を歩いていた時の事――みなも以外に誰も居ない筈の静寂な道で、コトンという音を聴いた。

「―――……?」

 その音につられて振り返ってみるが、誰かが居る気配は無い。
 みなもは不思議に想った。
 なんだったのだろう。
 けれども気に留めない事にして帰ろうとしたところ――……

「あれ……?」

 振り返った足元に、綺麗な着せ替え人形が落ちている事に気付くだろう。
 美しいブロンドの髪。
 肌は色白で、端麗で整った澄まし顔。
 身に纏っていたのはワンピース。
 傷が無いばかりか、先程まで雨が降っていたというのに泥で汚れてもいない……
 新品同然で純白の。
 とても可愛らしいお人形さんだ。

 さっき通った時には落ちていなかったような気もしたが……、一体どうしてこんなところに人形が落ちているのだろう。そんなふうに疑問に思う部分はあるものの、みなもはそっと手を伸ばす。
 彼女はとても優しくて、温かい心を持つ女子生徒。こんな道路の真ん中に居たら、車に轢かれるか、誰かに捨てられてしまうかもしれない――そんな少女の人形を放っておけなかったのかもしれなくて。

「一緒に帰りますか?」

 此処に置いていく事が出来ず、ひとまず持ち帰ろうとしたのだ。
 少女の人形を抱き上げると穏やかな微笑みを浮かべた。とても優しい微笑みを。
 そして温もりのある腕の中へ。

 すると――


「……ッ!」


 突如ピリッとした鋭い痛みを覚え、驚いた。


「……っ、……っっ??」


 みなもは一瞬何が起きたのか分からず、混乱して焦る気持ちを抑えながら……
 恐る恐る痛む場所を触れてみると指先に付着する美しい紅――。


「これは……?」


 あたしの、血……?


 その真っ赤な鮮血が目に焼き付いた時、背筋が凍りつき、青褪めた顔は恐怖の色を浮かばせて。
 自分の身に起きた事を疑っていた。


 決して動く筈の無い少女の人形に、ナイフのような短剣で刺されている―――。


「どう、して……?」


 がくがくと震えた小さな声で紡ぐ。
 人形があたしを刺したとでも言うのだろうか。
 いや、そんな筈は――……。と、そうとは信じられずに戸惑うや否や。
 少女の人形は急に顔を上げ、突然、ニヤ、と笑った。


「―――!!」


 その瞬間を見つめていたみなもは驚愕の余り手を放す。

「あっ……!」

 手を放すならば、落ちていってしまう人形。
 みなもは反射的に掴もうとして伸ばす―――が。
 人形を掴む事が出来なかった。

(「え……?」)
 
 手を伸ばせば、間に合う筈だった。
 けれども伸ばされた指先が突如、硬く、冷たく。何故だか強張ってしまい、想う様に動かせなくて。そのままするりと抜けていってしまったのだ。

「……!」

 少女の人形はグシャ、と地面に叩きつけられた。
 なんとも痛そうな音が響かせながら――……。

「……っ」

 沈黙が、流れる。

 すると人形は一人でに、すっと立ち上がった。
 打ち付けられた事など、何ともないような顔で。
 とても愛らしいのに、とても不気味な微笑みを浮かべながら……。

 人形が、笑った……?
 その事に驚くのも束の間、みなもの身にも奇妙な事が起こりだす。
 先程想う様に動かせなかった手が、まるで無機質なもののように――――。

「い、嫌……!」

 みなもは咄嗟に思わず後ずさった。
 自分の体がじわじわと浸食されていく異変に震えていた。どうしようと慌てるが、答えが浮かぶ気配は無い。そう。もう、誰にも止められないのだ――。


 みなもの柔らかな肌は既に硬くなっていた。
 同時にもはや人間の体温とは思えぬ程、ひんやりと冷たく。
 嗚呼、まるで、全てを奪われて、作り物に変えられていくような――。


 段々と小さく、小さく。
 見えている世界が低く低くなっていくのにつれて、恐怖を煽られていた。
 みなもは為す術もなく、変えられていく。


 怖い。
 恐ろしい。


 誰か助けてくださいと叫びたくなるような。
 まるで人間じゃなくなくなっていくみたいで、本当に恐ろしくて。
 が、それも叶わなくなってしまっていたらしい。
 言葉を発しようとしたのだが、それは声にならなかった。
 動揺して心臓がばくばくと鳴っている筈なのに、その心臓が何処にあるのかも、もう分からない。


 みなもの心を余所に、美しい青髪はしなやかな繊維へ。
 青き眸は、透明感のある艶やかなものへ。
 唇は叫ぶ事を許されず、澄ますように閉じてしまう――


 ゆっくり、ゆっくりと。
 みなもは体の自由が効かない中、徐々に無機質な冷たさに浸食されて。


(ああ、あたし……………………)


 人形になってしまっていく………………………。



 ―――そんな憂いを帯びたガラスアイの瞳が見つめていたのは、人間の少女だった。



 *-*-*-*-*-*-*-*-*



 白いワンピースを着た美しいブロンドの少女は自身の頬にべたべたと触れながら、柔らかさ、熱を確かめて、うっとりと零す。
「やった……ああ……やっと、私、戻れたのね…………っ!」
 少女は瞳孔を開きつつ興奮状態でぎこちなく笑っていた。
 何度も何度も確かめて、ようやく落ち着くと、目の前に立ち尽くしている人形――海原・みなもを見つめて。

「ごめんね……私にはこうするしか無かったのよ」

 心底申し訳無さそうに呟きながら、語る。
 自分は人形だった訳じゃない。元々人間だった、と言う事を……。


 ――――それは或る日のこと。
 嘗て少女もみなものように落ちていた人形を拾おうとしたのだという。
 そうしたら突如鋭い痛みを感じ、見てみると、自分が人形に刺されていた。それからは自分の身に異変が起こり―――……気付いた時には、人形となっていたのだそうだ。
 みなもの身に起きた事と全く同じ状況だった。


「これはね、呪いなの。そういう呪いなのよ……」
 ――『刺す』ことで『人形の呪い』を移さなければ、人間には戻れない。

「でも大丈夫! 貴方も、『誰かを刺せば元に戻れる』から!」
 ――これは繰り返されてきた、『人形の呪い』。


「じゃあ、もう行くね。早く貴方も人間に戻れますように……」


 少女は此処に長居する事は無くその言葉だけを置いて、一目散に立ち去っていった。
 逃げるように走って行ったが、少女を引き止める者は誰も居ない。


 ――待ってください……!


 みなもがそう叫びたくても、追いかけたくても、人形の身である以上、叶わない事だから。


 肌は珠の様に白く、グラスアイは宝石のように美しい。
 綴じている唇は言葉を紡がず、ただじっとする。
 とてもとても美しいけれど、
 とてもとても酷な呪いだ――。


 人形は壊れない。
 人形は汚れない。
 人形は人前で動けない。
 人形は人前で話せない。


 いくつもの呪いを重複して掛けられたお人形となってしまったみなもは、今は未だ、立ち尽くす事しか出来なかった。
 現在は誰も通っていないけれど、いずれ誰かが通る道で――――。


 みなもの手にはナイフのような短剣が握られせられていた。
 この短剣に込められた意味は一つ。


『人間に戻りたいのならば、呪いを誰かに――』。



<終わり>