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<東京怪談ノベル(シングル)>


偽りの姫巫女


 ジョン・タイターが本物の未来人であったのかどうかはともかく、タイム・トラベラーは実在するのではないか。
 自由自在のタイムトラベルは困難であるにしても、人が時空を越える事はあり得るのではないか。
 その挿絵を見た瞬間、SHIZUKUはそんな事を思った。
 神田の、とある古書店である。
 SHIZUKUがこの店を贔屓にしているのは、オカルト関連の掘り出し物が割と見つかるからだ。
 今日もこうして、何気なく手に取った古本を適当にめくっていたところである。
 羊皮紙で出来た、年代物の書物。
 何が書いてあるのかはわからない。使われている文字は、アルファベットに似ていない事もないようだ。
 挿絵は上手い。写真と見紛うほどである。
 まるで現代のCG職人のような画力で、1人の女性の姿が描かれている。
 金髪の、若い娘。様々な挿絵の中で、様々な格好をさせられている。
「これ……って、イアルちゃん? だよねえ……」
 静かな古書店の中で、SHIZUKUは思わず声に出して呟いてしまった。
 こう見えても古本屋通いは長い。本物の羊皮紙で作られた年代物の書物と、それらしく作られた紛い物の区別はつく。
 SHIZUKUが今、手に取っているのは、羊皮紙が普通に使われていた時代から存在している、正真正銘の古書である。
 いくらか多めの挿絵は全て、イアル・ミラールそっくりの女の子を描いたものだ。
 字は読めない。だからSHIZUKUは、芸能人として推測してみた。
「イアルちゃん、いろんな格好させられてる……これって、もしかして大昔のコスプレ系アイドル写真集か何か? もちろん写真なんてないから、死ぬほど絵の上手い人が描くしかないわけで」
 推測が、妄想に近いものへと変わってゆく。
「つまり、イアルちゃんって……羊皮紙で本作ってた時代の、グラドル? みたいなもの?」
 無論、描かれているのが本当にイアル・ミラールであるという確証はないのだが。
「裸足の王女」
 突然、声をかけられた。
「アイドルや芸能人とは少し違うけれど、こうして本が出るくらいの有名人だったのは間違いないわね」
 そこに立っていたのは、眼鏡の似合う知的な女性。文系の才女、といった感じである。
「その本はね、大昔……とある王国で作られたの。今はもう名前も残っていない、古い王国よ」
 半ば唖然としているSHIZUKUに向かって、その女性は説明をしてくれた。
「裸足の王女というのは、その国の……興亡の鍵を握っていた重要人物。私にとっては研究対象だけど、貴女も興味があるの?」
「……友達に、似てるんです」
 文系の才女と言うか、歴史学者かも知れない。そう思いながら、SHIZUKUは答えた。
「ちょっと不思議なところのある友達で……大昔の国からタイムスリップしてきた王女様? とか言われれば、そうかも知れないなって思えちゃったりも」
「良かったら、私の家に来てみない? 裸足の王女に関してなら、いくらでも資料があるわ」


 暗闇の中を、SHIZUKUは走っていた。
 足元で、ばしゃばしゃと水が散る。
 闇の中の水溜り。そんな場所をSHIZUKUは今、懸命に駆け抜けようとしていた。
(え……あたし、何で……こんな、とこに……?)
 走りながら、SHIZUKUは思い返してみた。
 あの女性歴史学者に招かれ、『裸足の王女』に関する重要史料であるという書物を見せてもらった。
 その書物を開いてみた、ところまでは覚えている。
 気がついたら、こんな暗い場所で水飛沫を蹴散らしながら走っていた。
「姫様、もう少しでございますぞ!」
 声がした。
 走っているのは、どうやらSHIZUKU1人ではない。男女数名が、護衛の形に並走している。
「この洞窟は、きゃつらも知らぬ逃げ道でございますれば!」
「ここを抜ければ、王弟殿下の御領地でございます。今少しでございますぞ姫様」
(姫様……って、あたしの事?)
 走りながら、SHIZUKUは思案した。
 ここはどうやら洞窟で、しかも秘密の抜け道であるらしい。
 秘密の抜け道を走り抜けなければならない状況にある。姫君である、自分がだ。
 戦争に負けたのか。あるいは政変か。
 突然、明るくなった。
 洞窟を出たところである。浅瀬だった。河川か湖沼か、判然としない。
 そんな事を確認している場合ではなかった。
 武装した兵士たちが、こちらを取り囲んで弓を引いている。
 つがえられた無数の矢が、SHIZUKUに向けられている。
「よくぞ来られた、イアル姫」
 兵士たちの指揮官らしき人物が、鷹揚に尊大に言った。
 SHIZUKUは、思わず見回した。
「え、イアルちゃん……? どこに?」
 イアル・ミラールの姿など、しかしどこにも見えない。
 共に洞窟を抜けて来た侍従長が、指揮官に向かって叫んだ。
「お、王弟殿下! これは一体いかなる」
「うむ。まあ私はそなたらを裏切ったという事だ。これも戦乱の世の習いというもの」
 どうやら王弟殿下であるらしい人物が、言った。
「イアル姫。そなたの首を差し出せば、この国は私のものとなる……鏡幻龍の姫巫女の力、生かして利用するにも危険すぎるのでな」
 矢の雨が、降り注いで来た。
「え……これって、もしかして……」
(イアルちゃんの……記憶……?)
 そんな事を思いながらSHIZUKUは、ぱちぱちと微かな痛みを感じた。
 無数の矢が、自分の身体に当たって跳ね返り、折れて散る。
 SHIZUKUは、石像と化していた。
 肉体を石化して巫女の命を守る、鏡幻龍ミラール・ドラゴンの力。
 そんな事が、しかしSHIZUKUに理解出来るわけはなかった。


