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<東京怪談ノベル(シングル)>


心に刃を携えて(1)
 闇夜に紛れ駆ける影の正体は、夜行動物とは限らない。夜の森を駆け抜けるのは、一人の男であった。身にまとう装束の色は黒く、夜に身を隠すのに適している。
 とある衆の忍である彼の目的は、諜報だ。この森の奥深くに、武器を開発・製造している業者がある。近々、その業者を襲撃し、未だ出回ってはいない最先端の技術で作られた武器を奪い取る予定なのだ。今日はその下調べ。近くにて各々行動しているであろう仲間達の目的も、無論彼と同じだった。
 相手は、長年自分達のような裏の仕事をしている者達と取引をしてきた業者だ。警備を突破するのは一筋縄ではいかないだろう。けれど、男の顔に不安の色はない。歴戦の忍である彼にとって、このような任務など恐れるに足りぬものであった。
 ――そんな、慢心もあったのかもしれない。
 不意に体へと襲いかかった痛みに、男は苦悶の声をあげる。見れば、肩にクナイが刺さっていた。叫ぶのは抑えたものの、抉られた肩の傷は深い。
(いったい、どこから……?)
 普段なら、このような攻撃を受ける前に気配に気付き避ける事が出来たはずだ。しかし、今回のそれは気配を全く感じる事が出来なかった。近づいてきている敵の気配は言うまでもなく、迫り来るクナイの気配さえも、だ。それを感じる時間すら与えぬ速さで、このクナイは彼に向かい放たれたのだ。
 ピリリ、とようやく男の肌を殺気が撫で上げる。同時に、彼の背筋を恐怖が走った。その殺気の持ち主は、すでに彼の眼前まで近づいてきていたからだ。
 まず目に入ってきたのは、靴の爪先。少しだけ目線を上げると、膝まである編上げのロングブーツが視界へと入る。ミニのプリーツスカートとブーツの間から除く、スパッツに包まれたすらりとした脚線美の脚は場違いな程に美しく、彼の目には眩しく映った。太腿には恐らくクナイが携えられていたであろうベルトが巻かれ、腕にはグローブがはめられている。
 上半身は、両袖を短くして帯を巻いた形に改造された着物。僅かに顔を覗かせる黒のインナーは、女性らしい魅力に溢れた体に寄り添うように張り付いていた。
(女……?)
 彼の前に立っていたのは、女性だった。それも、ただの女性ではない。闇夜でも分かる程の、絶世の美女だ。
「貴方様は……――衆の者ですわね」
 透き通った耳触りの良い声で、女はそう呟いた。女が口にしたのは、確かに彼の衆の名である。しかし、今まで表舞台に出る事はなく、裏で糸を引くだけだった彼の衆の名を知る者は少ないはずだ。
 そこでようやく彼は、彼女の正体に思い当たった。自らの衆が敵対している忍の組織……。代々忍者の血を継いだ家系の生まれである、現代を生きるくのいち。
「……貴様は、水嶋琴美、だな?」
 女は答える代わりに、笑みを浮かべる。月明かりの下、微笑む彼女の姿は思わず見惚れてしまいそうになる程に美しかった。完成された絵画のような美しさを持つ女の姿に、無意識の内に男は息を呑む。妖艶と言ってもいい程の彼女の色香に惑わさぬ前にと、反射のように放ったクナイは女に届く事はなく叩き落とされた。
「少々おいたが過ぎましたわね。悪戯の時間はおしまいですわ」
 敵対してはいたものの、今まで表立って彼女達と潰し合う事はなかった。しかし、自分達の衆はどうやら少しやり過ぎたらしい。琴美がこうして、直々に彼らの前に現れた事がその何よりもの証拠であった。
 男は懐から刀を取り出そうとする。けれど、それを振るう事は敵わない。琴美は、彼よりもずっと――速いのだから。
 彼が死の直前に見たのは、クナイを構えた女の漆黒の瞳であった。

 ◆

 琴美の家には、代々敵対している組織がある。同じ忍の組織であるそこは、今までは裏から手を引いているだけで表舞台には出てこなかったのだが、最近は直接非合法活動をするようになった。
 大胆に治安を崩し始めた彼らの事を、もはや見逃せるはずもない。ついぞ琴美は彼らのせん滅のために動き始めた。

 動かなくなった男を見下ろしながら、琴美は呟く。
「まずは一人目、ですわね」
 事前に琴美が手に入れていた、今宵、件の業者に敵組織の諜報部隊が向かうという情報は正しかったようだ。恐らく、彼の仲間もそう遠くはない位置にいる事だろう。
 次の敵を探すために、彼女は再び歩き始める。ブーツが地を叩く小気味の良い音が、周囲へと響き渡った。彼女の横顔は、自信に満ち溢れている。
 しかし、それは先程の忍のような慢心とは違う。類まれなる実力を持ち、いくつもの勝利を手にしてきた彼女だからこそ持つ事の許される、確固たるものであった。
 がさり、と音がして琴美は足を止める。隠れる気すらないのか、何人もの忍達が彼女の事を囲んでいた。
「あら、わざわざ出迎えてくださるなんて……探す手間が省けましたわ」
 周囲は敵ばかりだというのに、彼女の笑みが崩れる事はない。琴美は慣れた手つきで、太腿に携えていたクナイを手に取った。
 そして、再びこの森は戦場へと変わる。
 琴美を囲んでいる忍達は、刀を構えいっせいに彼女へと襲いかかった。