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紅の記憶〜見えぬ襲撃者〜
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「(瑠璃ちゃん、瑠璃ちゃん、瑠璃ちゃん――!)」
手術室の前、緋穂は祈っていた。
対応に当たっているのは外科医である父。その腕前を考えれば心配する事はないだろうと思われるのだが、彼女は心配しているだけでなく。
「(私が……私が一緒にいなかったからいけないんだ)」
瑠璃に怪我を負わせたのは人外の存在、もしくは同業者。
だとすれば感知・防御に長けた自分が側にいたら、今のこの状況は避けられていたのではないか。
「……緋穂ちゃん、これ」
「……?」
椅子の前に立った顔見知りの看護士さんが差し出したのは一枚の札。何となく裏返してみるとそこには――
次はお前の番だ
――おどろおどろしい血文字でそう書かれていた。
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ガチャッ
「お? おー……」
客かと思ったのだろう、草間興信所の扉の開く音に一瞬草間・武彦は期待の瞳を向けたが、それは一秒であえなく崩れ去る事になった。そこに立っていたのは彼が「お断り」する怪奇現象に関わるとある富豪のお嬢様であり、術者であった。
「緋穂さん、いらっしゃいませ。……泣いているのですか?」
零に導かれるようにして室内へ入ってきた少女の瞳は赤くて。けれどもどこか強固な意志を持っていて。
「瑠璃ちゃんが何者かに襲われたの。次に狙われるのは私」
ぺら……血で描かれたお札を、緋穂は差し出して見せた。
「だから……一緒に戦ってくれる相手を探しているの。お願いっ!」
「うちは怪奇事件はお断りだっていってるだろう」
「相手が分からないというのは難しいですね〜」
頭から断るつもりの武彦に対し、零は緋穂の差し出したお札をしげしげと眺めている。「守るだけなら私にもある程度できるけど……攻めるのが得意じゃないから」
緋穂は感知や守護の術に秀でた術者。攻撃や浄化は普段は瑠璃の役目だ。緋穂とて出来ないわけではないが、その力は弱い。
「お願い、ここしか頼れないよ……」
「自分の家の術者に頼めばいい」
「……」
それが出来ないから緋穂はここにいるのであって。
武彦はため息をついて、同じ部屋で話を聞いていた者達へと目を向けた。
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「うちが協力したる」
草間興信所で偶然緋穂が駆け込んでくる場所に居合わせたセレシュ・ウィーラーは、座っていたソファから立ち上がった。その救いの言葉に緋穂が瞳を濡らしたまま、セレシュを見つめる。
「本当に……? あ、ありがとう! 私、斎緋穂って言うんだっ!」
「うちはセレシュ。セレシュ・ウィーラー。いくつか聞かせてもらってもええ?」
「も、もちろんだよっ」
セレシュは、駆け寄ってきて興奮のあまりセレシュの手を掴んだ緋穂に向かい側に座るよう示し、武彦に「少しだけ打ち合わせに使わせてもらうで」と声をかけた。武彦は諦めたようで、勝手にしろ、と事務所を出て行った。零が新しいお茶の入った湯のみを二人の前に置くと、邪魔にならぬようにとソファから離れていった。
「次に狙われんのが自分やから、迎撃したいってことやね? 合っとる?」
「うんっ。でも私一人の力じゃ相手を撃退できるかわからなくて……それで一緒に戦ってくれる人を探していたんだよ」
緋穂は双子の片割れである瑠璃と共に行動することが多い。それは未だ成長過程にあるがゆえに個々の能力は偏っているが、二人揃えばその力は何倍にもなるから。けれども今回は、二人が揃っていない時を狙って仕掛けてきたのだ。
二人一緒でないからといって、守りを疎かにしていたわけではないだろう。四六時中二人でいることにど、ほぼ不可能なのだから。それでも瑠璃に怪我を負わせたのは、彼女が何か大きな隙を見せたか、自分が盾にならざるを得なかったからだろうと緋穂は語った。
