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<東京怪談ノベル(シングル)>


鏡幻龍の戦巫女と怪奇系アイドル


 人間は、大きく2つの種類に分ける事が出来る。SHIZUKUは、そう思っている。
 怪奇スポットで、実際に怪奇現象に遭遇してしまう者と、そうではない者だ。
 選ばれる人間と選ばれない人間。そのように言い換えても良い。
「ああん、選ばれし者の恍惚と不安ここにありって感じ……」
 SHIZUKUは心を弾ませながら、ブティックの店内を彷徨っていた。
 ワンピースやスカート、ブラウスといった衣類。ハンドバッグなど小物。アクセサリーに靴、それにランジェリー。
 どれもこれも、ネット上の画像で見るよりも輝いている。
 都市伝説的に語られているブティックであった。
 店主の手作りである商品がネット上に出品され、なかなかの売れ行きを見せている。
 商品は存在する。だが店はない。
 ネット通販をしているだけでなく実在の店舗がある、と言われてはいる。
 都内のどこかの路地裏で、ひっそりと営業しているというその店を、しかし見た者はいないのだ。
 幻のブティック。
 そこを探し出し訪れようとして、行方不明になった者もいるという。
 行方不明者まで出るほどの怪奇スポットを、しかしSHIZUKUは、自力で発見してしまった。
「やっぱりねー。選ばれちゃうわけよ、あたしってば……すいませーん、このワンピース試着してもいいですかあ?」
「はい、こちらへどうぞ」
 女性店主が、にこやかに試着室へと案内してくれた。
 手作りの商品で売り上げを立てている、噂の女店主である。さすがに美しい、だけでなく黒系統の着こなしが実に様になっている。スタイリストとして雇いたいくらいだ、とSHIZUKUは思う。
「あたしも負けてらんないね、一応は本職のアイドルとして……」
 試着室の中で、鏡と向かい合いながら、SHIZUKUは気合を入れた。
 その鏡が突然、消え失せた。
 試着室のカーテンも、壁も天井も、全てが消え失せた。風景そのものが消失し、SHIZUKUは闇の中へと落ちて行く。
 落とし穴であった。試着室の床が突然、開いたのだ。
「えっ、ちょっと何いきなり没シュートぉおおおおおおおお!?」
 泥のような飛沫が、どぷーんと飛び散った。
 重い液体の中に、SHIZUKUは落ち込んでいた。
「うぷっ……な、何これ臭い! 石油? ガソリン? 溶けたゴムとかプラスチック? じゃなくて……」
 コールタール、のようである。
 それが、まるで不定形の生き物のように波打ち蠢き、SHIZUKUの全身を包み込む。
 悲鳴を上げようとした口に、強烈なタール臭の塊が流れ込んで来る。
 SHIZUKUは、呼吸をする事も出来なくなっていた。
 呼吸は出来なくとも、思考は出来る。
 SHIZUKUの思考能力は、しかし恐怖によって押し潰されてゆく。
(助けて……)
 死ぬ、とは思わなかった。
 人間ではない、物に変わる。何となく、そう思った。
 ブティックの商品と同じような、物体に。
 そして、売られる。売られた先でも、物として扱われる。
(誰か、助けてよぉ……)
 それはSHIZUKUにとって、想像を絶する恐怖であった。
(あたしは、アイドルとして売れたいの……商品として売れたい……わけじゃ、ないのよぉ……あ、あたし上手い事言った? 全然上手くない?)
 そんな事を思ってみても、恐怖は一向に和らいではくれなかった。


