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<東京怪談ノベル(シングル)>


 氷結のスクルトゥーラ


 ――そうなんです、実はこの、SHIZUKUちゃんが――

 イアル・ミラールの部屋の中は静かだ。ただひとつ、光を放つテレビの音声を除いて。
 テレビの正面に座ったイアルはホットミルクティーの入ったカップの熱を確認するように、ティーカップの取っ手を持っていない方の手の指をカップに這わせるようにして持っていた。その赤い瞳が見つめるのはテレビの中の少女。

 ――実はあたし、例のブティックの都市伝説を突き止めちゃったんだよ!

 画面の向こうでパネルとして引き伸ばされた写真の解説を元気に行っているのはSHIZUKU――先日イアルが少女たちをブロンズ像化する魔女から助けた少女だった。未だコールタールの悪臭に悩まされているだろうに、きっとフレグランスでごまかしているのだろう。第一、共演者の体臭が気になったとしても本番中は顔や態度に出さない、それがプロたちというものだが、年頃の少女にとっては自分が悪臭を放っているというのは耐え難きものである。魔女に拉致されて数ヶ月休んでいた分を取り返したくもあるようだが人前に出るには悪臭が……彼女も相当悩んでいるに違いない、そんなことを思いつつ、イアルが少しぬるくなった紅茶に口をつけたその時。

「――SHIZUKU?」

 携帯電話が着信を知らせた。光と音と共にイアルを呼ぶその画面に表示されたのは、今ちょうど画面越しに見ていた少女の名前。
「もしもし?」
「ぁ、イアルちゃん? あたしあたし!」
「急に連絡してくるなんて、一体どうしたの?」
 確かに前に彼女を助けた際に連絡先を交換してはいたが、実際に連絡が来るのは初めてだった。彼女は芸能人であるし、特に今後関わり合いになる可能性はないだろう、そう思っていたから多少の驚きを禁じえなかった。
「あのね、今新しい都市伝説の調査をしてるんだよ。そこでぜひ、イアルちゃんにも手伝ってもらえないかな、なんて思ったんだけど」
「それは構わないけれど……なぜ私なの?」
「だってイアルちゃん、すっごく強いんだもん! あたしひとりじゃまたまた前みたいなことになるかもしれないし」
 一応SHIZUKUも前回のことは無謀な行動だったと反省しているようだ。そこで腕の立つイアルを誘ったのだろう。また厄介なことに首を突っ込もうとしていることには感心しないが、これは彼女のライフワークであるがため、恐らく注意してもやめることはないだろう。
(ここで断ってもし彼女に何かあったら、それはそれで寝覚めが悪いわよね)
 イアルは心の中で溜息をつく。それになんとなく、放っておけない気もして。
「わかったわ。落ち合う場所を指定して。そこで詳しい話を聞くわ」
 若干ため息混じりに告げれば、電話の向こうから「やったー!」と歓喜の声が聞こえてきた。


(『都会の雪女』……ね)
 渋谷のカフェでSHIZUKUと落ち合ったイアルは、今回の彼女の調査対象について説明を受けた。
 都会の雪女――都内の繁華街の路地裏を根城にしているという雪女は、季節に関わらず家出娘達を襲っているという。文明が進歩したおかげで夏場は建物内であれば空調が効いていて過ごしやすく、視線を少し動かせば家出娘達が目に入る。つまり食料となる家出娘達の調達には事欠かないという雪女にとってはこれ以上ないほど住みやすい場所なのだ。
 SHIZUKUはこの雪女によって家出娘達が十数人行方不明になっていることを突き止め、そしてこれ以上被害が広がることを防ぎたいと考えていたのだ。そこでイアルとSHIZUKUは今、ふた手に分かれて路地裏を歩いているのだが。
(普通に考えれば、あまり長居したい場所ではないわね)
 大通りと違って昼間でも薄暗く、人通りも少ない。誰か居ると思えば曰く有りげな人物ばかり。
「おねーさんどーしたのー? なにか困ってるなら力になるよー」
 ガムを噛みながら近づいてきた若い男の視線はあからさまにイアルの豊満な胸元へと注がれている。ガムを噛むくちゃくちゃという音が耳障りだ。SHIZUKUは大丈夫だろうか、イアルは一人で路地裏を歩いている彼女を思い浮かべながら、男を軽くかわして路地裏を進んでいった。


