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<東京怪談ノベル(シングル)>


クリアな海で人魚は踊る(2)
 怪魚の悲鳴と共に、空を汚す深紅の飛沫。血の雨が降る。戦場の中央で剣舞を踊る女は、それでもその身を汚す事なくただただ美しくあり続ける。
 敵の攻撃どころか返り血すら避けている瑞科は、未だ傷どころか汚れ一つ負ってはいない。対して、怪魚達は劣勢であった。どこからともなく現れる怪魚は膨大な数であったが、瑞科は無駄のない動きで着実にその数を減らして行っている。
 彼女が駆けるたびに、艶やかな髪と豊満な胸は揺れる。男を惑わすその色香は、化け者すらも虜にする。魂まで美しい彼女は、人の形を持たぬ怪魚にとっても極上の餌だ。
 揺れる髪、存在を主張するその女性らしい体つき、しなやかに動く四肢。圧倒的な力を見せつけられても、逃すなどという事は考えられない程に瑞科は魅力的なのである。故に、怪魚は懲りずに彼女へと狙いを定める。
 その身を弾丸代わりに、瑞科に向かって飛んでくる一体の怪魚を女は冷静に迎え撃った。すらりと伸びた長い足が、美しい軌跡を描く。鮮やかな回し蹴りが叩き込まれ、怪魚の悲鳴があがった。
 怯まずに向かってくる相手に、遠慮などは必要ない。羽ばたくかのようにスリットが風に揺れ、聖女は空へと跳躍する。さながら空を泳ぐ人魚のように、優雅に彼女は空を舞い次の一手に備える。垂直に構えた剣と共に、彼女は獲物を見失い困惑していた怪魚の真上へと着地。その異形の体を華麗に突き刺してみせた。
 次々と仲間がやられていっているというのに、怪魚は貪欲に瑞科を求め続ける。彼らに恐怖心や危機感などはない。あるのは、今目の前にあるご馳走を、そのきめ細やかな肌を、優しさを孕んだ美しい魂を食いつくしたいという欲望だけだ。
『アア……ゴチソウ……タベル……ゴチソウ……』
「全く、もう少し食事のマナーについて勉強してみてはいかが? がっつく殿方は嫌われますわよ!」
 手近にいた怪魚に、瑞科は拳を叩き込む。純白のロンググローブが、目にも留まらぬ速さで繰り出された。
 その内に、一体の怪魚が女の背後へと忍び寄る。無論、瑞科がそれに気付いていないわけもない。ロングブーツが地を叩く小気味の良い音が響く。片足を軸にして、彼女は体を反転。遠心力を味方につけた強力な回し蹴りを、背後から奇襲を狙っていた無粋な影へと叩き込んだ。
 ふよふよと宙を漂いながら、怪魚達は瑞科の周囲を再び回遊する。空を泳ぐ怪魚達には重力などというものは関係ない。縛られる事のない彼らは、四方八方から瑞科へと襲いかかった。
 一見逃げ場がないようなその攻撃。けれど、瑞科に彼らが触れる事は叶わない。
 振り払われるは丁寧に磨き上げられた剣。自身の周囲にまるで円を描くように、彼女は愛用の武器を振るう。襲いかかってきていた怪魚を一体足りとも逃す事はなく、鋭い刃は切り裂いていく。
「甘いですわ! わたくしに、死角などありませんのよ!」
 凛とした聖女の声が場を支配する。同時に、上空から彼女へと牙を向けようとしていた怪魚は体中に走る痺れに落下した。剣を振り払いながらも、瑞科は電撃をその怪魚に向かい放ったのだ。
 朽ちた体では自らに込められた魔力に耐え切れず、倒された怪魚達は宙へと溶けるように消えて行く。やがて、公園には静寂が訪れた。
 もう、この場所で悪魔を見る者はいないだろう。人々を襲う脅威は去ったのだ。
 正確には、彼らは悪魔ではなかった。しかし、人の心を持たず、ただその魂を食い散らかしていた怪魚の行為は悪魔のようなものであったとは思う。
 それでも、その魂が安らかなる眠りに着く事を聖女は祈らずにはいられない。彼らとて、生まれながらに悪しき心を持っていたわけではないのだから。
 彼らが怪魚と化したのは、その体に膨大な魔力を注がれたせいだ。自ら望んで怪物になったわけではない。
 ――恐らく都市伝説は、まだ完全に終わったわけではない。
 人為的に怪物を作り出している何者かが、まだこの街には残っているはずだ。
「罪なき生き物を怪物へと変えてしまう……。それこそ、悪魔のような所業ですわね」
 寒空に、彼女の唇からこぼれた白い息が溶けていく。そう遠くない未来に訪れる戦いの予感に、瑞科は目を細める。青色の瞳に決意を宿し、聖女はここにはいない黒幕を睨むように宙を見やった。