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<PCシチュエーションノベル(グループ3)>


終熄と旅立ち


「まあ良い機会だと思って下さい。こんな目にでも遭わなければ休まないでしょう、フェイトさんは」
 来客用のパイプ椅子に腰を下ろし、長い脚を優雅に組んだまま、ダグラス・タッカーは微笑んだ。
 ベッドに横たわったまま、フェイトは言葉を返す事も出来ずにいた。
 声を出す気力も湧いて来ない。
 疲労か、倦怠感か、脱力感か、単なる眠気か、よくわからぬものが全身を支配している。
 手足を動かすのも億劫である。布団を押しのける事が、出来ない。
「貴方の体内で凝り固まっていた疲労やダメージが、解きほぐされた結果です」
 ダグは言った。
「私も1度やられた事がありますけどね。いやあ、3日ほど起き上がる事が出来ませんでした。ですが4日目以降の体調はすこぶる良好でしたよ」
 体内が、何ヶ所か破裂していた。
 その傷は癒えている。少なくとも、内出血の類は止まっている。
 しかしフェイトの肉体の、活力そのものも止まっていた。
 対象者の肉体を無理矢理、休眠状態に陥らせる。それが彼女の能力であるようだ。
 動けぬままフェイトは、いつの間にか病院に運び込まれていた。強制入院である。
「彼女も言っていたと思いますがフェイトさん。貴方の身体は元々、大規模なメンテナンスが必要な状態だったのですよ」
「…………おいダグ……何だ、それは……」
 フェイトはどうにか、声を発する事が出来た。
 動かぬ片手を無理矢理に布団から出し、人差し指を向ける。
 ダグが優雅に腰掛けているパイプ椅子。その傍に置かれた、黒い大型のトランクに。
「何で……それが、ここにある……」
「手ぶらでお見舞いもないでしょう? 私からの、ほんの心ばかりの品ですよ」
「こっちは、俺からの見舞い品だ。後で読んでおけ」
 もう1人の見舞客が、そんな事を言いながら封筒を軽く掲げる。
 辞令の類であろう。中の書類に何が書かれているのか、想像はつく。
「俺への……ペナルティ、ってわけですか……ディテクター隊長……」
「隊長はよせと言ったはずだ」
「他に……適切な呼び方も、ありませんし……そんな事より……あの、2人は……?」
「心配するな、自力で脱出している。いずれ見舞いにも来るだろう。全員、任務達成の上で生還を遂げた。お前も御苦労だったなフェイト、この機会にゆっくり休め」
「任務達成……」
 本当にそうなのか、とフェイトは思った。ディテクターとて、心のどこかでは疑問に近いものを感じているのではないか。
 確かにドゥームズ・カルトは滅びた。
 だが構成員の中で最も危険な2名が『実存の神』を抱えたまま野放しとなっている。
 彼らの行き先はわかっていた。だが。
「そんな連中は知らん、と言われた」
 ディテクターが言う。
「そう言われてしまえば、それ以上の事は出来ん。あの製薬会社……と言うより、あの研究施設は、IO2としても無理を押し通せる相手じゃないからな」
「そうですね……」
 とにもかくにも、組織は壊滅した。
 逃亡中の構成員2名が、何かしら新たな動きを見せない限り、IO2としても手の打ちようがない。
 ドゥームズ・カルトに関しては、ひとまず終了とするしかないだろう。
 ダグが、ゆらりと立ち上がった。
「では、私はこれで……」
「心当たりが、あるんだろう? ダグラス・タッカー」
 ディテクターが、声を投げる。
「ドゥームズ・カルト残党の2名……少なくとも、その片方の行方を、お前なら知っていると思うんだがな」
「仮に知っていたとしても、私の力で彼を捕縛する事など出来ませんよ」
 病室を出て行く前に、ダグは1度だけ振り向いた。
 眼鏡の似合う知的な顔立ちが、フッ……と微笑んだ。
「人の迷惑になる事をあまりしないように釘を刺す、程度の事なら……まあ出来なくもありませんが、ね」


 後部座席の扉が開いた。
 ウィスラー・オーリエは乗り込み、ソファーのような豪奢なシートに身を沈めた。
 オーリエ財団の主軸とも言うべき、いくつかの欧州企業。その社長たちの会合に、顔を出したところである。
 報告を聞き、指示を与えた。
 その指示に、あの社長たちは果たして従ってくれるであろうか。
 全員、オーリエ家の次期当主であるウィスラーを、表面上は崇拝している。内心では軽んじている。
 無能な御曹司を擁立して私腹を肥やそうという者たちの集まりなのだ。
「何名かに……死んでもらう必要が、ありそうだな」