「雪女さーん……なんて呼んで出てきてくれたら苦労しないよね」
 ぶつぶつ呟きながら路地裏を行くSHIZUKUの瞳は、危険を伴う調査だとわかっていても都市伝説の解明に繋がるということでらんらんと輝いている。この前怖い思いをしたばかりだというのにまたこうして調査へと赴く気になったのは、心の何処かでイアルを頼りにしているからだろう。何かあったらきっと彼女が助けてくれる、不思議とそんな強い確信があるのだ。
「んー、この路地じゃないのかな?」
 T字型の分岐路に立ったSHIZUKUは、どちらに進むべきか迷って足を止めた。その時。
「お嬢さん」
 足元を冷たい風が通って行った。けれどもSHIZUKUはそれを、冬の初めを象徴するただの風だと思い、かけられた声になんの警戒心も抱かずに振り返った。
「家出少女には見えないけれど、こんなところで何をしているの? ここはお嬢さんのような子が来るところじゃないわ」
 そこに立っていたのは長い髪の美しい女性。ストレートの美しい髪がふわりと微風に揺れる。白いブラウスにルージュのような赤いベルトと白いフレアースカート。清楚な中に輝く赤が際立っているが、その女性もその場にいるのにふさわしくないように見えた。
「あ、安心して。補導員とかではないの。もし行くあてがないのなら、うちへどうぞ、と思って。変な人に捕まるより安心だから」
 控えめな化粧の中で、ベルトと同じ赤い唇だけが艷やかに見える。
 美しい女性だ、とSHIZUKUは思った――思った時には、すでに堕ちていたとも知らずに。
「……うん、一緒に……」
 頭のなかに靄がかかったようで、うまく思考を巡らすことはできない。ただ、この女性に全てを委ねれば安心だ、その思いだけは強くて。
 半分眠っているかのように瞳がとろんとしてくる。女性に取られた手が、やけにひんやり冷たいことに疑問を抱くこともできない。
「こちらへいらっしゃい」
 引き寄せられて抱きしめられてもぬくもりは感じられず、むしろ寒ささえ感じる。その違和感に気づかないまま、顎を持ち上げられてSHIZUKUの唇は女性のそれに重ねられて。
「ん……んぅ……」
 口の端から漏れるそれは苦悶の声ではなく快楽の破片。
 段々と末端から力が抜けていくのは、女性が唇から生気を吸い取っているからだとは思いもせずに、SHIZUKUはぞわりと遠くから忍び寄ってくる快楽に身を任せていく。
 眠気に似た、ふわりと身体が浮かぶような感覚。気が、遠くなる。けれどもそれがとても気持ちよくて。口内を蹂躙されることなど全く気にならない。
 眠るように、SHIZUKUの意識は薄まっていく。足先から、指の先から氷に変えられていることになんて気づきもしない。氷が身体にまで及んでも、彼女は快楽の中にいた。
 ニタリ、SHIZUKUの唇を奪ったまま、女性――雪女が瞳だけで笑った、その時。

「SHIZUKU!」

 鋭い声で氷となった彼女に声をかけたのは、イアルだった。



 時折捜索の進捗報告と互いの居場所を知らせるために、携帯で連絡をとりあうはずだった。だがSHIZUKUからは一度も連絡がなく、こちらからかけてもコール音が鳴り響いた後に留守番電話サービスへと繋がるのみ。不審に思ったイアルは駆けた。
 路地裏に散らかっている障害物を物ともせずに跳ねるように駆け、懸命にSHIZUKUを探した。彼女と別れた地点から彼女が向かった方向へ。分岐では勘で進むしかなく、引き返さざるをえないこともあった。だが、ようやくその姿を見つけた――だが、すでに遅く。イアルが見つけたSHIZUKUはすでに氷と化していた。
「あら、こちらのお嬢さんの知り合いかしら。あなたも私と仲良くしましょう?」
 雪女が優しそうな笑顔で微笑む。だがイアルは問答無用で彼我の距離を詰めた。素早く召喚したロングソードを振るう。雪女の白い衣服が破れ、血の赤が白を染めていく。
「あなた……何者……」
「その質問に答える必要はないわ」
 雪女の吐息が小さな雪像となってイアルに攻め寄る。けれどもそんなもの、ロングソードのひと薙ぎで破壊して、再び雪女へと迫る。
「せっかく居心地の良い棲家を見つけたのだから、こんなところで……倒れるわけには……」
 雪女の掌から放たれた吹雪は、カイトシールドで防ぐ。カイトシールドの表面が凍りつき、イアルの手にもその冷気が伝わってくる。長い間この吹雪を受けていたら、カイトシールドを持つ手が凍傷になるかもしれない。けれども、イアルは怯まない。彼女がやるべきことは、ただひとつだから。
「あなたにも永遠の眠りを味あわせてあげましょう。あなたが今まで食料としてきた少女たちが堕ちていった眠りに」
 近くの木箱を足場にして跳ぶ――ロングソードを下向きに構えて降りるのは、雪女の上。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
 路地裏に響き渡る悲鳴も、雑踏にかき消されて表通りには伝わらない。
 血も服も、すべてが粉雪のように砕け散り、そして溶けて消えた。
「SHIZUKU!」
 イアルは慌ててSHIZUKUの状態を確認すべく駆け寄った。生気を吸い尽くされてしまったとしたら完全な氷となってしまい、後は溶けて消えるのみ。まさか、彼女も――。
「あ、……あ」
 氷と化していたSHIZUKUが溶けていく。だがそれは溶けて何もなくなるという消え方ではなく、表面を覆っていた氷にヒビが入り、溶けていくような感覚。
「SHIZUKU……よかった」
 まだ完全に生気を吸われ尽くしたわけではなかったのだろう。イアルが雪女を倒したことでSHIZUKUの生気が本人へと戻り、氷化が解けたのだ。
「あ、イアル……?」
「SHIZUKU、貴方危なかったのよ」
「え? あれ? あたしどうしたんだっけ……」
 SHIZUKUの記憶は多少混濁しているようだが、彼女自身に後遺症のようなものはなさそうだった。イアルはため息を付いて、次に紡ごうとしていたお小言を飲み込む。
「何はともあれ、無事でよかったわ」
 今はそう言うのが、一番ふさわしいと思ったからだ。




■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■

【7523/イアル・ミラール様/女性/20歳/裸足の王女】



■         ライター通信          ■

 またのご依頼ありがとうございました。
 とても嬉しく思います。
 今回もイアル様とSHIZUKUのお話を、楽しく書かせていただきました。
 少しでもご希望に沿うものになっていたらと願うばかりです。
 この度は書かせていただき、ありがとうございました。