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<東京怪談ノベル(シングル)>


魔宝の少女たち


 魔界のとある画聖が、悪魔族の視点からエデンの園を描いたものである。
 完成と同時に、その画聖は死んだ。魔界でも天界においても伝説となっている逸品だ。
 これまで大量の贋作を掴まされてきた。贋作だけの美術館を、何軒も建てられるほどにだ。
 本物は、件の画聖が命を削り、魔力の全てを注ぎ込んで描き上げたものである。怨念にも等しい情念を宿しており、人間程度の生き物であれば見ただけで魂も生命も粉砕される。
 だから人間界にだけは絶対にない。長い間、そう思い込んでいた。
 愚かな思い込みであった。盲点であった、と言っていい。
「あの絵が……本物が、まさか人間界にある……? そんなわけない、って思ってたけど」
 黒い翼で夜闇を裂き、人間界の夜空を超高速で横断しながら、少女は呟き、息を呑んだ。
「間違いない……こっちの方向から、物凄い魔力と情念を感じる……ふふ、うっふふふふ……誰? 人間の分際で、あたしたち魔族の至宝を隠し持ってやがる身の程知らずは」
 心の高揚に合わせて、少女は激しく羽ばたいた。黒い羽が、ふわふわと舞い散った。
「あれは、あたしたちのもの……って言うか、あたしのもの。ふん、あそこね」
 城郭にも等しい、巨大な邸宅が見えてきた。画聖の残留想念、とも言うべき禍々しいものは、そこから立ち上っている。
 少女は黒い翼をはためかせ、空中で急停止した。
 前方で、もう1人の少女が空中に立ちはだかっている。すらりと綺麗に伸びた両脚で、夜空を踏みしめている。
 竜族の少女である事は、一目でわかった。背中を撫でる豊かな黒髪をはねのける感じに、皮膜の翼が一対、左右に広がり微かに羽ばたき、少女の細身を滞空させているのだ。
 艶の良い尻尾が、海蛇の如く夜気の中を泳ぐ。
 たおやかな両腕で、形良い胸の膨らみを抱くかのように腕組みをしながら、竜の少女は言い放った。
「魔法の美術品を盗みまくってる、悪魔族の怪盗! 貴女の事ね」
 可愛らしく生意気そうな顔に、一丁前な闘志が漲っている。よく見ると、角も生えているようだ。
 肌は健やかな小麦色。瞳は燃えるように赤く、黒髪には一筋の紫色が入っている。実に鮮烈な色合いであった。
(あれ……可愛い……)
 魔族の少女はつい、そんな事を思ってしまった。
 魔法の美術品にしか美しさを見出せない、自分の美的感覚に、この竜族の娘は何やら強烈に訴えかけてくる。
「人の物を盗むなんて許せません!」
 言葉と共に竜の少女は、皮膜の翼で空気を叩いた。
 小柄な細身が、尻尾を引きずりうねらせながら、なかなかの飛行速度で突進して来る。
 正面から迎えながら、魔族の少女は微笑んだ。
「いいわ。あの絵のついでに……あんたも、あたしのものにしてあげる」


 噂の怪盗を捕えて欲しい、というのが、その女性からの依頼である。
 美術品の蒐集家としても知られる魔法使いの女性で、秘蔵の絵画が、その魔族の怪盗に狙われているのだという。
 何でも屋としてファルス・ティレイラは、その依頼を引き受けはしたが、怪盗と呼ばれるほどの相手を首尾よく捕縛出来るかどうかはわからない。
 ただ、その絵画だけは何としても守り抜く。
 その決意を全身に漲らせ、ティレはぶつかって行った。
「うおおおおおおおっ!」
「っと……思った以上の、力ね」
 魔族の少女が、微かに息を呑む。
 黒い羽根が、ふわふわと舞い散った。
 カラスのような翼をはためかせる少女の細身に、ティレはしがみついていた。左右の細腕で、しっかりと。
「捕まえたわよッ!」
「ふふ……それはね、こっちの台詞」
 魔族の少女が、何かを空中に放り投げた。
 黄銅色の、シャボン玉のようなもの。その色艶はどこか金属的で、極限まで薄く引き伸ばした金属を球形に加工したかのようでもある。
 それが、浮遊しながら膨張した。
 空中で揉み合う少女2人を、まとめて包み込んでしまえる大きさである。
「包み込んだものをね、金属系の美術品に変えてしまう……魔法の球膜よ」
 言いつつ魔族の少女が、ティレの身体を思いきり蹴飛ばした。ふわふわと迫り来る、黄銅色のシャボン玉に向かってだ。
「あんた、どんな可愛いオブジェになってくれるのかしらねえ? スタチュー? レリーフのメダル? それともトロフィー? 何にしても、あたしが大事に可愛がってあげるからぁ」
「……貴女みたいな人、たくさんいました」
 ティレは呻き、羽ばたき、空中に踏みとどまった。
 巨大な魔法の球膜が、すぐ後ろに迫っている。
 ティレはもう1度、背中の翼をはためかせ、前進に転じた。
「正直またかって感じです。あたし、もう負けません!」
「この……ッッ!」
 魔族の少女が、再び蹴りつけてくる。
 その脚を、ティレは抱え込んで止めた。
 再び、空中での掴み合いになった。
「さあ、盗むのはあきらめて! お縄につきなさぁああい!」
「あの絵はね、もともと魔族のもの……人間界になんか置いといてもねえ、豚に真珠の極みでしかないのよっ!」
 人外の少女2名が、掴み合い揉み合いながら、金属のシャボン玉に呑み込まれてゆく。
 魔法の球膜の中、魔族の少女の細腕にアームロックをかけながら、ティレはようやくそれに気付いた。
「な、何よこれ……」
「あ〜あ……おしまいね。あたしたち、もう」
 魔族の少女が、やんわりとアームロックを振りほどき、抱きついて来る。
「魔法の球膜はね、出したが最後あたしでも消せないの。2人一緒に、このまま金属のオブジェに変わるしかないって事……ふふっ。あんた可愛いだけじゃなく、そこそこ魔力もあるみたいだからね。けっこう良さげな美術品になれるわよ?」
「ち、ちょっと放しなさい! ここから出しなさいってば!」
 ティレは暴れた。
 たおやかな細腕が、すらりと伸びやかな両脚が、じたばたと元気に暴れながら固まってゆく。
「ああん! 結局またこうなるのー!」
 泣き叫ぶ竜族の少女と、その身体に嫌らしくまとわりつく魔族の少女。
 そんな状態のまま2人は、金属像と化していた。
 金、銀、銅、鉄、いずれでもない魔法の貴金属で出来た美少女2人が、睦み合うように絡まりながら、巨大な皿を掲げている。
 それは、燭台であった。


 金属製の美少女2人が、大きな皿を担いでいる。
 そんな形の燭台が、魔法の球膜に包まれたまま、ふわふわと空中を漂って来る。
「あらあら、ご苦労様……いいお仕事をしてくれたわねえ、竜のお嬢さん」
 城郭の如き大邸宅。その露台で優雅にワイングラスを傾けながら、彼女は微笑んだ。
 労いの言葉も、燭台と化した少女には届かない。
 この何でも屋の少女は見事、依頼通りに魔族の怪盗を捕えてくれたのだ。
「困ったわね……お金は、誰に払えばいいのかしら?」
 ファルス・ティレイラの保護者のような女性が、いる事はいる。
 その女性が、いずれやって来て、2人の少女を元に戻してしまうだろう。
 そうしてしまうのが惜しくなるほど見事な燭台を、彼女はワイングラスを片手に、うっとりと見つめていた。