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<東京怪談ノベル(シングル)>


夜宵の竜少女


 見るからに頼りない痩せぎすの中年男が、赤ん坊を抱いている。
 まるで女房に逃げられた男のようだ、と松本太一は思った。
 自分がもし結婚でもしていたら、こんなふうになっていたのではないか。
「よしよし……ふふふ、赤ちゃんは可愛いわね。だけど段々、可愛くなくなってくるのよねえ。泣き喚いて、騒いで暴れて、言葉を喋るようになると理屈をこねる事も覚え始めて」
 おしゃぶりを咥えた赤ん坊を、優しく抱いて揺らしてあやしながら、男は言った。
「そうなったら……情報改変して、また赤ちゃんに戻せばいいだけのお話かしらね」
「あのう……つまり、あれですか」
 太一は訊いてみた。
「その子は、あなたが……めんどうを見てくださる、ということで、いいんでしょうか」
「さて、どうしましょうか……今、確実に言える事は1つ。貴女の面倒は、貴女が自分で見なければならない。それだけよ」
 サラリーマン松本太一・48歳の肉体を得た女悪魔が、痩せた中年男の顔でニコリと微笑む。
 その肉体から追い出された松本太一が今、魔女たちに見守られながら、入浴中であった。
 豊麗な『夜宵の魔女』の肢体は幼く縮み、起伏に乏しくなってしまった胴体には『松本』と名前の縫われたスクール水着を着せられている。
 そんな幼い少女の身体が、少し熱めのお湯に浸されているところだ。
 魔女の1人が、にこやかに問いかけてくる。
「お湯加減はどう?」
「え……はい、ちょっと熱いかな……って……」
 太一は見回した。
 丸くて黒っぽい湯船である。いや、湯船ではない。
「あの、これ……お鍋? に見えるんですけど……」
「見た事あるでしょ? 絵本の挿絵か何かで。魔女が、でっかい鍋で何か煮込んで掻き回してるの」
 言いつつ魔女の1人が、親指を立てた。
「ズバリあれよ!」
「あ、あのう、たすけてくれないんですかあぁ」
 鍋の下で容赦なく薪が燃やされているのを感じながら、太一は悲鳴を上げた。
 助けを求められた男はしかし赤ん坊にかかりきりで、煮られている少女には目もくれず、ただ言うだけだ。
「お腹を空かせている子供たちがいるわよ。私、美しい自己犠牲のサンプルを見てみたいわ」
 ハーピーの少女と獣人の少女が、きらきらと目を輝かせ、舌なめずりをしながら、ナイフとフォークを持っている。
 ぐつぐつと容赦なく温度を上げてゆくお湯、いやスープの中で、太一は泣きじゃくった。
「わたし、おいしくないです……こどもには、もっと安心できるもの……たべさせましょうよぉ……」
「ああ心配しないで。貴女を食べようというわけではないから」
 魔女たちが言った。
「食べちゃいたいくらい、可愛いけどねぇ……美味しそうだけどねええ」
「貴女はね、素材としては最適なわけよ。食べちゃったらそれで終わり、そんなもったいない事出来ないわ」
 太一の近くに、ぷかりと何かが浮かんだ。
 頭蓋骨だった。
 角を生やし、牙を剥き、虚ろな眼窩で太一を見上げる、怪物の頭蓋骨。
 よく見ると、肋骨も浮かんでいる。長大な尻尾へと続く、脊柱もある。鋭い鉤爪を備えた、四肢の骨も。
 骨格だけになった怪物が、太一と一緒に煮込まれているようだ。
「これ……ガラスープ、じゃないんですかぁ……」
 太一の意識が、朦朧としてきた。
 いい湯ではある。身も心も、蕩けてしまいそうなほどに。
「それはね、私たちから見ても超レアな、古の邪竜の骨なのよん」
 魔女の1人が、楽しげに説明をしてくれた。
「今はね、邪竜の情報と貴女の情報を融合させているところなわけ」
「何しろ、あんたは生まれ変わっちゃったからねえ。魔女って生き物に」
 以前、女悪魔が言っていた。
 魔女と呼ばれる存在は、大きく2つに分類する事が出来る。
 1つは、生まれつきの魔女。人間ではない、魔女という生物。今ここに集っている魔女たちの、大半はそうだ。
 1つは、強大な力を持つ何かに取り憑かれてしまった人間。つまり松本太一である。
 後者の場合、取り憑いたものとの相性次第では極めて高い能力を持つ事が出来るが、それを使いこなすのは至難であるようだ。何しろ、基本が人間なのだから。
 使いこなせぬ力を、みだりに使ってしまった結果が、これである。
 今、大鍋の中で邪竜の情報と融合しつつあるのは、人間の少女ではない。
 人間ではない「魔女」という生き物の、幼生なのだ。
「私たち『魔女』という種族が、何か別のものに成れるかも知れない……もう1つ上の高みに、達する事が出来るかも知れない。貴女にね、その可能性を見せて欲しいのよ」
 魔女たちが何を言っているのか、太一はそろそろ、わからなくなり始めていた。
 濃厚な出汁の香りが、全身から染み込んでくる。
 邪竜の情報がたっぷりと溶け込んだスープに、太一はぶくぶくと身を浸している。
 その中で、自分の身体もまた情報へと還元されてゆくのを感じながら、太一は呆然と言った。
「あなたが……私を、たべたら……もとに戻れるんじゃ、ないですかあぁぁ……」
「まあ元に戻るのは簡単だけどね。私ももう少し、貴女を観察させてもらう事にしたわ」
 もう1人の松本太一が、赤ん坊を抱いたまま答える。
「言ったでしょう? 私自身……もう少し、勉強し直す必要があるって」