「うちが手伝うてやる。安心せい」
膝に置かれた緋穂の手が小さく震えていることに気がついて、セレシュは明るい声色で声をかけた。緋穂はセレシュの青い瞳を見つめて、「……うんっ」と無邪気に頷いてみせる。
「ほな、迎撃の準備をせなあかんな。どっか戦闘してもええ場所に心当たりある?」
「うーん……あっ、うちの持ってるテニスコート、普段ならテニス教室やらレンタルで人がいるけど、今は改装準備中で一時的に立入禁止になってるって聞いたよ。ネットとかも取り外されているはずだから」
「よし、ならそこにしよか」
お茶を飲み干してすっくと立ち上がるセレシュ。
「案内するね。よろしく!」
緋穂が差し出した手を取り、セレシュは頷いた。
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改装準備中のテニスコート……というかスクールやレンタルもやっているだけあって、かなりの敷地にかなりの数のコートがあるようだった。これだけの広さがあれば、戦闘音に気づいた近隣の人が巻き込まれる心配はないだろう、そう判断し、セレシュは敷地内でももっとも中心にあるコートを選んだ。テニスコート4面を金網で囲って一つのブースにしてあるそこは、これからセレシュ達のリングとなるのだ。
「これでええかな」
数カ所に魔法陣を使用したトラップを仕掛け、セレシュは緋穂の側へと戻ってきた。
「なんか変わったことあったか?」
「ううん、今はまだ、特に感知に引っかかるものはないけれど……」
「まあ敵さんもこの状況を見れば、自分がおびき出されるってわかるやろうしなあ。来るときは速攻で攻めてくるかもしれんな」
今回は場に結界は張っていない。張った結界を一箇所だけ緩め、そこから侵入させるという手もあるが、明らかに今回はこちらが待ち伏せていると分かる状況だ。その戦法はあまり意味が無い。
「セレシュさんと私には守護の術をかけてあるけど……どこからくるかな」
「ここからはふたりで探そ」
セレシュも感知のために意識を集中させる。敵がこの場に出てきてくれるか、それが一番の問題であったが、宣戦布告返しとも取れるこの状況を逃すような相手とは思えなかった。わざわざあんなことを書いた札を残すくらいだ、お膳立てしてもらって無視するならば、はなからあんな札を残したりしないだろう。
――チリッ……。
肌を刺すような違和感。警告するような痛み。セレシュは言葉を紡ぐより早く、符を繰りゴーレムを喚び出した。三時の方角に喚び出されたゴーレムが、二人を守るように立ちふさがる。緋穂も同じものに気がついていたのだろう、防護の術を使ったようだった。
――ガッ……!
セレシュの喚び出したゴーレムが立ちふさがったのとほぼ同時に、鈍い音が響いた。ゴーレムが身体を張って飛来した一撃を受けたのだとすぐに解った。今回喚び出したゴーレムは使い捨てだ。強烈な一撃にふらつくゴーレムを視界に捉えつつ、セレシュはもう一体のゴーレムを喚び出す。
(どこや?)
攻撃が飛んできた方向で襲撃者の位置は大体わかった。だがまだ姿を見せない以上、油断はできない。
――ガッ……!
今度は十二時の方向に配置したゴーレムが攻撃を受けた。そちらに視線を向けると、何かが猛スピードで近づいてくる!
「させへんで!」
ふらつくゴーレムの後ろから、セレシュが聖なる光を凝縮させた魔法弾を放った。近づいてくるそれは魔法弾を素早く避けた。だが。
――ヒュッ! ヒュッ!
誰もいない方向から飛んで来る、礫のような魔法弾を避けることができずにその身で受けた。こちらへの接近が止まる。
セレシュが事前に用意したトラップを発動させたのだ。死角からの攻撃を受けて足を止めた襲撃者は、橙色のリボンをサイドテールに結んだ、高校生くらいの少女だった。
「くっ……」
少女が緋穂を視界に収め、その距離を詰めようとする。だがセレシュはそれを見逃さず、緋穂を庇うように立った。少女が取り出した小太刀がセレシュを狙う。
しかし――
ガッ……!
