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愚女の運命
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まるで微睡みの中に自我が溶け込んでいくような、そんな至福。
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陽の光差し込むベッドルームにとぎれとぎれに子守唄が響く。
ソファに腰を掛けた女性は満月・美華。巨大化した腹部を愛おしそうに撫でながら、子守唄を紡ぐ。
(私は新たに『10』の生命を手に入れたわ)
その腹部に宿ってるのは赤子ではない。
死の恐怖を恐れるあまりに禁を犯して創りだした、『自らの新しい命』である。
両親を火事で失い、祖父の命の灯火が消えたその時、美華を襲った激しい死の恐怖。彼女はその恐怖に耐え切れず、禁忌を犯したのだ。
地母神の力を宿したガイアの書を使い、自らの予備の命を『10』手に入れたのである。
(これで、何も怖くはないわ)
ああ、今まで感じていた恐怖は何だったのだろう。
こんなに簡単なことだったのに、何故気が付かなかったのだろう。
これで『今の自分』の命が尽きても『代わり』がいるのだから大丈夫。
そう思えば途切れ途切れだった歌声にも不思議と張りが出てくる。表情も明るくなった気がする。
――だけれど、美華は重大なことを忘れていたのだ。
どくんっ……!
「……!?」
突然、腹部が脈打ったのだ。
まさか胎動? いや、もっと別の……。
「……」
唄うのをやめ、慎重に腹部へと指を這わせる。今まで何度も何度も、慈しむように撫でてきたお腹。その輪郭を、記憶してしまうほどに。
「えっ……」
美華の指がある一点で止まる。そしてそのあたりを何度も何度も往復して確認する。
(……少し、お腹が膨らんでいる……?)
覚えていた円い輪郭に少し変化があった気がしたのだ。少し、大きくなったような。
(……気のせい、よね)
そう、きっと気のせいだろう。記憶違いということも、気にし過ぎということもある。
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再び、美華は唄い始める。自分の身体に何が起こっているのか、今は知らず、幸せのまま――。
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どくんっ……!
「っ……」
再び腹部が脈打つのを感じたのは、キッチンにいる時だった。配達してもらった食材を、冷凍できるものは小分けして冷凍するという作業をしていたのだ。このお腹を抱えて外に出るのは大変だし、奇異の目で見てくる者もいることだろう。噂されたりもするかもしれない。
別に美華にとっては奇異の目で見られることも噂されることも、大して気になる程ではなかったけれど。外出するほうが命の危険にさらされる確率が高いと思い、できるだけ外出を避けようとしていた。これは『代わり』の生命を宿す前からの癖のようなもの。『代わり』の生命を宿した今ならば、命の危険に晒されても平気なはずなのに、不思議と無意識に避けようとしてしまっていた。
(お腹は……)
冷凍用にと野菜を切り分けていた包丁を置き、腹部の輪郭をなぞる。
「やっぱり……」
誰に聞かせるでもないのに、声に出していた。この間と同じく、そしてこの間よりも腹部が大きさを増している気がするのだ。
(気のせい……? でも)
惑う心を抑えて、気のせいだと自分に言い聞かせる。
どくんっ……!
「あっ……」
次にそれを感じたのは、浴室でシャワーをあびている時だった。
お湯に濡れた金の髪が輪郭に張り付いたまま、美華は緑の瞳を見開いた。
そっと、腹部の素肌へと指を伸ばす。指が、小さく震えているのを、流したままのシャワーの水でごまかして。
両手でゆっくりと腹部の円みを撫でていく。
「また……」
――大きくなっている。
気のせいだと思いたい。けれども、脈打つごとに着実に大きくなっている気がするのだ。
「どういう、こと……?」
足の力が抜けて、美華は浴室の床へとへたり込んだ。
頭上からは、流しっぱなしのお湯が、無慈悲に降り注いでいる。
どくんっ……!
次にそれが来たのは、寝入りばなだった。
腹部の大きさゆえにうつ伏せに寝ることはできず、仰向けになっても苦しさが残る。横を向いてタオルケットを丸めて抱いた姿勢が一番楽に眠れるのだ。
うと、うと……ああ、このまま眠りに落ちるのだ――そう感じた瞬間の出来事。一瞬にして目が冴えた。
腰に負担をかけぬようにゆるりと起き上がり、月明かりの下で、震える手で腹部をなぞる。
どくんっ……!
「……!?」
前とは違い、そう間隔をおかずにもう一度、腹部が脈打った。
今度は慌てて、両手で腹部を弄る。
明らかに――大きくなっている。
(これは、どういうことなの……?)
もしこのまま腹部が成長し続けたら――考えるだけで恐ろしい。
(もういちど、ガイアの書を見てみましょう)
そうだ、術式が組み込まれているガイアの書ならば、この変化の理由がわかるかもしれない。
マタニティ用のネグリジェ姿のまま、美華は部屋を出た。目指すのはガイアの書を置いてある、祖父の書斎だ。
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「そんなっ……15!?」
喉が引きつり、いつもと違う上ずった声がでた。けれどもそんなことよりも重要なのは、数字だ。
かつて美華が書いた数字は確かに『10』だった。なのに今、目の前の数字は『15』を示している。これは、美華の胎内に15の生命が宿っているということにほかならない。
あの脈打つ感覚は、生命の増える合図だったのだ。
「どうして……」
ふらり、よろけた自分を支えるために手をついた机。机の上にあった本が、衝撃で床になだれ落ちた。落下によって偶然開かれた本のページに何気なく視線を落とした美華は、凍りついた。
「!!」
――『生命』とは――
そう題されたページを見て、美華は自分が重大なことを忘れていたことに気がついたのだ。『生命』とは、育まれ、成長するものであるということに。
(……そういうことなの……)
そう、簡単なことだったのだ。女性とは、生命を産むと同時に育むものである。女性である美華に宿った生命は、育まれているのだ。
「っ……!」
このまま体内の『生命』が増え続ければ、どうなるかはわからない。美華は必死にガイアの書をめくった。だが、その手が止まる。
(術式は解除できない……いや、したくない。せっかく手に入れた命なのに……!)
術式を解除したら、美華は再び死の恐怖に怯えることになる。せっかく手に入れた命をここで諦めるか、それとも――。
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〜〜〜♪
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日当たりの良いベッドルームに子守唄が流れる。少し、苦しそうな歌声に聞こえるのは気のせいだろうか。
ベッドに横たわった美華のお腹は、もうはちきれんばかりに膨らんでいた。美華を蝕み、膨らんでいく腹部。
現在の書の数字は『20』。
息も絶え絶えに、それでも彼女は唄う。愛おしそうに腹部を撫でながら。
どくんっ……!
その唄に合わせるように腹部が脈打ち、膨らんだ。
現在の書の数字は――『21』。
【了】
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
【8686/満月・美華/女性/28歳/小説家・占い師】
■ ライター通信 ■
この度はご依頼ありがとうございました。お届けが遅くなりまして申し訳ありません。
続きをかかせていただけて、とても嬉しいです。
細かいご指定のなかった部分はこちらで創造させていただきました。
少しでもお気に召すものとして仕上がっていることを願いつつ。
この度は書かせていただき、ありがとうございましたっ
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