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ある魔術師の――
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その洋館から響いてくるのは唄。
壁にびっしりと並ぶ本棚は、まるで彼女を抱く腕(かいな)のよう。
壊れたオルゴールのように途切れ途切れに彼女が歌うのは、子守唄。
それは、『生命(いのち)』へ向けた言葉。
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遠い記憶。
炎を映して光る自身の金色の髪。
むせ返るほどの熱気に喉が侵食されて、自分を庇うようにして落ちてきた梁の下敷きになった父を呼ぶことすら出来なかった。
恐怖で心が萎縮して、長いスカートの裾を炎に掴まれた母を見ているだけしかできなかった。
炎に舐め尽くされた母は業火の中で踊るようにステップを踏んで、ゆっくりと力尽きて倒れ伏した。
ただれた指先が自分の方へと伸ばされる――その指先からは、確実に生命がこぼれ落ちて行くのが幼い満月・美華にもわかった。
「――! ――!」
梁の下敷きになり、下半身を炎に舐め取られながらも父が母の名を呼ぶ。
ぴくりぴくりと返事をするように、母の身体が小さく跳ねる。
美しかった母の髪は一瞬で消えた。髪や肉の焼ける、嗅いだことのない醜悪な匂い。言葉の形をなさぬ声を上げる『母だった』モノ。
ゆっくりと生命の砂が尽きていくのを、美華はじっと見ていた――否、目を離すことができなかったのだ。
「み……か……」
驚きと恐怖とが混ざり合った、名状しがたい思いが美華の小さな身体に充満していく。
絞りだすような父の声にあまりにも生気がなくて、名を呼ばれたことに気がつくのが遅れた。
それでも父の声は身体の強張りを解いてくれたので、美華はゆっくりと立ち上がる。
「にげ……さい、み……か……」
熱と痛みに歪みながらも見かを案じるその声。
「……あ」
ようやく引きつった喉から音が出た、その時。
ごぉぉっ……!!
風に煽られて強さを増した炎が、美華の父を飲み込んだ。
「!!」
無意識のうちに美華の足は動いていた。炎を避けるように、命の灯火尽きかけている父から、逃げるように。
動かしているつもりなのに、思うように足が動いていない気がする。
背後から、すぐそこまで炎の手が迫っている気がするけれど、振り返ったら捉まってしまいそうで。
炎に飲まれた周囲は、美華の見知った風景とは全く違っていて、どこをどう走ったのかわからない。
上がる息、熱に冒された喉は呼吸をするのさえ辛く。忍び寄る炎の蔦の気配を感じながら、身体がバラバラになりそうな不安を抱いて走った。
この時感じた恐怖は、炎に巻かれることに対するものだとずっと思っていた。
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幼少期に火災で両親を亡くした幼い美華は、祖父へ引き取られることになった。両親という寄る辺を亡くした美華が、あらたな寄る辺である祖父になつくのは自然なことであり、祖父は両親が健在な時よりも更に大好きな存在となったのだった。
その祖父が美華に教えてくれたのは魔術。幼い美華にその素質を見出したのか、それとも自分に教えられることを教えておきたかったのか、孫との交流の一環としてそれを選んだのかは今となってはわからないけれど。少なくとも美華がその鍛錬を苦に思っていなかったのは事実だった。
祖父の書斎の本棚がずらりと並んだ雰囲気は好きだった。本棚の本に勝手に触るのは禁止されていたけれど、時折祖父が鍛錬にと持ちだす本は別。
祖父の教える通りに上手くできなくて悔しいこともあった。期待を裏切りたくない気持ちもあった。だから、必要以上に努力を重ねた。そしてその結果、祖父にほめられるのが大好きだった。しわの寄った大きな手で頭を撫でられている時が一番幸せだと感じたとこがあるほどで。
しかし祖父と二人で暮らし始めて数年。祖父は病に冒されて倒れ、それでも美華の鍛錬を続けようとしたけれど、そのうち起き上がることすらできなくなった。
二十歳になっていた美華の日課は、鍛錬から祖父の看病へと変わった。
「絶対に治ります」
その言葉は半分、自分に言い聞かせるようなもので。
日に日に病状が悪化していく祖父の身体から、生命(いのち)が零れ落ちていくのが見えるようだった。
どうあっても美華にはそれを止めることができなくて。
けれどもなんとかしたくて。
悲しみと焦りが日々、胸の中を支配していた。
そして、『それ』は突然訪れた。
ある朝様子を見に行ってみると、祖父はベッドの上で動かなくなっていたのだ。
触れればまだほんのりと暖かい気がする。けれどもその肉体は冷えていく一方で、生命のかけらすら残っていないことは明らかだった。
背筋を、冷たいものに覆われた気分だった。
ざわりと総毛立ったのがわかる。
美華の記憶の深いところから現れたのは、炎の中、逃げる自分。
今ならわかる、あれは炎に巻かれたくない恐怖で逃げたのではない。
死、そのものから逃げ出したくて、あがいていたのだと。
両親を襲った『死』。祖父を襲った『死』。目の前で見た二つの『死』が、美華の脳内で暴れまわる。それは、恐怖でしかなかった。
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(どうしたらどうしたらどうしたらどうしたら)
美華は必死で死の恐怖から逃れるすべを探した。
祖父の書斎の大量の本、触れるなと禁ずる者はもういない。死のかいなにいだかれてしまったのだから。
本棚の端から順に取り出した本のページをめくる。そして死の恐怖から逃れる手段を探し続けた。それらしき記述を見つけては読みふけり、期待していたものではないと溜息をつく。藁にもすがる思いで試してみては、本物ではないことに落胆する。
どれだけの時間をそうして過ごしただろう。読んだ本も多岐にわたった。そのおかげもあるのだろう、美華はついに一つの答えにたどり着いたのだ。
(私は女。生命を生み出せる女。ならば)
――『自らの新しい命』を産み作れるのではないかしら?
目の前が開けていくのを感じた。閉塞感から解放された気がした。
生命の創造が昔からの禁忌であることなど、理解していたが今の美華にはそんなことは歯止めにもならない。
(禁忌? そんなことよりも、この恐怖から逃れたい――)
祖父の遺した怪しげな本やグリモアの類をあさる。美華の願いを叶えてくれる本は――あった。
ガイアの書と書かれたその本には地母神の力が宿っているという。
木製の机の上に積み重ねた本を乱暴に崩し、スペースを空けた。新しい白い紙を引き出しから取り出し、机の上に乗せる。
白紙の横に並べたガイアの書に手をつきながら、握りしめたペン。
魔力の流れを感じながら、白紙に記したのは『10』の文字。そして。
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美華は唄う。子守唄を。
自らの子宮に宿ったのは10の命。膨らみ、巨大化した腹部は、生命が宿っている証。
ソファに腰を掛けたまま、美華はその巨大な腹部を優しく撫でる。愛おしい、愛おしい生命。
浮かべたほほ笑みは、死の恐怖から解放された証。
背徳の魔術師は胎内に複数の生命を宿したまま、今日も微笑んでいる。
【了】
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
【8686/満月・美華/女性/28歳/小説家・占い師】
■ ライター通信 ■
この度はご依頼ありがとうございました。遅くなりまして申し訳ありません。
初めて書かせて頂くので、どきどきしています。
細かいご指定のなかった部分はこちらで創造させていただきました。
少しでもお気に召すものとして仕上がっていることを願いつつ。
この度は書かせていただき、ありがとうございましたっ。
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