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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


■ 不可視のオブジェ ■





 いつも目を奪われるのは彼女の燃えるような赤…というよりは朱の髪。足首ほどまである長いその髪を束ねるでもなくマントのように背中に揺らしている。そしてその髪とは裏腹に全てを凍てつかせそうなアイスブルーの瞳。その深奥に吸い込まれそうな錯覚を覚えながらティレイラは笑みを返した。
「お久しぶりです、姫」
「いらっしゃい、ティレ。シリューナもどうぞ入って」
 見た目通りの可愛らしい声でそう言うと、生成のワンピースの裾をそっと翻して“姫”は2人をその大きな館の奥へと促した。
 彼女は皆から“姫”と呼ばれている。名前ではなく実際にどこかの世界のお姫様らしい。だが皆が彼女を姫と呼ぶのはそれだけが理由ではない。むしろその事を知らない者も彼女を姫と呼ぶ。彼女の一人称が姫だからだ。彼女曰く、その方が厨二を患った残念な奴感覚で皆から気さくに話かけてもらえるかららしい。
 そんな姫に促されるままティレイラはシリューナと共にエントランスホールの先にある広いサロンに案内された。ここに訪れるのは初めての事ではない。相変わらず毛足の長い高級そうな絨毯が敷かれた部屋。一枚板らしい黒塗りの大きなテーブルが一つある。埋もれるほどふかふかのソファー。天井は高く大きなシャンデリアが明かりを灯している。隅に置かれたグランドピアノが自動演奏で心地よい調べを紡いでいた。
 程なくして使用人らしい老婆が運んできたアフターヌーンティーが芳醇な香りを部屋中にまき散らし始めたが、残念ながらというべきか、ティレイラの気を引いたのは部屋の雰囲気と噛み合わない陳列物の方だった。シーツがかかっていてそれらが何であるのかはわからないが、そこには胸弾む期待感と、言いしれぬ不安が混在していた。
 これらが、姫がシリューナを館へ招待した理由だろう。そして、シリューナがティレイラを同行させた理由も実はその辺りにあるのだ。
 姫とシリューナは趣味と好みが合致した似たもの同士…もとい同好の士であった。最近手に入れた品々を互いに見せ合い、褒め合い、自慢しあい、堪能し合う。サロンに並べられているのはその為に用意された姫のお気に入りたちで、ティレイラが連れて来られたのは、運び屋たる彼女にシリューナのお気に入りを運ばせるためだった。こういう時、師でありお姉さまのような存在でもあるシリューナが自分を頼ってくれる事は素直に嬉しいティレイラである。
 嬉しい…のだが。
 そこにあるのは胸弾む期待感と、言いしれぬ不安。そう、不安が存在する。
 正直に言えばここに、あまりいい思い出はなかった。その半分くらいは間違いなくティレイラ自身が原因であり自業自得ではあるのだが。そう例えば、怪しげな魔道具をうっかり作動させて巨大な蛙に飲み込まれた事があった。あの時は蛙の卵のようなゼリーの中に閉じこめられてしまって大変だったのだ。しかも、質感といい見た目といい完全にゼリーなのに無駄に弾力があって暴れるどころか動く事も出来ず3日3晩、シリューナ達の観賞用オブジェにされた。音はゼリーに阻まれ全く聞こえなかったが、彼女たちが自分を見ながら何を話していたのかは想像に難くない。
 それでも最後にはちゃんと助けてくれるのだが。
 嫌な思い出に噛み潰した苦虫をティレイラは紅茶で喉の奥へと流し込んだ。ほっと一息吐くと、シリューナとの会話に夢中だった姫が空になったカップを置いて立ち上がるところだった。
 いよいよ、お披露目会が始まるらしい。
 姫が一番端に置かれたもののシーツを取った。
「おお!」
 思わずティレイラが声をあげる。
 シリューナが立ち上がりそれに近づいた。翼を持った獅子のような姿の見た目は石膏像のように見える。しかし勿論、ただの、ではあるまい。
 やっぱり胸がワクワクと踊り始めるのを止められなくて、ティレイラもさっそく近づいて喉の辺りを軽く撫でてみた。刹那。
 ―――!!
