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<東京怪談ノベル(シングル)>


狂乱の牝獣と暗黒の使者


 かつて美しい魔女であったものが、石の寝台の上で、ぶちまけられた挽肉のような様を晒している。
「これはまた……派手にやられたものね」
 仲間の、死体と言うより残骸を取り囲み観察しながら、魔女たちは呆れつつ感嘆した。
「一体、何が起こったのかしら」
「ほら昨日、模擬戦をやらせたろう? 167号と192号に」
 拉致してきた美少女たちからは、まず人としての名前を奪う。そして獣に変え、番号で呼びながら調教する。
 その調教には、戦闘訓練も含まれている。美少女の姿をした戦闘犬として、高く売れるからだ。
「落ちこぼれの167号と……192号というのは、ああイアル・ミラールね」
「その名前は私が奪ったのだけどね。とにかく167号じゃ相手になるわけもなく、192号が普通に勝った後」
 言いつつ魔女の1人が、寝台上の肉の残骸に、ちらりと視線を投げる。
「この女がね、あまりにも使い物にならない167号に鞭を食らわせたのよ。それが192号の怒りに触れて……まあ、この有り様というわけ」
「ふふっ、仲間を助けたつもりなのかしらね。鏡幻龍に見捨てられた、哀れな牝犬が」
「それなのだけど……鏡幻龍は本当にイアル・ミラールを見捨てたのかしら?」
「確かに。奪い取ったはずの鏡幻龍の力を、私たちはまるで使えていない」
「そして鏡幻龍の加護を失ったはずのイアル・ミラールに、まさかこれほどの力があるとは」
「面白いじゃないか。ミラール・ドラゴンの抜け殻かと思っていたが、あの娘……思った以上の、戦力になりそうだ」
「今更、戦力の増強が必要なのかしら?」
 魔女の1人が、優美に微笑んだ。
「ミラール・ドラゴンの力も手に入った。研究を進めてゆけば、いずれ使いこなせるようになるわ。そうなれば、もう……私たち魔女結社を脅かすものなど、この世には存在しない」


