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愛、故に罪は深く
１．
カスミは心配しているだろうか？
イアル・ミラールは同居人であり、マンションの借主である響（ひびき）カスミを思う。随分な時が流れていた。こんなに長い時間、カスミにひとつの連絡も取れなかったことを悔やんでいた。
捕らわれ、人魚になり、ガーゴイルになり‥‥そして、恋仲になった人がいた。
イアルはカスミに長い間の不在の侘びと、恋に落ちた報告をするべくマンションへと戻った。
「ただいま、カスミ」
扉はいつものように開いた。しかし、一歩その部屋の中へと入ると違和感を覚えた。
「カスミ？ いないの？」
煌々とついた照明の下、うっすらと埃の積もったテーブル。緩く閉まった蛇口からは水が滴り落ちている。
どこにもカスミはいない。そして、その生活の跡すら消えかけている部屋の中。この部屋にカスミはいつから帰っていないのだろうか？
「わたしがいない間に‥‥カスミに何かあったの？」
心臓が早鐘のように脈打つ。不安が湧き上がる。
一刻も早くカスミを見つけ出さなければ‥‥！
イアルは、カスミのマンションを後にした。
まずは一番情報が集まるであろうカスミが勤める神聖都学園へと足を踏み入れる。もしここで出勤していなければ、さらなる情報を集めるつもりでいた。けれど、カスミはあっさりと見つかった。
「響先生なら音楽室か、音楽準備室にいらっしゃるかと」
そう言われ、イアルは迷いながらも音楽室と音楽準備室へと足を運ぶ。
音楽室。夕暮れの光の中に、カスミはいた。
「あら、イアル。久し振りね」
イアルは微笑むカスミの顔に安堵を覚えた。けれど、それはイアルの知るカスミではなかった。
２．
「連絡も寄越さなくてごめんなさい、カスミ。わたし、カスミに話さなければいけないことがあるの」
窓を背にするカスミに、イアルはそう切り出した。
「話さなければいけないこと？」
微笑むカスミに、イアルは自らの恋を告白した。そして、一線を越えたことも。
「彼女を愛しているの。突然こんなこと言ってごめんなさい‥‥。‥‥あのね、マンションに帰ったけどカスミはなにかあったの？」
イアルの言葉に、カスミは微笑んだまま。
「イアル、私にも好きな人ができたの」
「え？」
カスミの言葉にイアルはカスミを見つめる。けれど、その表情は揺るがない。
「とても素敵なのよ。毎晩のように私は泣いてしまうの。あの指が私を最高点まで上りつめさせてくれるの。狂おしいほどの快感をくれるの。足の先まで愛してくれるの。あの方が‥‥」
カスミの口元から唾液に光る舌が覗く。艶めく唇が赤裸々な言葉を吐く。
カスミはこんな女性だったのだろうか？
イアルはカスミの瞳から目が離せない。まるでカスミから吐き出された言葉が呪文のようにイアルの体を縛り付ける。
「あの‥‥方って‥‥」
ようやく絞り出した言葉にカスミはにっこりと笑う。それはイアルを誘うかのような不敵な笑み。
「魔女様よ」
カスミの表情に気を取られていたイアルは、今更のように気が付く。
長いカスミの頭髪の間からニョキッと生えた人らしからぬ２本の角。それは欲望のようにグネグネと曲がりくねっている。
サキュバスと融合してしまったカスミの姿。カスミはイアルのその頬に手を伸ばす。
「カスミ‥‥！！」
身をかわしたイアルだったが、それ以上の抵抗はできなかった。
冷たいカスミの指先が、イアルを離さない。魂まで吸い尽くそうとするそのキスにイアルの心は溶けていく。恋など必要ない、愛など無用の行為。
そしてイアルは、再びその身を石にしたのだった‥‥。