「!?」
 それが吼えた。
「う、動いた!?」
 石膏のように見えたのに、柔らかく滑らかな毛の感触があるな、と思った途端、“それ”はティレイラに向かって吼えたのだ。あまりの事に驚いて、一瞬体がビクッと飛び跳ねた。それほど迫力のある咆哮だったのだ。
 しかも、その後もティレイラを睨みつけるように唸っている。
「ひぇ〜…お姉さま〜」
 思わず、ティレイラはシリューナの背中に回っていた。竜族である事を思い出せば、その力の差は歴然であるはずだったのに、完全なる迫力負けである。
「あらあら、大丈夫?」
 シリューナは笑って心得顔で“それ”を宥め賺す。
「この子は番犬用に作られた魔像なんですって」
 どうやらティレイラが聞いていなかっただけで、事前に姫から説明があったらしい。だからシリューナは近づくだけですぐに触れる事はしなかったのか。
 ティレイラは自分の迂闊さに半ば呆れながら再び魔像を見上げた。アメジストの瞳がティレイラを見下ろしている。
「ごめんね、驚いたでしょ?」
 優しく声をかけると魔像は首を傾げた。言葉が通じているのかいないのか。だが、その仕草が子犬のようで愛らしい。
「触ってもいいかな?」
 声をかけるとはその子は姫の方を向いて、それからゆっくり頭を下げて4本の脚を折り座るというよりは寝そべった。「どうぞ」と目配せする姫に頷いて、恐る恐る手を伸ばす。やはり見た目と違ってふかふかでもふもふの毛並みだ。
「気持ちいい〜、かわいい〜、この子名前はないんですか?」
 思わず頬摺りしてしまう。これが魔像というのか。温もりさえ感じる。まるで生きているみたいだった。
「残念ながら、つけてはいないわね」
「でも、さすが姫ね。スノーホワイトの優しい色味も素敵だけれど、何よりこの肌触りがいいわ。まるでカシミヤのよう」
 シリューナは腹の辺りを撫でながら言った。柔らかな毛に覆われているが、意外に筋肉質らしいそのボディが描く引き締まったラインを楽しそうになぞっている。制作者のこだわりを感じずにはおれないのだろう。
「ふふふ、門の横にでも置いて門番にって言われたんだけど、外に置いておくには勿体ないでしょ?」
「ええ、部屋に飾って心行くまで楽しみたいわよね」
「シリューナならそう言ってくれると思ったわ!」
 何故か3人並んで座ってこの子の腹の辺りに背もたれる。
 シリューナと姫はこの子について熱く語り始めた。ティレイラはといえば高級な毛布に包まれたような気分で誘われるように目を閉じ眠りについていた。いろいろ逸品を用意しているのに1つ1つに相応の時間が費やされる。いつもの事だから、少しくらいうたた寝したところで叱られるような事もあるまい。
 それからどれくらいそうしていただろう。
 やがて、シリューナがティレイラに声をかけた。
「今度は私の番かしらね。ティレ、お願い」
「はい!」
 ティレイラは元気よく頷いてシリューナの逸品を取り出したのだった。


 ▽▽▽


 何時間というレベルではない。何日というレベルだ。
 とにもかくにも、シリューナとティレイラがこの館に呼ばれて数日後のその日、姫はとっておきとやらを奥の部屋から白い手袋をはめて大仰そうに持ってきた。
 取り扱い厳重注意とされるそれは全ての魔法や攻撃を弾く保護の力が籠められた魔法金属によって作られたという不可視の盾だった。どこが不可視なのかというと、見た目の盾自体はそれほど大きくないのだが全方位シールドを展開するらしい。
 らしいというのは、姫自身それを目の当たりにしたことがないからに他ならないようだ。
 毎回痛い目に遭うのに好奇心には勝てなくてティレイラはワクワクしながらテーブルの上にそっと置かれた盾を覗き込んだ。黒光りした表には花のような文様が刻まれている。
 そういえば中国という国の故事に矛盾という有名な話があったな、などとティレイラはそんな事をぼんやり思い出して尋ねた。
「全ての魔法ってどんな規模のものでも全部防いでしまえるんですか?」
 触っていいものなのかマジマジと見つめていると、姫はわずかに首を傾げて答えた。
「ええ、と言いたいところだけれど、試してみたことはないのよ。貰い受ける時にそう聞いただけで」
