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<東京怪談ノベル(シングル)>


魔海血戦


「しろくて、やわらかいもの……ゆるさなぁああぁあい……」
 自身の発する、その言葉通り、と言うべきであろうか。
 その怪物は、白さ柔らかさの対極とも言うべき姿をしていた。
 鱗に包まれた全身には、無数のフジツボがびっしりと固着し、棘だらけ穴だらけの黒っぽい岩塊のようである。四肢のある岩塊。そんな姿だ。
 どうやら女性と言うか牝であるようだが、少なくとも人間の男よりはずっと大きい。
 その頭から、頭髪の形に生えて揺らめき、うねり泳ぎ、牙を剥いているのは、無数の海蛇である。
「しろくて、やわらかぁああい……ゆるせないぃいいい」
 うねる海蛇たちが、その怪物の顔面を隠している。
 想像を絶する醜悪さである事は、見え隠れする輪郭の崩れ具合からも明らかだ。
 海蛇の群れが作り出す陰影の中で、眼光が燃えるように輝いて海中を禍々しく照らす。
 その邪悪なサーチライトに追われながら、人魚姫は必死に泳いだ。
「助けて……誰か……」
 怪物の言う通り白く柔らかく優美な肢体を、イルカのように躍動させて、名も無き人魚姫は海中を逃げ続ける。
 助けを求めるべき相手が、いたような気がする。思い出せない。
「みんな……」
 気が付いたら、泳いでいるのは自分1人だけだった。
 何人かの人魚の少女たちと、一緒に逃げて来たはずなのだが。
「しろいもの……やわらかいもの……うぐぅうあああああぁゆるさなあいいい!」
 水中に憎悪を振りまくかの如く追って来る、この怪物に、監視されながら暮らしていた。生け簀のような、海中の牢獄でだ。
 何人もの、人魚の少女たちと一緒に、閉じ込められていた。
 脱走した、わけではない。監視役であるはずの怪物が突然、こうして襲いかかって来たのだ。
 だから、逃げるしかなかった。
 一緒に逃げて来たはずの人魚たちは、どこへ行ってしまったのか。
「ゆるさぁ……なぁああいいいぃぃぃ……」
 怪物の声が、背後から迫って来る。近付いて来る。
 岩塊の如く重量のある巨体が、敏捷に泳ぐ小柄な人魚姫に、追い付きつつあるのだ。
 自分の身体が重い。名無しの人魚姫はようやく、それに気付いた。
 イルカのように躍動していたはずの肢体が、動かなくなってゆく。固まってゆく。重くなってゆく。
「しろいから……やわらかい、からあぁぁ」
 泳げなくなりつつある人魚姫に、怪物が、ゆったりと追い付いて来る。
 うねる海蛇たちの間から、サーチライトの如く溢れ出し迸る眼光。その禍々しい輝きが、人魚姫の白く柔らかな全身を捕捉していた。
 自分の身体が、白さと柔らかさを失いつつある。ぼんやりと、人魚姫はそれに気付いた。
 仲間の人魚たちが、どこへ行ってしまったのか。いかなる目に遭ったのか。
 それも、ようやくわかった。
「嫌……い……やぁ……」
 人魚姫の可憐な美貌が、恐怖に歪み、引きつり、硬直してゆく。醜く滑稽な表情が、固まってゆく。
 その様を怪物が、じっと見つめている。
「おまえ……アタシよりも、くろくなぁれえ……アタシよりも、かたくなぁーれえええええギヒへへへへへへへへ」
 禍々しく燃える眼光を浴びながら、名無しの人魚姫は、黒ずんだ石像に変わっていった。


