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<東京怪談・PCゲームノベル>


冷たい石に口付を


 どうしてこうなった。
 藤代響名の思案は何度目かであったし、答えも明確だった。
「だって私、お伝えしたはずよ? ホールの修繕費を払って欲しいと」
「お金なら――」
「まぁ。私が大事にしてきた美術館のホールを、集めた彫像を壊したことを、お金で片付けようと仰る」
 響名は売り出し中の錬金術師だ。作品をひとつ仕上げれば文字通り浴びるほどのお金が容易に集まる。だから金銭で片付けてしまうのが一番の方法なのだが、目の前の相手はそれを許さない。思い入れのある品物に値段をつけようというのか、という相手の物言いに彼女が怯んだ隙に、この5年ですらりと長く伸びた足を組み換え、眼前の女――アリスは、嫣然と微笑んで見せた。それを前にすると抵抗する気力が不思議と、萎える――彼女の眼の力を知っているが故にだろうか。
 嘆息し、響名はそれでも無為な抵抗と知りつつ呟いた。
「…体が重いんだけど」
「まぁ。それは大変」
「誰のせいよっ!!」
「それは勿論、自業自得なのでは?」
 動じた風なく返されると言葉も出ない。改めて響名は、――灰色の石像と化した己の右腕から腰にかけてを見下ろし、再度の嘆息を零した。何の因果か昔から石化させられることの多い響名であるが、身体の一部だけの石化というのは初めての体験である。痛いし重たいし違和感が酷い。
 三度目の嘆息――すたすたと歩き出したこの事態の主原因、石神アリスの背を恨めしく見やりつつ、彼女はこの状態に陥った原因についてを思い返していた。



 事の起こりは少しばかり遡って数日前。原因は簡単な話で、アリスの所有している建物と、彼女のコレクションである石像の一部を、響名が破壊したことに起因する。その破損の弁償を――そんな連絡が突如、響名の元へ送られてきたのが二日前。一応彼女は家出中の身の上で、それなりに身を隠しているのだが、隠れ家にごく普通に郵便で届けられたのには閉口した。――とはいえ石神アリスといえば、この5年間で表、裏を問わず各業界へ影響力を強めた凄腕の美術商だ。家出中の小娘一人、見つけるのは容易であろう。
 かくして響名は、猫が首を掴まれるように無造作にアリスの前へと引っ立てられる羽目になった。直接的に暴力を振るわれた訳ではないが、響名の気分としてはそんな感じだ。笑顔で容赦なく退路を断って、「勿論いらっしゃるわよね」と言われれば断りようなど無い。まして、自分が壊してしまった他人の所有物の弁償に関する呼びだしだ。ますます否とは言いにくい。
 そうして通された豪奢な応接間の先。口だけ笑みを浮かべた――つまり目は笑っていない――アリスの開口一番は、
「それで、どのように償っていただけるので?」
「はい…あの、金額はいかほどで」
「まぁ。お金で。私のコレクションを。補えると」
 強調するように区切って言われて響名は肩を落とした。ですよねー。
「じゃあ、何でお支払いすれば?」
 力なく――何しろ嫌な予感しかしない――問い返すと、アリスは面白くもなさそうに、5年前から更に深みを増した甘い金の瞳で響名の姿を撫でるようにして、
「労働をしていただきたいの」
「え、あ、そういう? お皿とか洗えばいい?」
「皿洗いも料理も間に合っていてよ」
 小首を傾げる所作は5年前と変わらぬ頑是なさすら漂わせている癖に、その口元には柔らかな笑みを刷いている癖に、その背後にはどうしようもない程に厄介事の気配がしていて、
「…嫌なら結構よ? 文字通り『体で支払って』頂いても構わないのだから」
「やらせていただきますー!!」
 ――しかしそれでも、平身低頭する勢いで響名はその内容も訊かずに了承した。せざるを得なかった。何しろ。
(もう石化されて石像の状態で何か月も生活するなんて勘弁よ!絶対に!)
 数か月前に起きたその事件で、アリスによって石化させられた響名は数か月、その状態で過ごす羽目になっている。そのことにすっかり、辟易していたのであった。