 ごもっともな話だ。そもそも全方位シールドを展開した姿も見た事がないのだから、実際にどれくらいの攻撃を弾く事が出来るのかも知りようがない。
「ふむ…」
 シリューナが腕を組んで考え深げに盾を見つめている。
「そもそも、どうやって使うんでしょうね?」
 ティレイラは思い切って盾を手に取ってみた。全方位シールドという言葉から察するに、透明な膜が球体のように守護対象を囲むように張られるのを想像するが。果たしてそれは、事前に何かをすべきものなのか、それともただ攻撃に対してこの盾を翳すだけで自動発動するものなのか。
「魔力を注ぎ込めばいいみたいなのだけれど、姫は魔法が使えないでしょ?」
 姫は同意を求めるような口調で言って残念そうに肩を落とした。
 厳密には使えないのではなく姫としての制限を受けているらしいと、以前シリューナから聞いた事がある。なんでもその力が強大すぎるため抑制装置を体に埋め込まれているとか何とか。
「魔力を注ぎ込むか…」
 とはいえ、勝手に試していいものではない。
 すると。
「もちろん私たちに見せて、そんな話をするという事は、そういう事なのよね?」
 シリューナが姫に向かって確認するように尋ねた。それに姫はぱっと明るい笑顔を取り戻して「ご明察」と頷く。
 つまりは、そういうことなのか。
「ティレ、試してごらんなさいな」
「はい!」
 ティレイラは元気よく頷いて立ち上がると盾を掲げ持った。魔力を練りこみ盾に注いでみる。しかし特に魔法金属が反応している様子はない。
 シリューナは顎に指をあてて考えるような素振りをみせた。
「魔力が小さすぎるのかしら?」
 一つの可能性を呟いて立ち上がる。
「しょうがないわね」
 ティレイラの肩にそっと手を置きシリューナはサポートするように魔力を籠めた。その導きとシリューナから流れ込んでくる魔力にティレイラは再び盾へと魔力を注ぎこむ。
 その力に反応したのだろうか、盾が強い光を放った。
「なっ!?」
 思わずティレイラが驚きの声をあげる。あまりに強烈な光に目を焼かれそうになって目を閉じた。盾を握っていた手に冷たくも柔らかな感触が伝ってきたかと思うと、それはぬるりとまとわりつきその腕を這い上がってくる。
「キャーッ!!」
 ティレイラの悲鳴にシリューナも驚きの表情を隠せないまま口の中で小さく詠唱し片手をあげた。
 ティレイラは半ばパニック状態でシリューナに助けを求める。
「お姉さま!! キャー!! 助けて!! 嫌ーっ!!」
 両手をバタバタと振り回しまとわりつく黒い物体を引き剥がそうと試みるも離れる気配はなく、それどころか肩や首、胸へと浸食域を増やしていった。
 涙を浮かべているティレイラに向けてシリューナはあげた手をそっと振り下ろす。既に盾の形を擁さず液状と化した魔法金属はティレイラの半身を包み込んでいた。そこへ向けて魔法攻撃を試みたのだ。しかしそれは魔法金属に弾かれ逆にシリューナに跳ね返ってくる。反射的に防御魔法で難を逃れたが。
「お姉さ…」
 ティレイラの声は彼女を飲み込んだ魔法金属によって閉ざされたと同時ティレイラを全身コーティングしたそれはどんな攻撃をも弾く堅い塊と化していた。
「……」
 シリューナはゆっくりと息を吐く。
「全方位シールドって…これじゃぁ、シールドというよりアーマーね」
 とはいえティレイラは動き出す気配もない。動けないのだろう。一見黒く薄いアーマーのように見えなくもないが、アーマーとしては使いものにならないだろう。かといってシールドとしても…かろうじて保護の力はあるのだがいかがなものか。保護の対象を人ではなく建物…城などにすれば使い道はあるかもしれないが、それにしても…などとあれこれ考えていたシリューナだったが、程なくティレイラの固まった姿をよく見直して、その結論にたどり着いた。
「実用性は乏しいと思ったけど…これはっ!」
 ティレイラにそっと手を伸ばして感嘆の声をあげる。泣きじゃくるティレイラの豊かで愛らしい表情に無意識に頬が緩んだ。オブジェとして飾っておくには充分実用的だと感じたのだ。皮膜のように薄くコーティングされているからなのだろう、肢体のつくる美しい曲線だけではなく、髪の一本一本までがわかるほど精密な像を造っている。