 鏡幻龍の王国を攻め滅ぼしたのは、とある騎馬民族の帝国であった。
 彼らの凶暴なる力をもってしても、石像と化したイアル・ミラールを打ち砕く事は出来なかった。
 攻撃魔法や攻城兵器を用いたとしても、ミラール・ドラゴンの加護を粉砕する事は出来ない。
 だからイアルは石像のまま、半世紀近く放置された。
 目が覚めた時、傍にいたのは、1人の少女だった。
 ほう? 乙女の口づけで石化が解けるという話は、本当だったようだな。
 生身に戻ったイアルの耳元で、その少女はそう言って微笑んだ。
 帝国の、何代目かの皇帝であった。男尊女卑の騎馬民族としては極めて異例の、女帝である。
 聡明な美少女であり、同時に暴君であった。その武勇は、騎馬民族の荒くれ男たちを圧倒した。
 そんな凶猛なる女傑が、しかし夜になると無邪気な美少女に戻り、イアルに甘えた。
 女帝の夜伽役として、イアルは飼い犬のように生かされ続けていたのだ。
 飼い犬でもいい。この凶暴な女帝の心に少しでも安らぎをもたらす、それが民衆を守る事に繋がるのなら……と、イアルは思う。
 ……否。自分は、イアルではない。SHIZUKUだ。
(……どっちでも、いいかな……もう……)
 そんな事を思いながらイアルは、いやSHIZUKUは、女帝との甘美な夜を過ごす日々に埋もれかけていた。
 ある時。帝都に、軍勢が攻め込んで来た。
 鏡幻龍の王国の、残党であった。
 彼らはイアル・ミラールと別系統の血筋に連なる王女を、鏡幻龍の新たなる姫巫女として擁立し、帝国に叛旗を翻したのだ。
 かつてのイアルに劣らぬ力を持った姫巫女だった。
 壮絶な一騎打ちの末、彼女は女帝を倒し、女帝の飼い犬と堕していたイアルを捕え引き立てた。
 鏡幻龍の聖なる御名を汚した、偽りの姫巫女が。貴様には死すら生ぬるい。その汚れきった有り様を、永遠に晒し続けるがいい。
 新たなる姫巫女は、そう言って、ミラール・ドラゴンの聖なる力をイアルに向けて放射した。
 いや、イアルではない。SHIZUKUに向かってだ。
(あたしは……イアルちゃん……? イアルちゃんは……あたし……)
 どこへも行き着かぬ思考を、頭の中で虚しく回転させながら、SHIZUKUはレリーフ像と化していた。


「……と、いう感じでね。今SHIZUKUちゃんは、この本の中で貴女になっているわけよイアル・ミラール」
 魔本を片手に、魔女が笑っている。
 眼鏡では隠しきれない邪悪さが、その優美な笑顔から滲み出している。
「言うまでもないとは思うけれど……私を殺したら、SHIZUKUちゃんは永遠に魔本の中よ。それはそれで彼女の本望なのかしらね? 貴女の事、知りたがっていたようだし。魔本の中で『裸足の王女』の人生を体験するのも、オカルト系アイドルとしては幸せなのかも知れないわね」
「…………卑劣な…………ッッ!」
 そんな声を発するのが、イアルは精一杯だった。
「SHIZUKUを……そこから、出しなさいっ……」
 呻く言葉に合わせるかのように、口の中で牙が尖ってゆく。
 悪しき魔力が、全身に染み込んで来る。
「裸足の王女……私のものに、おなりなさい」
 魔女の言葉と共に、イアルの全身がメキ……ッ! と痙攣した。
 しなやかで優美な筋肉が、痙攣しながら、おぞましく変異してゆく。
 背中から、広く鋭利なものが、衣服を破いてバサッ! と広がった。皮膜の翼だった。
「この世の誰よりも美しい貴女を、この世で最も醜いものとして飼い慣らす……それが出来るのなら、結社を敵に回してもいいわ。あの連中に、貴女を渡しはしない」
 そんな言葉を、イアルはしかし聞いてはいない。
 頭の中では、ただ凶暴な殺戮衝動だけが激しく渦巻いている。可憐な唇が、めくれあがって牙を見せる。
 もはや表記不能な絶叫を張り上げながら、イアルはガーゴイルと化していた。