 自分たちを脅かすものなど、この世には存在しない……などと何百年も自惚れながら存続してきた組織なのだろう。
 魔女結社。
 中世の、本物の魔女たちによって作られた組織である。
 本物の黒魔術が、戦場の銃砲弾の如く飛び交っている。炎、電光、冷気、呪力の波動。
「ユー、無駄な事はおやめなさい?」
 言葉と共に、ゆったりとホテルの廊下を歩く細身の人影。
 若い娘である。まだ少女と呼べる年齢、にも見える。
 足取り軽やかに歩を進める彼女の周囲に、いくつもの楯が浮遊していた。まるで人工衛星のように。
 表面に人の顔が浮かび上がった、異形の楯。
 苦痛と憎悪の表情を浮かべたそれらが、襲い来る炎を防ぎ、電光を弾き、冷気を粉砕し、呪力の波動を跳ね返す。
「何百年間も自惚れながら一体、どれだけ人を殺してきたのかしらねえ……このホテルは怨霊で満ちている。私にとっては、無限に力を引き出せる場所よ。ユーたちに、勝ち目はないわ」
「何だ……何者だ、貴様!」
 炎を発生させ、電光を放ち、冷気を吹かせながら、魔女たちが狼狽する。
「私たちに、正面から戦いを挑むなど……」
「私はエヴァ・ペルマネント。まずは盟主様からの御言葉を聞きなさい」
 魔女たちの放つものを、人面の楯でことごとく弾き返しながら、エヴァ・ペルマネントは言った。
「魔女の時代は、すでに終わりを告げている。中世より連綿と受け継がれし黒魔術の秘法を提供しなさい。そして大いなる霊的進化への道を、共に往きましょう……以上。盟主様はユーたちに、虚無の境界へと帰依する機会を賜ったのよ」
「虚無の境界だと……歴史の深さにおいて我ら魔女結社の足元にも及ばぬ、青臭い新興組織が!」
 魔女たちが怒り狂い、呪力の波動をぶつけてくる。
 それを人面の楯で撥ね退けながら、エヴァは微笑んだ。
「古いだけの組織が……私たち虚無の境界に、勝てるとでも?」
 軽く、両手を掲げる。
 黒革のグローブをまとう繊手が、ホテル内の空間を掴んだ。空間に満ちた怨霊たちを、掴み引きずり出した。
「ここは私にとって、無限に力を引き出せる場所……楯だけではなく、こんなものを作り出す事も出切るわ」
 エヴァの両手が、いつの間にか鎖を握っている。
 長い鎖の両端で、無数の頭蓋骨が球状に固まりながら牙を剥き、眼窩の奥で鬼火を燃やしている。
 それは怨霊たちで組成された、大型のハンマーであった。
「さあ行きなさい、魔女に殺された者たち……思う存分、怨みを晴らすといいわ」
 エヴァの強靭な細腕が、鎖を振るう。
 左右一対の怨霊ハンマーが、重い唸りを発して宙を裂き、流星の如く飛んだ。
 魔女たちの美貌が、優美な肉体が、一緒くたに叩き潰されて飛び散った。あるいは、ハンマーに付着した。
 球形に固まった頭蓋骨たちが、牙を剥いて舌を伸ばし、付着したものをガツガツと食らう。
 ハンマーから鎖を通じて、エヴァの両手に、体内に、力が流れ込む。
 魔女たちの、怨念と魔力。それをエヴァの肉体が、栄養にも似たものに変換しているのだ。
「ふふっ……年代物の発酵食品、かしらね。腐りかけてはいるけれど、まあまあの珍味」
 ぺろりと唇を舐めながら、エヴァは足を止めた。
 ホテルの、ロビーであった。
 最も客の目が集まる所に、奇怪なオブジェが飾られている。
 氷漬けの、人魚姫であった。
「あらまあ……最近、テレビでもネットでも見かけないと思ったら」
 今度こそ宇宙人にさらわれたのだ、などと言われているアイドルが、こんな所で人魚に変えられ、氷の棺に閉じ込められている。
 虚無の境界の盟主が、実は彼女の大ファンなのだ。失踪したアイドルを捜すため、独自に動いたりもしているらしい。
 その捜索網から、この人魚姫を今まで隠し続けていた魔女結社。確かに、侮れない組織ではある。
「思わぬ拾い物ね。盟主様も、お喜びになるわ……おっと」
 エヴァは、ステップを踏むように飛びすさった。
 獣臭い暴風が、襲いかかって来たのだ。
 凶暴な肉食の猿を思わせる動きで、そこに着地したのは、まさに獣臭さの塊とも言うべき1匹の牝である。
 野生の獣と同じく、入浴などしていない。出すものも出しっ放し。
 汚れと悪臭にまみれた白い肌は、しかし野性そのものの荒々しい色艶を保ってもいる。
 そんな肌に、汚れほつれた金髪が貼り付いていた。
 軽く鼻をつまみながら、エヴァは問いかけた。
「ユーは誰? ……なんて、会話が出来る状態ではないようね」
 会話をする代わりに、その牝獣は跳躍した。
 むっちりと豊麗な肉を、しなやかに引き締めた全身が、荒々しく躍動してエヴァに迫る。
 その襲撃を、人面の楯が迎え撃つ。
 怨霊で出来た楯が、牝獣の体当たりで砕け散った。
 人魂のように輝きながら消えてゆく怨霊の破片を、容赦なく蹴散らしながら、金髪の牝獣がエヴァを襲う。
「ぐるッ……! ぐるるるるるっ、ぎゃああああああう!」
 端麗な唇をめくり上げて牙を剥きながら、牝獣が細腕を鞭のようにしならせる。むっちりと獰猛な太股を跳ね上げる。
 平手打ちが、エヴァの美貌を粉砕した。
 膝蹴りが、エヴァの優美な胴体をへし折った。綺麗にくびれていた脇腹が、膨れ上がって破裂し、様々なものを噴出させる。
 そんな状態のまま、エヴァは両手を動かした。
 怨霊で出来た鎖が、牝獣の身体を絡め取り、締め上げる。
 顎が砕けて舌がちぎれ、口をきける状態ではないので、エヴァは思考した。
(不覚……! 私に、ここまで大規模な再生能力を使わせるなんて……ユー、なかなかやるわね)
 砕けた頭蓋骨が、辛うじて無事だった脳髄を保護する形に繋がり再生してゆく。
 飛び出した眼球を、エヴァは己の眼窩に入れ直した。
 牝獣が、大蛇のような怨霊の鎖に締められ束縛され、吼えながらのたうち回っている。その様が見えた。
 エヴァは、まだ動けない。
 真っ二つになりかけた胴体が繋がるまで、いささか時間がかかりそうであった。


 ほうほうの体で逃げ出した、に近い有様である。
 魔女結社は、やはり一筋縄ではゆかぬ相手だ。この牝獣の他にも、どんな切り札を隠し持っているかわからない。
 捕えた牝獣と、それに氷漬けの人魚姫だけは、戦利品として持ち帰る事が出来た。
 エヴァ・ペルマネントが隠れ家として用いている廃屋。
 元々、ホテルであったようだ。魔女結社の本拠地であった、あの高級ホテルとは別の建物である。
 解体費用の問題で、放置されているのだろう。廃屋とは言え、住み心地は上々だ。
 インフラを勝手に使用しながら、エヴァは快適な独り暮らしを堪能していた。
 無論、のんびりと暮らしているわけではない。このホテルは、エヴァが任務を遂行する際の拠点でもあるのだ。
「やれやれ……ひどい目に遭ったわ」
 エヴァは鏡を見つめた。
 再生した皮膚が、しかし口元の辺りでまだ若干、引きつっているような感じである。
 その鏡の中から、牝獣が睨み付けてくる。エヴァと同じ真紅の瞳が、獰猛に燃え上がっている。
 エヴァは振り向いた。
 怨霊の鎖でがんじがらめに拘束された牝獣が、氷漬けの人魚の傍で牙を剥き、唸っていた。
「ユーたちを、どうするか……盟主様に御指示を仰がなければ、ならないのだけど。まずは私の裁量で出来る事を」
 軽く鼻をつまみながら、エヴァは言った。
「今からユーを、お風呂に入れる……直接戦闘よりも、難儀なミッションになりそうねえ」