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<東京怪談ノベル(シングル)>


切支丹天女(2)


 死んだ人間が、生き返る事はない。復活を許された存在は、ただ1人イエス・キリストのみである。
 死んだ人間が、しかし人間ではない何かとして、この世に現れる事は稀にある。
 とある会社の、九州支部。その社屋内で今起こっている事態が、それに該当するか否かは、まだわからない。
 社員たちが男女の差別なく、切り刻まれ、積み重ねられて、もはや死体とも呼び難い肉のオブジェと化している。武装審問官・白鳥瑞科の視界内あちこちで、奇怪無惨な様を晒している。
 そして、蠢いている。
 生命なきもの、であるはずの肉のオブジェたちが、のたのたと震え蠢いて群れを成し、瑞科を取り囲みつつあるのだ。
「この世に出でよ、偉大なる『じゅすふぇる』の軍勢よ……」
 支社長の言葉に応ずるかの如く、異変が起こった。
 肉のオブジェがビシャアッ! と裂けるような感じに翼を広げた。あるいは、触手を伸ばした。鉤爪のある四肢を生やした。全身で眼球を見開き、または裂傷のような口を開いて牙を剥いた。
 様々な異形が、瑞科の周囲に出現していた。
 本来ならばこの世に存在し得ない者どもが、人間の屍を材料とする肉体を得て物質化を遂げたのだ。
 偉大なる『じゅすふぇる』の軍勢。
 支社長によってそう名付けられた怪物たちが、一斉に瑞科を襲う。
 鉤爪が、牙が、毒虫のような触手が、戦闘シスターの肢体を全方向から引き裂きにかかる。
 その襲撃に向かって、瑞科は踏み込んで行った。
「世直しのために戦を起こす……それは結局、このようなところにしか行き着かないのではなくて?」
 豊麗な胸の膨らみが、ボディースーツに刺繍された天使の姿を歪めながら荒々しく揺れる。
 しなやかに鍛え込まれた細腕が、聖なる杖を様々な方向に振るい、回転させ、暴風のような唸りを響かせる。
「大勢の方がお亡くなりになる、そして誰も幸せにはなれない……貴方ご自身、お幸せでしたの? 勝ち目のない一揆の、総大将に祭り上げられて」
 先端にケルビムの像が取り付けられた杖。暴風を発するその一撃が、群がる触手をことごとく粉砕する。牙や鉤爪もろとも、怪物たちの肉体を叩き潰す。
 様々なものが汚らしく惨たらしく飛散する光景の中、瑞科は杖を振るう勢いにまかせて身を捻っていた。
 綺麗にくびれた胴が柔らかく捻転し、黒のプリーツスカートが舞い上がって花弁の如く開く。
 ナイフ付きのガーターベルトを巻かれた太股が、むっちりと暴れ出して躍動した。
 ニーソックスとロングブーツで武装した美脚が、左右立て続けに超高速で弧を描く。回し蹴り、続いて後ろ回し蹴り。
 杖の攻撃をかいくぐるように伸び群がって来た触手たちが、蹴りちぎられて肉の飛沫と化す。
「原城で、懲りていらっしゃれば……そのまま安らかに眠っておられれば良いものを」
 端麗な唇から、哀れみの呟きを紡ぎつつ、瑞科は左手を一閃させた。
 太股のガーターベルトから、光が走り出した。
 収納されていたナイフが、抜き取られると同時に投擲されていた。
 距離を隔てて触手を伸ばそうとしていた怪物数体が、麻痺したように硬直する。
 投擲されたナイフが、彼らの身体に深々と突き刺さっていた。
「より一層、不幸になるために生まれ変わって来られた貴方を……ご安心なさいな、私が救って差し上げますわ。このように、ね」
 瑞科は言い放ち、杖を掲げ、念じた。
 雷鳴が轟いた。
 怪物たちに突き刺さっていたナイフが、電光を発したのだ。
 人の屍を材料とする異形の肉体が複数、内部から電熱に灼かれ、焦げ砕けて灰に変わった。
 その遺灰を蹴散らすように溢れ出した電撃光が、宙を走って支社長を襲う。
「……利いた風な事をほざくなよ、『でうす』の牝犬が」
 右手でバチッ! と電光を受け止めながら、支社長は呻き、叫んだ。
「誰も幸せになれぬ世直しの戦をな、起こさねばならぬところまで……島原・天草の民は、追い詰められていたのだよ。勝ち目のない一揆だと!? そのような事、最初からわかりきっていたわ! だが皆、立ち上がらざるを得なかった。何故か? 生きていたところで結局は、徳川幕府の圧政で虫けらのように殺されるしかないからだ!」