 細い顎に片手を当て、ウィスラーはにやりと笑った。
 自分には、ドゥームズ・カルトという後ろ楯がある。
 企業社長の1人2人、殺人事件という形にならぬよう消えてもらうのは容易い事だ。
 まあ、それは明日で良い。今日は疲れた。
 運転手が、声をかけてくる。
「どちらへ行かれますか?」
「このまま帰宅する」
 ウィスラーが答えても、しかし運転手は車を出そうとせず、わけのわからぬ事を言っている。
「ほう……貴方に、帰る場所があるとでも?」
 嫌味なほどに眼鏡の似合う、理知的な、あるいは狡猾そうな顔が、運転席で振り向いた。
 褐色の肌をした、恐らくは混血の青年。
 ウィスラーは思わず車内で立ち上がり、車の天井に頭をぶつけそうになった。
「貴様……ダグラス・タッカー!」
「記憶と認識能力に、いくらか難あり……と聞いていましたが、私の事は覚えてくれていたようですね」
 ダグラスが、意味不明な事を言っている。
「ですが、やはり……重大な事実を1つ、認識しておられない御様子。現実を受け入れられないお気持ち、わからないでもありませんがね」
「何を言っている……」
「ドゥームズ・カルトは滅びました。貴方の後ろ楯、と言うより貴方の存在意義そのものが失われてしまったのですよ」
 虚言を弄し、人の心を惑わす。それが、このダグラス・タッカーという男だ。
「本物が、帰って来ますよ……本物以上の何かとなって、オーリエ財団を取り戻すために」
「貴様は何を言っているのだ」
「何もかも捨てて、今すぐ逃げなさいと。そう申し上げているのですよ」
 運転席の扉が開いた。
「単なる従業員としてなら、タッカー商会で雇って差し上げます。貴方でも出来るような仕事は、いくらでもありますからね」
「どこへ行く、貴様……」
「今、気がつきました。この車、爆弾が仕掛けられていますよ」
 言葉を残し、ダグラスが車外へと去って行く。
「貴方、ドゥームズ・カルトの威を借りて随分と好き勝手をしていたようですね……恨まれていますよ?」
 そんなダグラスの言葉を最後まで聞かず、ウィスラーは車の外へと飛び出した。そして駆けた。
 爆風が、背中を激しく押した。
 車が爆発していた。
 前のめりに転倒したウィスラーの背中に、細かな破片が降り注いで来る。
「ひぃ……っ……」
 悲鳴を漏らしながらも、ウィスラーは安堵した。爆死は免れたのだ。
 だが次の瞬間、ウィスラーは気付いた。自分が助かった、わけではない事にだ。
「何でぇ、逃げ出しやがったのか……今ので、楽に死んでりゃいいものをよォー」
 武装した男たちの一団が、いつの間にかウィスラーを取り囲んでいた。
 全員、防弾装備でガッチリと身を固め、小銃やハンドガンを携えている。
「へっへっへ、ちょいと武装し過ぎちまった。護衛が付いてやがるって話だったからよ」
「来てみたら、護衛なんざぁ1人もいねーでやんの。おめえ見捨てられてんなあ、お坊ちゃんよぉ」
 誰だ、とウィスラーは思った。この男たちは一体、誰の飼い犬なのか。
 叔父か、従兄弟か。それとも自分がかつてドゥームズ・カルト大幹部就任の際に、組織の力で隠居の身に追い込んだ父なのか。あるいは、あの社長たちの誰かか。
 誰であるにせよ今、ウィスラーに出来る事は、命乞いだけだ。
「ま、ままま待て、お前たち……いくらで雇われたのだ。私がその倍、払うから……」
「払えるワケねーだろお? 今のおめえさんが自由に出来る金なんて、この財団にゃあ1ユーロだってねえんだよ」
「ドゥームズ・カルトも、なくなっちまったんだ。今のアンタはなあ、言ってみりゃ飼い主に死なれた犬ッコロよ。殺処分するしかねーだろおお?」
「悪いけどよ、楽に死なせてやるワケにゃあいかねえ。おめえの面の皮ぁ、剥がして持ち帰るように言われてんだよ」
 1人が、ナイフを抜いた。
「生きたまんま、剥がさしてもらうぜ。死んじまった後だとよぉ、肉とか皮とかガッチガチに固まって上手く剥がせねーからよ」
「ひっ……!」
 立ち上がれぬまま、尻を引きずって逃げようとするウィスラーの身体を、他の男たちが押さえつける。
「た、助けろダグラス・タッカー! 私を助けろ、助けんかあああああ!」
「誰も助けやしねえよ。おめえはなあ、この財団にとっちゃあ……ま、ゴミみてえなもんだしな。もう」 
 そんな事を言っていた男が、ウィスラーの顔面にナイフを近づけながら突然、砕け散った。
「ゴミ……と言ったか? 貴様たち」
 声に合わせ、蛇に似たものが宙を泳ぐ。
 いや、蛇ではなく百足か。
