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<東京怪談ノベル(シングル)>


クリアな海で人魚は踊る(5)
 地下に広がる仮初の海の中を自由に舞う彼女は、まるで人魚のようだった。その動きには迷いがなく、どこまでも優雅だ。軽やかな足取りで瑞科はステップを刻み、自身へと襲いかかろうとしていた怪魚の裏へと回る。彼らが振り向くよりも早く、女の手により磨き上げられた剣は振るわれる。切り裂く音と怪魚の悲鳴が、耳障りなセッションを奏でた。
 息を吐く間もなく、しなやかな足がもう片方の足を軸にして円を描くかのように宙をなぞる。左右から彼女に狙いを定めていた怪魚達に華麗な回し蹴りをお見舞いし、死角からその鋭い牙を振るおうとしていたものへも振り返り様に彼女は拳を叩き込む。その女性らしいラインを持った美しい形の手のどこにそんな力が眠っていたのか、重く力強い一撃に怪魚は断末魔の声をあげ床へと落下した。
 研究員達の魔力で作られた怪魚達。魔女にとって自信作のようだが、それでも瑞科の肌に傷をつける事は叶わない。それどころか、彼女は怪魚達が暴れる事により周囲に振りまかれる水しぶきすらも剣で弾いて見せていた。
 人並み外れた力を持つ彼女は、まさに「教会」きっての実力者である。このような戦場ではなく歌劇や絵画の中にいるほうが相応しいのではないかと思う程の見目麗しい外見を持ちながらも、その豊満で女性らしい魅惑に溢れた体には洗練された戦闘技術と数多の戦場を渡り歩いてきた経験が秘められている。決して慢心せぬ努力によって完成された、強く美しい戦闘シスター。
 これこそ魔女が求めていた逸材であり、怪魚にとってこの上ない程のご馳走だ。しかし、だからこそ、そうやすやすと食えるような女ではないという事は魔女達にも分かっていた。
 また一体の怪魚が瑞科の隙のない一撃により、その生命を散らす。先程まで楽しげだった魔女の顔に、焦りの色がまじり始める。簡単にはいかないだろうとは思っていたけれど、それにしても瑞科の強さは予想以上だった。魔女はようやく気付く。自分が敵に回した女は、格が違うのだという事に。魔女の体に震えが走る。それなりの実力を持つ研究員達を全て怪魚の餌にしてみせた魔女であっても、敗北の二文字が脳裏をよぎり恐怖が体を苛むのだ。
 先程から何体もの怪魚を相手にしているというのに、瑞科は疲れた様子すらなく、隙の一つも見せない。
「ふふ」
 場に落ちたのは、笑声だ。勝利を確信した瑞科の笑み――ではない。
 それは聖女の作る穏やかで聖母のような微笑みではなく、半ば自棄のようにも聞こえるあまりにも邪悪で淀んだ魔女の笑みだった。
 真っ赤な紅の引かれた唇を不気味に歪め、また「ふふふ」と魔女は笑い声を上げ叫ぶ。
「研究が完成する様をこの目で見れないのは残念だけれど、仕方ないわ。私のカワイイお魚ちゃん達が、貴方を食らうためだもの。そのためなら、私は何だってするわ!」
「……っ! お待ちなさいっ!」
 魔女が何をしようとしているのか気付いた瑞科は、制止の声を投げかける。けれども、相手が動きを止める事はなかった。
 黒幕である女の瞳孔は、開ききっている。もはや、正気ではないのだ。否、このような研究を始めた時点で、すでに彼女は狂っていたのかもしれない。
 魔女はゆっくりと怪魚達への前へと歩いて行き、まるでその身を捧げるように両手を広げてみせた。「食べてくれ」と言わんばかりに無防備な彼女に怪魚達は一斉に群がり、その魔力を食らう。
 魔女は、研究の完成のために、自分自身すらも怪魚の餌にしたのだ。
「全く、マッドサイエンティストの考える事は、わたくしには理解出来ませんわね」
 嘆息しながらも、瑞科は剣を構え直す。新鮮で膨大な魔力をくらった怪魚達の力は先ほどの比ではない。目にも留まらぬ速さでこちらに向かってきた怪魚の動きを察知し、彼女は跳躍する事でその攻撃を避けてみせた。そして少し離れた場所へと難なく着地した直後に、一閃。餌を待つ鯉のように口を開閉し、瑞科の柔らかな肌に食いつこうとしていた一体の怪魚を切り払う。
 僅かに、周囲の空気がブレた。瑞科の手により、重力弾が生み出される。長く細い腕をかざし、彼女は目的の場所へ向かいそれを撃ち出す。
 と、同時に今度は後方へと向かい疾駆。ロングブーツに包まれた瑞科のすらりとした長い足が向かう場所は、地上へと続く階段だ。
 突然逃走しようとした瑞科を、無論怪魚達が許すはずもない。鳴き喚きながらも、残った怪物達は彼女の後を追おうとする。
「あらあら、そんなにわたくしの事をお食べになりたいの? けれど、もうおしまいですわよ」
 しかし、彼らが瑞科に追いつく事はなかった。
 みしり、みしり、と何かにヒビの入る音がする。直後、音の嵐と言ってもいいほどの轟音が辺りに響き渡った。瑞科が先程放った重力弾が狙ったのは怪魚達でなく、水槽だったのだ。突然の衝撃に水槽は割れ、いっきに中に入っていた水が溢れだす。突然の事に惑う怪魚達は、瞬く間に水の波へと飲み込まれてしまう。
 水の被害が及ばぬ場所まですでにのぼっていた瑞科は、荒れ狂う水流に向かいとどめの電撃を放った。

 ◆

 怪魚達は全て倒し、黒幕であった科学者の女ももういない。任務を終えた瑞科は研究所を出て、「教会」へと連絡するために通信機へと手を伸ばした。
 ふと、見上げた先にあるのは透き通った空。もう怪魚がこの空を泳ぐ事はないだろう。
「悪しき者には、この広大な空も、海も、似合いませんわ」
 夜はいつの間にか明けており、晴れ渡った青空にはいくつもの白い雲が浮かんでいる。まるで魚と人魚が楽しげに踊っているかのような形をした雲を見つけ、瑞科は思わずふわりと優しげな笑みを浮かべた。