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<東京怪談ノベル(シングル)>


女子高生イアル・ミラール


 別に、男が嫌いというわけではない。苦手は苦手だが、嫌いではないのだ。
 素敵な殿方と素敵な結婚式を、という夢はあった。
 その夢が叶う前に、イアル・ミラールを好きになってしまった。
 好きになった相手が、たまたま同性であったというだけの話だ。
「待っててねイアル。お給料節約して、とびっきりの指輪を買ってあげるから」
 この場にいない女性に明るく語りかけながら、響カスミは神聖都学園の廊下を歩いていた。足取りが、つい弾んでしまう。
 結婚に男女それぞれ役割があるとしたら、男の役割は、年上で公務員として収入のある自分が務めるべきだろうとカスミは思う。
「イアルは何も心配しなくていいから。指輪だけじゃないわ、ウェディングドレスも式場も全部私が」
「あのう、カスミ先生……」
 声をかけられた。
 浮かれた気分のまま、カスミは応えた。
「あら、なぁに? 大丈夫よ、結婚式には貴女も呼んであげるから」
「な、何をおっしゃってるのか、わかりませんけど」
 内気そうな女子生徒だった。眼鏡が、よく似合っている。
「ちょっと、その……先生に、お願いが」
「悩み事? それともまさか、誰かにいじめられてるの? 心配しないで、私が話をつけてあげる。話してわからないような人たちなら、イアルを呼んであげるわ。イアルがみんな、やっつけてくれるから」
「そ、そういう事じゃなくて。私、美術部員なんですけど……いい作品が、出来なくて」
 眼鏡の少女が、おずおずと言った。
「それで、あのカスミ先生……石像に、なって下さいませんか?」


 石像というのは、要するに絵か彫刻か塑像のモデルになって欲しいという事だろう、とカスミは思った。
 普段使われていない、第四美術準備室に連れ込まれたところである。
「今日って……冬なのに、ちょっと暑いですよね」
 眼鏡の女子生徒が、グラスを差し出してきた。オレンジジュース、と思われる液体で満たされている。
「良かったら、どうぞ……」
「ありがとう。確かにちょっと喉が渇く日よね」
 疑う事もなく、カスミは飲み干した。
「ふう、落ち着いたぁ……で、私は何のモデルになればいいのかな? ええと、まさかとは思うけど……ヌード、じゃないわよね? いやその、結婚前の記念って気持ち、ないわけじゃないけれど」
「やっぱり結婚しちゃうんですか、カスミ先生……あの女と」
 女子生徒の口調が、変わった。
「私たちの敵……イアル・ミラールと」
「貴女……!」
 カスミは息を呑んだ。
 それきり何も、言葉が出なくなった。呼吸は出来るが、声帯が動かない。
「そのジュースはね、私の特製……言ったでしょ先生、石像になってもらうって」
 女子生徒の可憐な唇が、カスミの耳元で囁きを紡ぐ。
 細腕が、硬直しつつある女教師の身体に絡みつく。
 硬直しつつも柔らかな豊麗さを失わぬ肢体に、少女が愛らしい五指を這わせてくる。
「カスミ先生……とっても素敵……」
 耳元の囁きが、熱を帯びた。
「私、先生の事……ずっと、好きだった……」
 やめて、やめなさい。
 カスミはそう叫ぼうとしたが、声が出ない。
 白く優美な喉が、石と化しつつある。
「誰にも、渡さない……イアル・ミラールにもね。カスミ先生は、ずっと私のもの……」
 カスミのたおやかな四肢も、石と化しつつある。もはや自分では動かせない。
 だが、動いていた。少女の手によって、まるで人形の手足のように。
「うふ……カスミ先生ったら、すごく嫌らしいポーズ取ってる。まるで着せ替え人形みたい……」
(駄目……駄目よ、こんなの。好いてくれる気持ちは、嬉しいけれど……)
 カスミは、叫ぼうとした。暴れ、抵抗しようとした。
 石像となりつつある身体が、ガタゴトと揺れるだけだった。
(私は……私は、貴女じゃなくて……イアルのもの……なのにぃ……)


