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<東京怪談ノベル(シングル)>


闇に叫ぶ人魚姫


「助けて……誰か、助けてよう……」
 声が聞こえる。
 聞き間違い、ではない。それは慣れ親しんだ、瀬名雫の声であった。
「死んじゃう……みなもちゃんが、死んじゃうよう……助けてよう……」
 雫が、どこかで泣いている。
 宇宙人やら超能力やらが大好きな少女ではある。だが本人が、テレパシーの類を使えるわけではない。はずであった。
 それでも、雫の声が聞こえてしまう。助けを求められている。しかも死んでしまうのは自分、海原みなもであるらしい。
 行ってみるしかなかった。
「雫さんが……まさか、ここにいるとは思えないけど」
 みなもは泳いでいた。
 感覚としては水中である。が、普通に呼吸は出来るし声も出る。身にまとっているのも、水着ではなくセーラー服だ。
 泳ぎながら、みなもは左右を見回した。
 右も、左も、巨大な書架である。色とりどりの背表紙が、視界の端から端まで並び続いている。
 ぎっしりと書物で埋まった本棚が、みなもの左右で巨大な壁を成していた。
 海の中の図書館。一言で表現するならば、そんな場所だ。
 深遠図書海。
 この世でただ1人、海原みなもだけが泳ぎ着く事の出来る場所である。
 ここにある無数の書物は、ほぼ全て、海原みなもの記憶を記したものだ。
 今ここを泳ぎ漂っている1人の少女、だけではない。
 無数の並行世界に1人ずつ存在する「海原みなも」全員の記憶をだ。
 様々な世界で、みなもは様々な事をしている。その全てが記された書物たちの1冊を、みなもは本棚から抜き取った。
「助けてよう……みなもちゃんを、助けてよう……」
 間違いない。
 雫の声は、この本の中から聞こえてくる。
 本の中から聞こえる、などという意味不明な表現以外に、この現象を言い表す手段はない。
「雫さん……あたしは、ここにいるわよ?」
 この場にいないはずの少女に語りかけつつ、みなもは書物を開いた。


 それは、とある戦争を記した書物であった。
 その王国では、人間と、そうではない様々な種族が、まあ良好な関係を保っていた。決して平和とは言えないにせよ、少なくとも大規模な対外戦争とは縁のない王国であったのだ。
 人間たちが、魔界石を手にするまでは。
 魔界石。それは強力な魔力エネルギーを生み出す物質で、民衆の生活を大いに潤した。
 エネルギーを搾り取られた魔界石は、しかし極めて毒性の強い廃棄物となる。放置しておけば空気が腐り、地中に埋めれば土が腐る。
 だから人間たちは、これを海に投棄した。
 結果、海が腐った。
 人魚、海エルフ、半魚人といった海洋種族と、人間との間で、こうして戦争が始まったのである。


