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<東京怪談ノベル(シングル)>


聖女が踊るは彼女の海
 暗い室内に、青が光る。見渡す限り広がるのは一面の海だ。巨大な水槽の中を、魚達は自由に泳ぎ回っている。
 そして、その水槽を見ている女が一人。白鳥・瑞科。「教会」の戦闘シスターである彼女が、先日の任務中にいくつもの水槽が並ぶ地下室で怪魚達と交戦したのは記憶に新しい。
「綺麗ですわね……」
 しかれども、ここはその時のような戦場ではない。周囲から、カップルの感嘆の声や子供連れの家族のはしゃぐ声が聞こえる。
 ここは、最近出来たばかりの水族館だ。心地よい涼しさと静けさに癒やされるために、久々の休日に瑞科は立ち寄ってみたのである。
 美しい魚に見惚れ、クラゲの愛らしさに瑞科は穏やかな笑みを浮かべた。普段は圧倒的な力で任務をこなす瑞科だが、今の彼女の姿を見てその事実を信じられる者はいないだろう。身にまとっている服も、戦闘用のシスター服ではなく春カラーのワントーンコーデだ。お気に入りのブティックで買ったばかりの服は、まるで瑞科に着られるために生まれてきたかのように彼女によく似合っている。ブーツもこの春のために購入したお気に入りのブランドの新作。ひらりとしたミニスカートとロングブーツの間から僅かに顔を覗かせる艶やかな素肌は、ひどく魅惑的であった。彼女が歩くたびに長く伸びた茶色の髪は揺れ、優しくも清楚な香りがふわりと香る。何もせずともとびきりの美人だというのに、お洒落に関しても抜かりがない彼女は当然のように周囲の者の視線をさらった。男だけでなく、思わず女までもが立ち止まり見惚れてしまう。魔性のような美しさでありながらも、手を出し汚す事を恐れてしまう程の清らかさが彼女にはあった。
 今日は休日であり、ここは教会でもない。それでも水族館の明かりの下に佇む彼女の姿は、まるでステンドグラスの下祈りを捧げる聖女のように人々の目には見えた。

 不意に立ち止まった瑞科は、水槽へとそっと触れる。細く長い指が、冷たいアクリルをなぞった。
「やっぱり、貴方様がたには空よりもこちらのほうが似合いますわね」
 近づいてきた魚に対し、聖女は微笑みを浮かべそう言葉を投げかける。無論その言葉は魚に届く事はないが、自由に水槽の中を泳ぎまわるその姿に彼女は満足気に笑みを深めた。

 ◆

 小腹がすいた瑞科が水族館の次に立ち寄ったのは、お気に入りの喫茶店だ。どこかクラシックな雰囲気の店内には、落ち着く音楽が流れていた。
 温かなハーブティーは、香りでも味でも彼女の事を楽しませる。アボカドのサラダをゆっくりと口元へと運べば魅惑的な唇が開かれ、ぱくり、と新鮮なそれを捕まえた。この店オリジナルのドレッシングはさっぱりとしていて、実に瑞科好みの味だ。満足気に彼女は目を細める。周囲の客が、そんな彼女の姿に僅かにざわめいた。ただ食事をとっているだけだというのに、まるで映画のワンシーンのように美しく完成された光景が瑞科の座るテーブルには広がっていた。
 食事をしながらも、彼女はこれからの予定について考える。なにせ、久しぶりの休暇なのだ。ショッピングを思う存分楽しむつもりである。ブティックに行くのもいいし、化粧品店にも寄ってみたい。年頃の女性なのだ、やりたい事などたくさんある。
 その時不意に、彼女の耳を聞き覚えのある機械音がくすぐった。
 上司である神父からの通信が入った事を告げる音だ。ただの世間話ではないだろう、と長年の勘が告げる。恐らく、仕事の話だ。それも、「表」のほうではなく「裏」のほうの。
 通信機をとった瑞科は、予想通り依頼を告げる神父の声に笑みを浮かべ、迷う事なく彼の命令に頷く。先程まで心を踊らせていた予定が中止になったというのに、彼女の顔に落胆の色はない。
 あるのは、まだ見ぬ敵への期待と、必ず任務を成功させてみせるという決意だけだ。穏やかで美しい笑みを崩さぬまま、彼女は立ち上がる。
 向かうべき先は、戦場だ。
 そこが瑞科にとっての自由に動き回れる世界。彼女が最も美しく舞う事が出来る、海なのだ。
 任務へと向かう彼女の横顔は自信に満ち溢れており、まるで海に差し込む太陽の光のようにキラキラと輝いていて美しかった。