 自分の正確な年齢など、イアル・ミラールはもう覚えていない。
 石像と化して長い間、眠っていた。時を止められていたようなものだ。
 石の眠りに就いたのは、確か20歳の時である。
 何にせよ、こんなものを着る年齢ではないだろうとイアルは思う。
 だが行方不明の響カスミを捜すためには、この格好をしなければならない。
 神聖都学園、女子生徒の制服。
 スカートとニーソックスの間でムッチリと形良く膨らんだ太股が、超高速で跳ね上がる。
 膝蹴りだった。
 スカートの内側に長い舌を忍び込ませようとしていた怪物が、その舌もろともグチャリと潰れ、飛び散った。
 蹴り終えた太股を引き戻しながら、イアルは勢い激しく振り向く。ジャケットとブラウスをまとめて突き破ってしまいそうな胸の膨らみが、猛々しく揺れる。
 揺れに合わせて、斬撃の閃光が走った。イアルの右手に握られた、聖なる長剣。
 その一閃が、2匹目の怪物を叩き斬っていた。両断された屍が、様々なものを噴出させる。
 それらを回避すべく、イアルは跳躍した。
 跳躍した先で、3匹目の怪物が待ち構え牙を剥いている。
 そこへ左腕の楯を叩きつけながら、イアルは着地した。
 おぞましいものを叩き潰した手応えが、楯越しに伝わって来る。
 楯に貼り付いた屍を引き剥がしながら、イアルは睨み据えた。
 神聖都学園、第四美術準備室。その中央でキャンバスに向かい絵筆を構えた、1人の魔女の姿をだ。
 眼鏡をかけた文科系の女子生徒、に見える。
 眼鏡では隠せない狂気の眼光でイアルを睨み返しながら、その魔女は微笑んだ。
「さすがねえ、イアル・ミラール。結社の連中が、手を焼くだけの事はあるみたいね」
「魔女結社……貴女も、その一員?」
「脱退しようかと思っていたところよ、だって、あいつら……よりにもよってカスミ先生を、狙っているから。カスミ先生を、つまらない実験の材料にしようとしているから」
 魔女の傍に、響カスミはいた。
 一見、石像である。カスミをモデルに彫られたかのような、等身大の女人像。
 それが、ガタゴトと震えている。
 石の美貌が、濡れているようにも見える。涙、ではないのか。
 涙に濡れた石像の頬を、魔女がそっと撫でる。
「もちろん脱退なんて許されない。私、あの連中に殺されるわ。でもね、たとえ殺されても……カスミ先生は、私が守るの」
「カスミは、魔女みたいな連中に狙われやすいものね」
 イアルは、友好的に微笑んでみた。
「カスミをさらって差し出すように、命令された事もあるんでしょう?」
「何度もね。全部、断ってきたわ。結社の中でも、そろそろ私を処分しようって動きがあるみたい」
「感謝するわ。だから、殺さないでおいてあげる……カスミを返してくれるならね」
「貴女……人の話、聞いてないでしょ? カスミ先生を守るのは私! 貴女じゃないのよイアル・ミラール!」
 怒りの絶叫を放ちながら、魔女は激しく絵筆を走らせた。
 キャンバスに、おぞましい怪物たちの姿が描き出される。
 描かれたものたちが、またしても画布から飛び出して実体化し、イアルを襲った。
 魔女の情念そのものと言える、醜悪な怪物たちを見据えながら、イアルは長剣を眼前に立てた。
「ミラール・ドラゴン……私に力を!」
 まっすぐに構えられた刀身が、虹色の光を発する。
 光まとう長剣を、イアルは一閃させた。
 虹色の閃光が、斬撃と共に迸り、怪物たちと魔女を一まとめに薙ぎ払う。
 醜悪な怪物の群れが、真っ二つになりながら消えてゆく。虹色の、輝きの中へと。
 魔女の眼鏡が、砕け散った。
 レンズの破片と一緒に、涙が散った。
「カスミ……先生……」
 微かな声を漏らしながら魔女もまた、虹色の光に飲まれ、消滅してゆく。
 石像が、倒れた。
 いや、石像ではない。生身の、響カスミだった。
「カスミ……!」
 イアルは駆け寄り、抱き上げた。
「カスミ! しっかりしなさい、私がわかる? ねえカスミ!」
「……イ……アル……ぅ……」
 カスミの、吐息が荒い。まるで獣のようにだ。
「イアル……イアルぅ……私のイアルぅうううううう!」
「ち、ちょっとカスミ……!」
 イアルは、その場に押し倒されていた。


 乱れた制服を、いそいそと着直しながら、イアルは左足でカスミを踏みつけていた。
「で……何か、言う事はある? 変態女教師さん」
「だ、だってぇ……あの子ったら石になった私に、いろんな事してくるのよ……」
 イアルの靴に、ぐりぐりと顔面を圧迫されながら、カスミは口調と吐息を荒くしている。
「で、でも私は石像だから……感じるだけで、何も出来ないし……何にも出来なくて、感じるだけで……溜まっていく一方でぇ……そ、そこへ女子高生の格好したイアルなんて来ちゃったら、もう我慢出来るわけないじゃないのよぉおおお」
「あのね、私だって好きでこんな格好しているわけじゃないの! この学校でカスミを捜そうと思ったら、生徒に化けるしかないでしょう!? 連絡もなしに1週間もいなくなって! 私がどれだけ心配したか、わかってる? ねえ? ねえ? ねえちょっと!」
「イアル……とっても、可愛かった……」
 カスミは、泣きながら笑っていた。
「結婚したら……また、しようね? 女教師と女子高生ってシチュエーションで……いやん恥ずかしいっ」
「全ッッ然わかってない! 私の方がね、ずっと恥ずかしかったんだからあああッッ!」
「踏んで……もっとぉ……」
 カスミの吐息が、さらに甘く乱れてゆく。
 結婚などと言っていたようだが、正気を失って戯言を口にしただけだろう、とイアルは思う事にした。