３．
「魔女様、イアルをお持ちしました」
「あらぁん！ 素晴らしいお土産を持ってきたのねぇ！ いい子よぉ〜♪」
魔女の秘密結社で魔女にイアルを差し出したカスミはうっとりとした表情を見せる。
「御褒美を‥‥ご褒美を早く‥‥！」
「あらあらぁん。せっかちな子ねぇ。そんなところも可愛いけど‥‥この子を先に何とかしないとねぇ」
魔女はイアルの石像を見ながら目を細める。この後どうするべきか。どう料理してやろうかと。
そんな魔女に体をすり寄らせて、カスミは恍惚とした表情をする。魔女の体に触れることを許されるだけでも幸せだと言わんばかりに。
「そぉだ〜☆ あそこにいいものがあったわねぇん。うふふっ、ご褒美あげちゃうわ〜ん♪」
魔女はそう思いつくとカスミの体を押し倒して、その体を弄び始めた。
イアルは、冷たい水の中にいた。
濁った水。磯の香り、腐った海藻の匂い。それらが入り混じって更なる悪臭を呼ぶ。
表向きは風光明媚でとある富豪の持つプライベートビーチとして普段から立ち入り禁止の場所だった。けれど、実際は魔女の秘密結社が所有する魔物が徘徊する入り江。地元では色々な噂のある場所だった。
イアルが意識を取り戻したのは人１人がようやく寝転がれるような場所だった。
「‥‥こ、ここは‥‥？」
暗い。いや、何も見えない。動きの鈍い体を動かし、その手で場所を特定しようとした。けれど、すぐにぬるりと異臭の放つ壁にぶち当たる。
‥‥いや、これは壁なのか？ 濡れた感触と少しだけ柔らかい手触り。背中にゾワリとした悪寒が走る。
「カスミ‥‥カスミ！！」
意識を無くす直前まで一緒にいた筈のその名を呼ぶ。けれど、返事はない。
わたしは‥‥カスミはどうなったというの！？
「カスミ！ 返事をして！！」
柔らかな壁を叩きながら必死に脱出できる様な場所を探す。けれど、光はおろか小さな隙間すら見つけることができない。
「くっ！？」
ここは一体どこなのか？ 微かに混じる磯の香りから海の近くだということはわかる。けれど、それ以上のことを判断する材料が見つからない。
『あらあらぁ？ お目覚めかしらぁ？？』
どこかそう遠くない場所からそう声がした。イアルはその方向を特定しようと耳をそばだてる。
『うふふっ、ここがどこかなんて考えない方がいいわよぉん？ 知ったところでどうしようもないんだからぁん♪』
聞いた覚えのある声。誰？ そして、どこにいるの？
『あなたは今から綺麗な真珠になるのよぉん♪ 綺麗な真珠にねぇ』
真珠‥‥？ 真珠って‥‥。
真珠は阿古屋貝の中で作られる宝石だ。ぬるりとした壁が生き物のように蠢いた気がした。
イアルは戦慄した。
「ここは‥‥貝の‥‥中‥‥！？」
『御名答♪』
普通ではありえない人を丸ごと飲み込んでしまうほど大きな阿古屋貝。それは魔女が飼育するモンスター。イアルは悪臭を放つ真珠層を体中に撒かれ、その中で石化を解かれていたのだ。
『あなたなら、きっと綺麗な真珠になるわぁん♪』
魔女の楽しげな声も脱出しようとするイアルの耳には遠い声に聞こえ、そしてついには聞こえなくなった‥‥。
『ほぉら‥‥綺麗な真珠の出来上がりよぉん♪』
ほのかにピンク色がかかった美しい真珠。しかし、それは人型をしている。
よく見るとうっすらとその中には人が入っているように見える。
徐々に真珠になっていく恐怖をその顔に刻み、しかしながらその美しさは真珠のそれに勝るとも劣らない。
イアル真珠。
魔女の罠にかかった美しくも悲しい真珠の出来上がりだった。
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