 しかし、ともすれば盾の質量とティレイラをコーティングしている金属の質量が一致しないような…。
 ハッとしてシリューナはそちらを振り返った。姫がどこか期待に満ちたようなそれでいて焦れったげな顔をしている。
 その視線の先を追うようにシリューナは視線を自分の足下へと落とした。“残りの”魔法金属がそこにあった。反射的に無効化をはかるがそもそもこの魔法金属は全ての魔法を弾くものだ。それはもう、敵が放ったものだろうが保護対象が放ったものだろうが関係なく。この魔法金属は注ぎ込まれた魔力によって保護対象を判別しているのだろう。
「もしかして…かしら?」
 悟ったようにシリューナは姫を睨みつけた。足を縫いつけるように魔法金属がシリューナにまとわりつく。
「そんな、まさか!」
 大げさに手を振って、それから姫はにこにこして続けた。
「たまにはこういう不慮の事故もありましょう」
 最初から知っていたような顔だ。
「……」
 金属は瞬く間にシリューナを覆う。シリューナは諦念に満ちた表情を一瞬垣間見せたが、竜族としてのプライド故か威厳を保ったまま固まった。
「やったわ! 成功ね!!」
 姫のはしゃいだ声が魔法ではないからかシリューナにまで聞こえてくる。それどころか、目もしっかり見えた。
「昔年のあれやこれやは、これでチャラにしてあげますわ」
 どうやら魔法道具の見せ合いや自慢や時に取引などをしている過程でついうっかり、ティレイラのように姫のことをからかってきた、あれやこれやの鬱憤が姫の中で累積していたようだ。これはその腹いせという事か。となれば、ある意味これは因果応報というやつである。シリューナは観念した気分で内心ため息を吐いた。
「本当に、美しいわね」
 まだ幼さの残るティレイラと、それとは違って完成された美を放つシリューナの像。その二つを同時に愛でられるという事もあってか、姫の喜びようは尋常ではない。
 嬉しそうにシリューナを見上げると、抱きつき、その感触を確かめるように手のひらでその肢体を撫でまわし始めた。
 それは薄衣一枚を隔てて触れられているような感触がシリューナにも伝わってくるのだが、姫はその事に気づいているのかいないのか。
 しかし表情一つ変わることのない、或いは変えることの出来ないシリューナに姫はただ独り言のように語りかけている。
「この金属はね、その質感をあらゆるものに変化させることが出来るんですのよ」
 頬摺りするようにしていた彼女の指輪が光ったと同時、シリューナを包む冷たいメタリックな感触が少し温もりのある木のそれへと変化した。シリューナ自身もその肌触りの変化は感じ取れた。
 不可視の盾、なるほどその言葉の意味をしみじみと感じ入る。纏っている者からそれは見えず、外側にいる者にも真の姿を見せる事のない盾。おもしろい。出来れば自分が外側から堪能したい。
 隣にはティレイラのオブジェもあるはずなのだが、この角度からだと見られないのが口惜しかった。せめて、もう少し向きを変えてはくれないだろうか。
 だが、当然シリューナの願いは届くべくもなく、姫はまだ、材質変化を楽しんでいた。
 表面はガラスになったり、水になったりもする。とはいえ、水になったとしても肌触りがそうなるだけで、プールの中に飛び込んだような感覚にはなるものの、実際に水になっているわけではないため、相変わらず1mmも動く事が出来ないのだが。
 姫とは、よく知った同好の士だ。変化しなくとも1日や2日ではとても飽きそうにない。自分がそうなのだから、間違いない。ともすれば何週間このままか想像もつかなかった。
「その美しい姿を、逆に愛でられる気分はどうかしら?」
 姫が問いかける。もちろん、それに答える術は、今のところ、シリューナにはない。
 完全に姫の独壇場だ。
 何はともあれ。
 ティレイラと2人並べてサロンの真ん中に置かれ、姫に撫で回されるたびにくすぐったいと感じながら、さても後でどんなお仕置きをしてやろうかと考えるとそれはそれで楽しい気分にもなるシリューナなのだった。





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