 石の生首の中で、SHIZUKUの脳はしかし生きているようであった。
 様々なおぞましい記憶が、石の頭蓋骨の中で渦巻いているのがわかる。それが、伝わって来る。
「SHIZUKU……怖かったでしょうね……」
 石像の生首を、イアル・ミラールは抱き締めた。
 恐怖に歪みきったまま石化し、痛ましいほど醜く固まってしまった顔面に、胸を押し付けてゆく。
 ビキニ越しに、胸に伝わって来る。SHIZUKUの、あまりにも凄惨な記憶が。
 この少女を石像に変えた何者かは、しかしそれだけでは飽き足らず、石と化して動けぬSHIZUKUに、様々な汚物をぶちまけた。
 今イアルの胸に抱かれた生首にも、半魚人の排泄物が固くこびりついている。水の中だと言うのにだ。
 汚れにまみれながら、SHIZUKUは最後には打ち砕かれたのだ。
「……そんな事をして、何になるの?」
 石像の生首を抱いたまま、イアルは言った。
 水中で、言葉を発する事が出来る。呼吸も出来る。
 ミラール・ドラゴンの聖なる力が、イアルを守ってくれている。
「こんな憂さ晴らしをしたところで……貴女が、美しくなれるわけではないのよ?」
「しろいもの……やわらかいもの……ゆるさなぁああい……」
 びっしりとフジツボを貼り付けた、岩塊のような巨体。毛髪の代わりに無数の海蛇を生やした頭部。
 そんな怪物が、イアルの背後で呻いている。
 先程、海岸で戦った半魚人たちの、親玉のような存在であろう。
「シー・メデューサ……」
 知識として、イアルはこの怪物を知っていた。
「女の醜い部分を寄せ集めて、実体化させたような化け物……魔女結社の連中に番犬として飼われるには、まあふさわしいかもね」
「オマエも……アタシより、くろくなれ! かたくなれ! クソにまみれろ!」
 前髪の形を成す海蛇たちを蹴散らすように、シー・メデューサの眼光が迸った。赤く燃える可視光線となって水中を走り、イアルの背中を襲う。
「ミラール・ドラゴン!」
 叫びに応じて、イアルの背後に楯が浮かぶ。
 表面に5本首の竜が彫り込まれた楯。そこにシー・メデューサの眼光が激突し、飛び散って消えた。
「石化の眼光……そのまま跳ね返して、貴女を石像に変える事も出来るわ」
 イアルは振り向いた。真紅の瞳で、シー・メデューサを睨み据えた。
「でも貴女には石像じゃなく、血の滴る生身の屍になってもらうわ……SHIZUKUを元に戻すには、貴女の生き血が必要だから」
「血ィ吹いて、ハラワタぶちまけンのぁああオメエのほうだってのよォオオオッッ!」
 シー・メデューサが、襲いかかって来た。
 鱗とフジツボをまとう豪腕が、イアルに向かって横殴りに海水を裂く。
 ノコギリのような鰭が現れ、一閃した。
 その斬撃を、イアルはかわした。
 純白のビキニを貼り付けた肢体が、うねり翻って鯱の如く猛々しく躍動し、鰭の斬撃を回避しながらシー・メデューサの背後に泳いで回り込む。
 水中である。手足のうねらせ方1つで、地上とは比べ物にならないほど自由に動く事が出来る。
 無数のフジツボに覆われ、岩塊のようになった巨体。長剣で斬殺するのは至難である。
 イアルは怪物の、首の後ろにまたがっていた。
 頭髪を成す海蛇たちを両手で掴みながら、両脚をシー・メデューサの頸部に巻き付ける。
 そして締め上げる。
 むっちりと力強い太股が、怪物の頸動脈を容赦なく圧迫した。
 表記不可能な悲鳴を海中に垂れ流すシー・メデューサに、イアルは頭上から語りかけた。
「まだまだ……1滴残らず血を搾り取るまで、貴女には生きていてもらうわよ」


 ミラール・ドラゴンの聖なる力をもってしても、死者を生き返らせる事は出来ない。
 だが、砕けた石像を修復する事は出来る。
 修復された石像にシー・メデューサの生き血を浴びせれば、石化は解ける。
 石像にされた人魚の少女たち全員を、そのようにして元に戻すのは、さすがに重労働ではあった。が、イアルはやり遂げた。
「助けていただいて……ありがとうございます」
 SHIZUKUが、しおらしく礼を述べた。
 生身に戻ったその身体は、まだ人魚姫のままである。
「次は、人間に戻らないとね」
「人間……戻る? あのう、それは一体」
 イアルの言葉に、人魚SHIZUKUは可愛らしく首を傾げた。
「どういう、事なんでしょう……」
「貴女……!」
 イアルは息を飲んだ。
 記憶喪失、ではない。失われたのは、記憶だけではない。
「まあ、それはともかく……どなたか知りませんが、本当にありがとうございました」
 人魚姫が、ぺこりと頭を下げる。
 彼女は、もはやSHIZUKUではない。名無しの人魚姫だ。
 SHIZUKUという少女は、この世からいなくなってしまったのだ。