 節くれだった甲殻をまとう細長いものが、先端で牙を剥きながら、男たちに襲いかかる。
「無様に敗れ、ゴミとして扱われる……それが、いかなる事であるのか。では私が、お前たちに教えてやろう」
 さらに2人の男が、百足に食いちぎられて飛び散った。
「なっ……何だぁ!? てめええ!」
 残った男たちが、一斉に小銃やハンドガンを構える。
 いくつもの銃口の先では、黄金色の炎が燃え盛っていた。
 炎にも似た金色の獣毛を、装束の如く全身にまとう1人の男。
 男であろう。だが人間ではない。ウィスラーの貧弱な身体を、一回りほど筋骨たくましくしたような体格である。
 その全身あちこちで炎のように揺らめく金色の体毛を、掻き分けるようにして、何匹もの百足が生え伸びていた。牙を剥く、甲殻質の触手たち。
「どうした。私の顔面の皮を、剥がすのだろう?」
 そんな言葉を発する顔面に、しかし皮膚はない。剥き出しの頭蓋骨が、角を生やし、炎の如き頭髪を揺らめかせ、眼窩の奥で鬼火のような眼光を燃やしているのだ。
「誰の命令であるのか……心当たりが、あり過ぎてわからん。まあ、出来るものならやって見せろ」
「この……バケモノ野郎!」
 小銃が、ハンドガンが、一斉に火を噴いた。
 ひたすらに銃弾の嵐をぶっ放しながら、男たちはことごとく砕け散った。
 金色の炎をまとう怪物が、拳を振るい、甲殻の鞭を一閃させている。
「撃ちまくるだけの銃火器で……麒麟の俊速を、止められると思うのか」
 ゆったりと動きを止める怪物の周囲で、男たちは1人残らず、防弾装備もろとも引きちぎられ、叩き潰され、ぶちまけられている。
 ウィスラーは、腰を抜かしたまま息を飲んだ。
 この怪物は一体、何者なのか。ちなみに自分は、ウィスラー・オーリエだ。
「私は……私が……」
 爆死は免れた。顔面の皮膚も、剥がされずに済んだ。
 それなのにウィスラーは今、脅かされている。自分というものの、全てをだ。
「私が……ウィスラー・オーリエ……なのだぞ……」
「どうするのですか? ウィスラー氏」
 ダグラス・タッカーが、いつの間にか近くにいた。百足を生やした怪物に、そんな言葉をかけている。
 何を言っているのだ、とウィスラーは思った。ウィスラー・オーリエは、ここにいると言うのに。
「生かしておく理由も、まあ見当たらないとは思いますが」
「自分の姿を見せつけられる。それが、ここまで……腹立たしいものであるとは、な」
 怪物が言った。
「まったく……はらわたが煮えてしまいそうなほどに、腹立たしいぞ。殺してくれようか、とは思うが」
 燃え盛る鬼火のような眼光が、頭蓋骨の中からウィスラーに向けられる。
「殺すのは、いつでも出来る……使い道を考えておくとしよう。それよりダグラス・タッカー、貴様が何故ここにいる?」
「見届けなければいけませんからね。貴方がオーリエ財団という檻の中に、戻ってくれるのを」
 ダグラスが軽く、眼鏡を押し上げる仕種を見せた。
「貴方を野放しにさせておくと、血生臭い事しか起こりません。しばらくは財団の経営に専念して下さい。世界平和と、欧州経済界の安定・発展のためにもね」


 ディテクターから受け取った封筒の中身を、フェイトはちらりと確認した。
 じっくり読み込むほどの事が、書かれているわけではない。
「停職処分……か」
 数カ月間、給料が出ないという事だ。
 これまでの蓄えがあるから、生活には困らない。ただ、する事がなくなってしまっただけだ。
 バイクでも買って、日本国内を旅してみるか。そう思った事に、大した理由はない。
 問題が1つある。
 退院時、私物として返してもらった荷物の中に、黒い大型トランクがあったのだ。
 フェイトの私物など大したものではないから、そのトランクが荷物の大部分であると言っても過言ではない。
「おいダグ、忘れ物だぞ……」
 この場にいない、恐らくもう日本国内にいないであろう御曹司に、フェイトは声をかけた。もちろん返事はない。
 ダグラス・タッカーが、意識的に忘れ物をして行った。ディテクターが、それを黙認した。
 2人してフェイトに、厄介なものを押し付けて去ったという事だ。
 停職期間中、何かをしろと命令されたわけではない。給料が出ないのだから、命令される筋合いもない。
 ただ、この黒いトランクを置いて行かれただけだ。押し付けられただけだ。
 フェイトは、溜め息をついた。
「俺は、ただ……1人でのんびりバイク旅行でもと思って……こんなもの着て妖怪退治の旅をしたい、わけじゃないんだけどなあ……」