 地震が来た、わけではない。だが気のせいでもない。
 そのブロンズ像は、ガタゴトと震え揺らいでいた。
 等身大の、女性像である。
 私立神聖都学園の制服を可愛らしく着こなした、美少女の像。
 イアルも何度かテレビやネット上で見た事がある、オカルト系アイドル・SHIZUKUに似ていた。
 彼女の失踪騒ぎが今、世間を賑わせている。
 偏見かもしれないが、芸能人なら失踪する事もあるだろう。イアル・ミラールは何となく、そんな事を思っていた。
 だが失踪しているのはSHIZUKUだけではなかった。
 ここ数ヶ月の間、若い女性が何人も行方不明になっている。
 ここに立ち並ぶブロンズ像たちと、ほぼ同じ人数である。
「困りますわ、お客様。勝手に倉庫へ入られては」
 声をかけられた。
 忍び寄る不穏な気配に、イアルは少し前から気付いてはいた。
「ご心配なく、警察沙汰にはいたしません。泥棒をなさるようなお客様には……当店独自の対応を、させていただきますわ」
「盗まれたら困る物なのね、これ全部……つまり、商品?」
 整然と並べられたブロンズ像たちを、イアルは見回した。
「一体誰がこんなもの買うのか、ちょっと興味あるんだけど」
「世の中にはね、生身の女では駄目という殿方が大勢いらっしゃいますのよ」
 黒の似合う女店主が、婉然と微笑んだ。
 邪悪なほどに美しい笑顔が、イアルに向けられる。
「お客様の着ていらっしゃる物……それは、もしかして?」
「ええ、このお店の商品よ。私を居候させてくれている人が、買ってくれたの」
 女店主とは対照的に、上着もブラウスもタイトスカートも白い。今のイアルの装いは、純白一色であった。
 特に、このミニのタイトスカートが良い。
 安産型のヒップラインとムッチリ鍛え込まれた太股が強調されてしまうのは少々恥ずかしいが、あと1ミリでも丈が長くなってしまうと、この妙な穿き心地の良さは失われてしまうだろう。
「まるでオーダーメイドしてもらったみたいに、私の身体に合うのよね……貴女、これだけ良い物を作れるのに」
「私の作った物を、綺麗に可愛く着こなしてくれる……例えば貴女のような女の子をね、さらに品質の良い商品に作り変えてあげるのよ!」
 女店主の周囲に、いくつもの黒い球体が出現し、浮かんだ。
 コールタールの塊。固体化しているわけではない。液体のまま、球形を維持しているのだ。
 間違いない。人間を生きたままブロンズ像に変えてしまう、魔法のコールタール。
 イアルが、懇意にしているアンティークショップから回収を依頼された品の1つである。
「貴女は売りに出したりはしない、私が手元に置いて可愛がってあげる!」
 女店主の叫びに合わせ、いくつものコールタール球が一斉に飛んだ。イアルに対し、発射された。
 黒い流星となって襲い来るそれらに向かって踏み込みながら、イアルは身を揺らし、反らせ、翻した。
 女豹を思わせるボディラインが柔らかく捻れ、タイトスカートに白桃のような尻の形が瑞々しく浮かび上がる。
 躍動する肢体が、コールタール球をことごとく回避してゆく。
 回避の躍動が、攻撃の躍動に変わった。イアルの叫びに合わせてだ。
「ミラール・ドラゴン! 私に力を!」
 光が生じ、イアルの右手にキラキラとまとわりつく。
 優美な五指が、光を握り込んだ。いや、それはすでに光ではない。
 両刃の長剣として、実体化を遂げていた。
 その切っ先が、女店主の左胸を刺し貫く。
 絶命の手応えを握り締めながら、イアルは語りかけた。
「私も、それに私を居候させてくれている人もね……貴女のブランド、大好きだったのよ?」


「あー……ひどい目に遭ったわ」
 SHIZUKUがぼやいた。
 あの女店主の遺品の中から、解呪用の薬品を見つけ出し、倉庫内にぶちまけてみた。
 ブロンズ像に変えられていた女性たちは全員、生身に戻った。命に別条はない。
 だが、正気を保っていられたのはSHIZUKUただ1人であった。
 他の女性は全員、座り込んで呆然としていたり、わけのわからぬ言葉を呟いたり奇声を発したりと、精神的な医療が必要な状態である。
 生きたまま像と化す。それはつまり、こういう事なのだ。
 SHIZUKUはしかし、自分の身体の臭いを気にしているだけだ。
「やだもー、変な臭いが取れない……あ、それよりも。助けてくれてありがとうございました。どこの事務所の人?」
「……私、芸能人じゃないから」
「え、そうなの? すっごい美人だし強いし、アクション出来る系の女優さんかと思っちゃった」
「強い……って貴女、見えてたの?」
「そんなスカートで動きまくるんだもの。ばっちり見えちゃうよん♪ パンチラとか」
 ブロンズ像と化したまま、視覚や聴覚を維持している。動けぬまま、人間の感覚を、意識を、保っている。
 普通であれば、ここにいる他の女性たちのように、正気を失う。普通ならばだ。
「伊達にオカルト系アイドルをやっているわけじゃないと、そういう事ね……」
「そんな事より臭い! 臭い、くさいよおお!」
 SHIZUKUが悲鳴を上げた。
「助けてくれたついでに、ねえ貴女の家のお風呂、貸してくれない? ええと」
「……イアル・ミラールよ。私は居候の身だから、勝手にそんな事は出来ない。まあ頼めば貸してくれるでしょうけど」
「じゃあイアルちゃん。今度一緒に、何かの番組に出よう!」
 SHIZUKUが、イアルに飛びついて来た。
「オカルト&アクションの新感覚エンターテインメント! あたしの知り合いのプロデューサーさん紹介してあげるから……って、ごめん。くっついたら臭いよね……」
「こんなもの、臭いうちに入らないわ」
 野晒しになって苔にまみれ、生き物の糞にまみれ、悪臭にまみれる。
 生きたまま像と化す。それはイアルにとっては、そういう事なのだ。