 支社長の全身で、衣服がちぎれ、皮膚がちぎれ、剥き出しの筋肉が力強く隆起しつつ固まってゆく。
 新たなる皮膚……と言うより、外骨格である。
「もはや信仰にすがるしかなかった者たちを、『でうす』は見捨てた!」
 いや、外骨格ではない。
 それは甲冑であった。
 首から上では、剥き出しの頭蓋骨が兜・面頬の形に隆起している。
 眼窩の中で炎を燃やし、唇のない口で牙を剥いた、それは異形の鎧武者であった。
「……意外ですわね。襞襟とマントの似合う、ポニーテールの美少年を想像していたのですけれど」
 瑞科は、とりあえず微笑んでみた。
「思った以上に、厳つい御方でしたのね」
「私はな、武士の子なのだぞ」
 先程まで支社長であった異形の鎧武者が、言葉と共に武器を向けてくる。
 火縄銃、に見える。長い火縄が、蛇の如く甲冑に絡み付いている。
 鎧武者の体内から、禍々しい力が、火縄を通じて銃身へと流れ込み、弾丸として装填されてゆく。
 瑞科は、そう感じた。
「武芸十八般、幼き頃より仕込まれてきた……剣・弓・柔は言うに及ばず、鉄砲に至るまでな!」
 鎧武者が、引き金を引く。
 轟音が、社屋内の空気を揺るがした。
 瑞科はとっさに、柱の陰へと身を隠した。
 その柱が、砕け散った。
「ふ……思い出すわ。原城の戦においてもな、こうして」
 鎧武者が、立て続けに引き金を引く。
「幕府の兵どもを、蝿を叩き落とすが如く! 大いに撃ち殺したものよ!」
 瑞科は杖を掲げ、念じた。
 電光が発生し、雷鳴を立てて渦を巻く。
 電磁光の防護膜が、瑞科の全身を包んでいた。しなやかな天女の身体に、羽衣がまとわりつくかの如く。
 そこに、衝撃がぶつかって来る。
 禍々しい力が、凝り固まって銃弾と化したもの。それが立て続けに防護膜を直撃している。
 直撃に揺らめく電磁光の羽衣をまとったまま、瑞科は踏み込んでいた。
「貴方も、大いに人を殺めていらっしゃる。お互い様、というわけには?」
 問いかけながら振るった杖は、しかし火縄銃によって受け流されてしまう。
 受け流された杖を、瑞科は即座に、別方向から叩き付けていった。
「言ったはずだぞ……私が行った殺戮など! 天草・島原の民が受けた仕打ちを思えば何ほどのものか!」
 鎧武者が、火縄銃をまるで槍のように回転させ、杖の一撃を弾き返す。
 瑞科は後方によろめいた。即座に踏みとどまったが、間合いが開いてしまった。銃撃の、間合いが。
「徳川幕府が大虐殺の果てに作り上げたる安寧を受け継ぎ、それに浸りきった者どもなど! 百度皆殺しにしても飽き足らぬわああッ!」
 鎧武者が、引き金を引いた。轟音が響き渡った。
 電磁光の防護膜が、砕け散った。
 戦闘シスターの全身から、電光の破片がバチバチと飛散する。羽衣が、ちぎれ飛んだかのように。
 瑞科は杖を構え、念じていた。
 構えられた杖に、電磁光の破片が集まり吸着する。
 続けて引き金を引かれる前に、瑞科は踏み込んで行った。そして電光をまとう杖を、棒術の形に叩き込む。
 鎧武者が、それをかわしながら後方に跳んだ。
 銃撃の間合いが、またしても開いてしまう。
 瑞科は杖を掲げ、叫んだ。
「時代錯誤な殺人鬼……歴史上の偉人と言われる方々など実は大抵、そんなものかも知れませんわねっ」
 杖の先端、翼を広げたケルビム像から、電光が迸る。
 何本もの稲妻が、鎧武者を襲う。
 社屋内、何箇所かで小規模な落雷が起こった。
 怪物たちの屍が、荒れ狂う電熱に灼き払われて焦げ砕ける。
 その焦げ臭さの中、瑞科は前後左右を見回した。
 異形の鎧武者の姿は、どこにも見えない。
 今の電撃で倒してしまった、わけではない事は明らかだった。
「何者も救えぬ『でうす』の下僕にしては、なかなかやるではないか。伴天連の小娘よ」
 声が、聞こえるからだ。
「私が徳川幕府を許さぬように、貴様も私を許せぬのであろう? 討ち滅ぼしてみるが良い。この世に原城と同じ地獄をもたらさんとする私を、『ぜず・きりんと』の奇跡をもって……また、会おうぞ」