少女の小太刀はセレシュの手首で受け止められていた。少女が少し驚いたように目を開く。
「遠距離攻撃しか出来んと思ったんか?」
地の魔力で覆われたセレシュの腕は、金剛石のように硬く変化していた。右手で受け止めた刃を、左手で掴んで引く。少女が体勢を崩したところに、空いた右手を打ち込んだ。超硬度の拳に打たれて、少女がうめき声を挙げて体勢を崩す。それでも気を失わないのは流石というべきか。
セレシュは、緩んだ少女の手から小太刀を引き抜き、緋穂へと渡す。右手に握りこんだ符のおかげで手の硬度を上昇させていたが、それも永続的なものではない。次の手に移ろうとしたその時。
「緋穂さん、護符を使うんや!」
少女が懐から取り出したナイフを放ったのだ。ただのナイフでないだろう。それがわかっていたからセレシュは声を上げた。
「うんっ!!」
緋穂もそれに応じ、事前に渡されていた護符に念を込める。すると――緋穂に向かって飛んでいった複数のナイフが、彼女に触れる寸前で透明な壁に弾かれたようにして落下したのだ。
「守りの術者にひとりで挑むなんて、相当自信があったんちゃうか? それともひとり成功したから、今度もいけると思ってたんか?」
セレシュは設置しておいた魔法陣を次々と発動させる。魔法弾の雨が、少女に降り注いでいく。
魔法弾の雨を受けてもなお立ち上がろうとする少女。彼女が懐からくしゃくしゃになった符を取り出した。それが何の符かはわからない。けれども自分たちに良くないものであろうことはセレシュにはわかっている。
「あんたたち、しっかり掴ままえといてや!」
その言葉にゴーレムたちが動く。巨大で力のあるゴーレムたちからしてみれば、弱りかけた少女を拘束するなんて簡単なこと。たとえ自分たちも弱っていようとも。
「これはもらっとくで」
「あっ……っ!」
拘束された少女の手から、セレシュは符を奪い取った。何の符かはすぐにはわからなかったが、時間と余裕さえあればセレシュならばすぐに解析できるだろう。
「緋穂さん、この子の始末、どうするん?」
声をかけられた緋穂は、セレシュに並ぶように少女の前へと出てきて。
「うーん……このまま放置もできないけど、殺してしまうのも、ちょっと……」
戸惑うようにして、緋穂は少女の瞳を覗き込んだ。
「ねえ、なんで私達を狙うの? 誰の指示なの?」
「……」
真っ直ぐに問うて答えるはずがない。セレシュは万が一に備えて、少女の動向に集中する。
「……あなた、五芒遊会(ごぼうゆうかい)の人……だよね?」
「……! 正体がばれて『橙』の名を汚すことは許されぬ」
「……! 緋穂さん、離れるんや!」
少女が何か聞き取れぬくらいの声で唱えた。少女を止めるよりも、緋穂と共に自分が離れるほうが早いと判断したセレシュは、彼女を無理やり引っ張り、できるだけ少女から距離をとって転がるように地面へと突っ伏した。
――ボンッ!!
何かが破裂するような音。そして風圧。風埃が落ち着いたのを待って少女のいた場所を見ると、少女の姿もゴーレムの姿もそこにはなかった。
くぼんだ地面に土くれと、血だまりができていた。
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「……ありがとう、セレシュさん」
「ええって」
敵を排除できたというのに緋穂の顔は浮かなかった。それはひとりの少女の命を奪ってしまったという罪悪感があるからなのか、緋穂と初対面のセレシュにはよくわからない。
「敵のこと、何かわかったんか?」
緋穂が少女にかけた言葉、恐らく少女の所属を尋ねたのだろう、それが正解であったことは少女の自死により判明している。
「うん……。私達と私達の亡くなったおばあさまと縁のある組織があってね、そこの術者かなって思ったんだけど……」
少女の述べた『橙』も何かの意味があるのだろう。
「緋穂さんは怪我してへんね? 無事に守れてよかった思うわ」
「うん、セレシュさんのおかげだよ。私一人だったら、どうなっていたかわからないし……」
少しばかり緋穂の表情が明るくなったのを確認して、セレシュは再び口を開く。
「片割れさんももしかしたらそろそろ目覚めとるかもしれへんで?」
「! そうだね! あ、でも、セレシュさんに先にお礼をしないと。報酬とは別に、ご飯おごるよ!」
「ほな、片割れさんの容体を確認してからごちそうになるわ」
そう告げると緋穂がとても嬉しそうにわらったので、セレシュは「いこか」と緋穂の背を軽く押した。
【了】
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
【8538/セレシュ・ウィーラー様/女性/21歳/鍼灸マッサージ師】
■ ライター通信 ■
この度はご依頼ありがとうございました。
お届けが遅れてしまい、大変申し訳ありませんでした。
初めて書かせていただくということで、大変緊張いたしましたが、少しでもご希望に沿うものになっていたらと願うばかりです。
魔法の部分など、こちらでイメージを膨らまさせていただきましたが、いかがだったでしょうか。
この度は書かせていただき、ありがとうございました。
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