 何をやれとも指示されず、そのことに不気味さを覚えつつも、響名が案内されたのは、一等地のタワーマンションであった。いかにも金持ちの住んでいそうな、塵一つない大理石のロビーを、招かれた訳でもないだろうにまるで住人のような堂々たる態度でアリスは横切っていく。その後を追いかけ、響名はやたらに天井が高くて声の響くロビーで思わず声を潜めた。誰が聞いている訳でもないが気分の問題である。
「ね、アリスちゃん、あたし何したらいいの?」
「大したことじゃありません。品物の回収に来ただけで。…ああ、あなたには興味のある品かもしれませんね?」
 告げて、アリスが肩越しに小さなスマホの画面を見せた。何かのカタログだと気づいて覗き込み、響名は口笛を吹きそうになり――すー、という掠れた音しか出なかった。
「メデューサの瞳のペンダント――とんでもない出物じゃないの。すごいな、これ、アリスちゃんとこの商品? 幾ら?」
 問われたアリスがエレベータのボタンを押しながら返した値段は、それなりに金銭的余裕のある響名が青い顔になる桁であった。
「…わーお」
「私としても手痛いんですよ。いえ、金銭的にもですけれど。これは何しろ良い品ですから」
「だから回収するんだ。…でもあたし、そういう交渉とか、言いくるめるのとかは苦手よ? アリスちゃんの方が得意でしょそういうの」
「まぁ、失礼な。私は誠意を込めたお話合い以外はしてません」
 響名はその言葉にはあえて答えなかった。しげしげと画面を見て、すぐにその「ペンダント」の効能に気が付き顔を顰める。
「…これ、面倒だね。持ち主を害する対象を、有機・無機…下手すると物質かどうかとかも問わずに問答無用で石化するんじゃないの? 違うかな?」
「さすがは売り出し中の魔道錬金術師、ご名答」
 高層マンションのエレベータは、気圧差を感じさせる程の勢いで上昇していく。耳の違和感に響名はまた顔を顰めて大きく欠伸をし、それから改めてアリスを見遣った。胡乱な目つきになる。
「ねぇ、あたし、これから何をさせられるの?」
 改めて問えば、甘い金の瞳が淡く微笑んだ。老若男女問わずに容赦なく魅了する、性別を超えた色を湛えた瞳は5年前と変わらないどころか、迂闊にも響名が眩暈を覚える程に艶やかだった。
 エレベータが止まる。
 開いた先は、最上階のペントハウス。エレベータが開けばそこが住居になっている。大きな窓から差し込む陽光は暖かだが、しかし人の気配もなく、生活感の無いモノトーンで纏められた部屋には奇妙に冷え冷えとした空気が流れていた。
 アリスは躊躇なしに、リビングへと進む。そこに。
 石像があった。
「ペンダントの持ち主です」
 こともなげに紹介するアリスの言葉に響名は眉を顰める。女性の石像と見えたそれは、恐らく元は生きた人間であったのだろう。眉間には皺が寄せられ、伏せられた瞳からは苦悩が垣間見えるようだ。その首には、確かに。先にアリスが彼女に見せてくれた資料と同じ、ペンダントがかけられている。冗談のように、そこだけが石化していない。
 メデューサの瞳。それを素材に使用したペンダント。
(本物を見たのは初めてだわ)
 矢張り、魔導錬金術を操る人間としてはまず、そこに意識が向かう。響名は思わずしげしげと青いペンダントトップの、宝石とも見紛う輝きに見入った。時間と都合が許せば懐に仕舞っているルーペを使ってもっと詳細を確認したいし、叶うならちょっとばかり削って、いや、こっそり削ってしまえばバレないか――?
「では、お仕事とまいりましょう」
 まるで、響名の思案を読み取ったかのようなタイミングだった。ひやりとしたアリスの声が差し込まれる。我に返り、響名が振り返るのと、アリスの瞳が怪しく輝き彼女の肢体を舐めるように一瞥したのが同時だった。途端、右半身に強烈な重さを感じて、響名はバランスを崩して倒れそうになり、危ういところで踏みとどまる。見れば、右腕がごそりと灰色に変色し――石化、していた。ぞっとして響名はアリスを見遣る。
「また石像ー!?」
 少し前まで、アリスの力によって全身石化させられ、石像化していた響名である。悲鳴をあげたのも致し方のないことではあったが、
「いいえ、回収ですよ」
 当たり前のようにビジネスライクな口調で告げられ、肩を落とす。響名は頭の回転はこれでも早い方だ。加えて、今回の「ペンダント」のような魔術的な道具には詳しい。アリスの意図したところを素早く呑み込んだのだった。
「……メデューサの瞳なら、所有者から何かを奪おうとするような人間は問答無用で石化するわよね」
「そうですわね」
「『人間』じゃなくて…『既に石化済みの無機物』なら、問題ない訳ね」
「飲み込みの早い方で助かります」
 鷹揚に頷くアリスは満足げに微笑んですらいる。響名は恨めしい気分で彼女を見遣ったが、そんなもので動じるような人間ではなかった。

 かくして話は冒頭に戻る訳だ。重たい右半身を引きずるように、響名はリビングの中央に鎮座する石像へと近付いていく。近付いて知れたことだが、ペンダントの所有者――であった女性の石像は、右手に剃刀を握りしめ、おのれの首へと近付けようとしていた。
 つまりそういうことなのだろう。顔を顰め、響名は認める。
(自殺しようとしたって訳。それを『所有者に害をなす』とみなしたペンダントに、所有者本人が石化させられた――)
 皮肉な話だと、彼女は嘆息し、その首へと手を伸ばした。最初は恐る恐る触れ――反応がないことを確認してから、もぎとるようにする。石化して変質していたためだろうか、鎖の部分は呆気なく千切れ、ペンダントトップが石化した響名の掌へ転がり込み、からりと硬い音を立てた。それと同時、重さに耐えかねて響名はその場に頽れる。
「ちょっとー! 重たいわよ! 早く解除して!」
 叫びつつ、アリスへとペンダントを投げて寄越す。乱暴ですわねぇ、と呟きつつも、彼女はそれを受け取り、まずうっとりとその深い青を愛でた。響名の悲鳴など知った様子もない。
「神話のメデューサは首を切り落とされましたけれど。…私はそんなへまは、犯しませんよ」
 呟いて、千切れた鎖を器用に繋いでペンダントを首にかける。
 ――再度響名は、悲鳴を上げた。忘れられてはたまったものではなかった。




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■   登場人物(この物語に登場した人物の一覧)  ■
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【 7348 / 石神・アリス 】