「戦争が始まったのは自分のせい……そんな事、考えてる? もしかして」
 みなもは語りかけた。もう1人の、自分にだ。
 マリンスノーが静かに吹雪く深海。
 黒い、巨大なものが、海底に横たわっている。
 一見すると地形の隆起だが、それがとてつもなく巨大な生き物である事が、みなもにはわかる。
 生き物である。が、死にかけている。
 それは海竜の死骸のようでもあり、腐敗したクラーケンのようでもあり、巨人の水死体のようでもあった。
 その死にかけた巨体に、小さな何かがパタパタとまとわりついている。
「みなもちゃん……起きてよう、みなもちゃん……」
 涙を海中に撒き散らしながら泳ぐ、1匹のコウモリダコ。
 彼女が「みなもちゃん」と呼んでいるのは、しかし今この海底に佇むセーラー服姿の少女に対して、ではない。
 深海の吹雪に埋もれかけた、巨大な屍……いや、まだ辛うじて生きているそれが、声を発した。
 耳では聞こえない、心に直接、語りかけてくる声。
 あたしは……おおぜいの、にんげんを、ころしてしまったわ。
「原因を作ったのは人間の方。人間が海に撒き散らした毒と穢れを、貴女は一身に受けて……そんな姿に、なってしまった。自分を責めるような事じゃないと思うわ」
 みなもは言った。気休めにすらならない言葉だと、わかってはいる。
 1人の人魚姫が、魔界石による汚染毒を全て己の身体で吸収し、醜い怪物と化しつつも生き長らえ、しかし今、力尽きようとしているのだ。
「あなた……あの時の、海エルフちゃんね。一体誰なの?」
 コウモリダコが、パタパタとみなもに近付いて来た。
「誰でもいいや……みなもちゃんを、助けてよう……」
「あたしも海原みなもよ、雫さん」
 せわしなく泳ぐコウモリダコを掌に迎えながら、みなもは苦笑した。
 この世界においては、この小さな生き物が瀬名雫なのだ。
 この世界における海原みなもが、またしても声を発した。
 もう、ほうっておいて……あたしは、しぬ。しずくさんが、みとってくれる。
 さいごは、ふたりきりでいたいの。じゃまを、しないで。
「貴女は、それでいいかも知れない。だけど雫さんはどうなるの? 貴女を看取った後、1人ぼっちになっちゃうのよ」
 マリンスノーの雪原を踏みしめて、みなもは歩いた。もう1人の自分に、歩み寄った。
「……あたしと、1つになりなさい。そうすれば、貴女を蝕む汚染毒を、少なくとも半分に出来るわ」
 なにを……いっているの? そんなことをしたら、あなたも……かいぶつになってしまう、だけではすまないのよ。いつまで、いきていられるか……。
「あたしも貴女も、絶対に死なない。この戦争を終わらせるまでは」
 みなもは言った。
「責任みたいなもの、少しでも感じているなら……あたしと一緒に、戦争を止めよう?」
 あなた……わかってない……かいぶつになる、それがどういうことなのか!
 あなた、きれいごとばっかりで! ぜんぜん、わかってなぁあああああああああい!
 屍になりかけていた巨大なものが突然、動いた。
 深海の雪原を蹴散らして荒れ狂い、襲いかかって来た。
 襲い来るものを、みなもは左右の細腕を広げ、迎え入れた。
 2人の「海原みなも」が、1人になった瞬間。
 少女の全身から、セーラー服がちぎれ飛んだ。
 鱗が盛り上がり、鋭利な鰭が刃物のように広がり、吸盤のある触手が跳ねた。
「わかる……わよ……怪物になるって、どういう事か……」
 口の中で、愛らしく並んだ上下の歯が、全て牙に変わってゆく。
 そんな口で、みなもは呻いた。言語中枢は、まだ辛うじて生きている。
「あたし今まで……いろんな、わけわかんないものに……変身、させられてきたわ……それに比べたら、こんなの全然……ッッ!」


 海洋種族の連合軍が、とある港湾都市を襲撃した。
 連合軍の中核は、海で最大の勢力を誇る人魚族である。彼らは海中から攻撃魔法を放ちつつクラーケンやシーサーペントを使役し、また海馬を乗りこなす海エルフの海上騎兵隊とも連携して、人間の海軍を散々に打ち破った。
 その間、半魚人の歩兵部隊が上陸し、人間の陸軍を都市住民もろとも殺戮する。
 勢いに乗る半魚人の兵士たちと、殺戮を止めんとする人間の兵士たち。
 その双方が突然、吹っ飛んだ。打ち据えられていた。
 吸盤のある触手が無数、鞭のように宙を裂いて荒れ狂い、戦う者たちを叩きのめしていた。半魚人と人間を、差別する事なく。
「やめなさい……今すぐ、戦争をやめなさい……」
 言葉を発しながら、その怪物は、水掻きのある両足で、濡れた足音を響かせていた。
 人間の大きさと体型を、辛うじて保っているようではある。
 その全身は甲冑のような鱗に覆われながら鋭利な鰭を広げ、そして頭足類の触手を幾本も生やしている。
 それら触手が鞭の如く一閃し、半魚人たちを、人間の歩兵隊を、片っ端から殴り飛ばす。
「お互い、言い分はあるでしょう……あたしが聞いてあげるから、とにかく戦争はやめなさい」
 殴り飛ばされた者たちが、痛みに呻きながら動かなくなる。死んではいない。
 今のところは力加減をしている怪物に、半魚人の兵士たちが襲いかかる。人間の兵士たちが、槍を突き込み弓矢を射かける。
「どうしても戦いたいなら、あたしが相手になってあげる……浄化の一撃! ホーリースプラッシュ!」
 鋭利な鰭が、斬撃の形に閃いた。
 それに合わせて、大量の水飛沫が散る。
 流水が発生し、半魚人・人間の差別なく、兵士たちを押し流していた。
 悲鳴を上げ、流されてゆく者たちに、怪物が怒声を浴びせる。
「さあさあ! ぐずぐずしてたら、あたしが貴方たちを皆殺しにしちゃうわよ!? 戦争なんてやってる場合か、よぉく考えてみなさぁああああああい!」