 高架下の駐車場である。隅の方に1台、ライトバンが停められている。
 その周りで、ちょっとした騒ぎが起こっていた。
「離してください……あたし、やっぱり行きません……」
「おおいおいおい、ここまで来といてそりゃねえだろうよ」
 柄の良くない、若い男が3人。怯えている女の子を1人、無理矢理にライトバンの中に連れ込もうとしている。高校生くらい、割と可愛い女の子だと松本太一は思った。
 少なくとも、今の自分よりは、ずっと美しい少女である。
「ナンパされてここまでついて来たって事ぁ、要するにオッケーって事だよなあ?」
「いや……嫌です! やめて離して!」
「おぅてめえ、いい加減にしねえと山ン中とかに捨てちまうぞ?」
 男の1人が、少女の眼前でバチッ! とスタンガンを鳴らした。
 少女が悲鳴を詰まらせ、青ざめている。
 太一はまず、声をかけた。
「あのう……やめませんか、そういうこと」
「あ?」
 男たちが振り向き、睨み、そして息を呑む。
 明らかに人間ではないものが、そこに立っていたからだ。
 ほっそりと幼い少女の体型をした、白っぽい生物。
 白に近い灰色の皮膚は、ざらついていながら妙にぬるりと滑らかで、まるで蛇のようでもある。
 爬虫類的な体表面のあちこちに、大小様々な魔法陣が刺青のように描かれている。
 それらが、ぼんやりと光を発した。
「な……何だ、てめえ……」
 うろたえる男たちを見つめながら、太一は頭を掻いた。
「まつもと……たいちと、もうします。えー、ひかってるのは気にしないでください。魔石やら呪紋やら、魔法陣のかたちに埋め込まれちゃったんですぅ」
 頭髪は、残っている。さらりと艶やかな黒髪。
 その髪を掻き分けて、鋭利な角が生えていた。
 背中からは、小柄な細身をすっぽり包んでしまえそうな皮膜の翼が広がり、可愛らしい尻からは尻尾が伸びている。
 男たちは、うろたえながらも、怖がってはくれない。
「な……何だこりゃあ、宇宙人か!?」
「……へへ、月刊アトラスに持ってきゃあ高く売れるかもなあ」
 男たちが、スタンガンやナイフを片手に、にじり寄って来る。
 太一は慌てて、警告を発した。
「あ、だっだめです、うかつにちかづいたら……」
 遅かった。
 ぼんやりと光っていた魔法陣が、急激に輝きを強めながら巨大化し、太一の小さな身体から溢れ出した。
 そして、男たちを呑み込んだ。
 魔法陣が縮み、太一の身体の表面積内に再び収まってゆく。
 3人の男は、消え失せた。無人のライトバンと、呆然としている少女だけが残された。
「全てを喰らい尽くす邪竜の力……問題なく、機能しているようね」
 もう1人の松本太一が、いつの間にかそこにいた。高架線の支柱にもたれ、佇んでいる。
「邪竜の情報を、上手い具合に取り込んで見せてくれたじゃないの」
「そう……いうことに、なるんですか? あのガラスープおいしかったです」
「古の邪竜の力、まずは使いこなしてごらんなさいな。情報改変の技量を上げるのに、もってこいの修行になると思うわ」
「しゅぎょう、はいいんですけどぉ……」
 先程から、気になっていた。
 太一の尻尾に、獣人の少女がはむはむと噛み付いている。頭に、ハーピーの少女が食らい付いて来る。
「これ……どうしたら、いいんでしょう……」
「自分で面倒を見なさい。貴女の使い魔でしょう?」
「そう、なっちゃうんですかぁ……」
 太一の全身各所の魔法陣から、3人分の人骨がぽいぽいと吐き出された。