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<東京怪談ノベル(シングル)>


―秘密だらけの外交官・1―

「やあ、良く来てくれたね」
「……いきなり呼び出しておいて、『よく来たね』も無いものですわ」
 司令官の前であるにも拘らず、あからさまに嫌そうな表情を作り、不機嫌さを隠そうともしない彼女――水嶋琴美は、秘書を兼ねる副官が退出するのを確認した後、ポツリと一言漏らした。
 然もありなん、彼女は滅多に取れない休暇を楽しむ為に、旅の支度を整えている最中に連絡を受け、否応なしに呼び出されたのだ。彼女でなくとも、文句の一言ぐらいは出るところであろう。
「まぁ、そういきり立つな。休暇はまた別に与える。それに、これは君でなくては熟せない任務なのだよ」
 その一言を聞いても尚、琴美は不機嫌そうである。何しろ彼女は、その有能さ故に与えられる任務も特殊なものが多く、且つ難易度も高い上、その頻度は他の隊員の比ではない程に過密化していたのだ。前回の休暇が何時であったかと云う記憶すら朧げになってしまう程に多忙を極める彼女が、漸く羽を伸ばせると思って喜んでいた矢先に掛かったスクランブルである為、損ねた機嫌を直す事は容易な事ではないだろう。
「一体、何があったと云うのです?」
「……先ずは、その仏頂面を何とかしたまえ。折角の美貌が台無しだぞ」
「台無しにさせているのは司令、貴方ですわ。早く用件を仰ってください、休暇を取り直しても『今』と云う時は二度と帰って来ないのですから」
 琴美にしては珍しいほどの、感情を露にした発言だった。が、司令官としても『私に文句を言われても困るよ』と返答したくなるところであっただろう。何しろ、『事』の依頼者は彼では無いのだから。
「では前置きは抜きにして本題に入ろう。某国の全権大使が間もなく任期を満了し、交代する事になる。これは知っているね?」
「全権大使が交代……F国ですね?」
 うむ、と司令官は頷いた。しかし全権大使の交代がどう緊急性を要する重大任務に繋がるのか、それが理解できない琴美は、司令官の顔を覗き込んで先を促した。
「任期満了は事実なのだが、大使ご自身は再任を非常に強く希望されていてな。F……某国側としても新任者を送る事はせず、彼の要望に沿う形で続投させるつもりであったようなのだ。しかし……」
「何故か新任者が派遣される事となり、半ば強引に交代を迫られている、と?」
 何やら、話の内容が怪しくなってきた事を敏感に察知した琴美が、司令官の言葉を遮り先を予測して自ら口を開いた。
 琴美の推測はまさに的を射ており、司令官もそう言葉を続けるつもりであったようだ。現に、彼は『流石だな』と云った感の表情を見せながら、無言で頷いていたのだから。
「現任の全権大使は飽くまで再任を希望しているようだが、それについて新任の外交官が異を唱えてね。その頑なな態度に業を煮やしたか、少々乱暴な手段を用いてでもその椅子からどいて貰う、と宣言したそうなのだよ」
 そこまでを聞いて、琴美は事の次第を理解した。
 つまるところ、『乱暴な手段』と云うのは現任者を強引にどかす……有り体に言えば『消す』と云う事になるのだろう。
 依ってその裏を取って『手段』を阻止し、可能であれば新任者が何故に全権大使の座を狙っているのか、その理由についても追及する……それが今回の依頼内容なのだ、と云う所まで判断する事ができた。
「お花見の季節が、近いですね……」
「そのような風流は、残念ながら持ち合わせぬ御仁らしいとの事だ。心して掛かってくれ」
 嫌味を込めた呟きもバッサリと斬り捨てられ、琴美は全権大使護衛の任に就く事となった。尤もその文句が聞き容れられて、司令官が頭を下げたとしても、彼女の休暇が延期になったという事実は覆らないのであるが。言わずには居れなかった、それが琴美の本音であろう。

***

(決して、任務に不満がある訳ではない。寧ろ喜ばしい事です。しかし……)
 更衣室に入った琴美が、それまで着けていたビジネススーツを脱ぎ乍らポツリと呟く。
(私にだってプライベートはあるのです。今日は漸く友達に会えると思って、楽しみにしていたのに……)
 ショーツ一枚になった下半身をタイトなスパッツで覆い、その上にプリーツのミニスカートを被せる。
(……しかし、引っ掛かりますわ。人を殺めてまで在日全権大使の職に就きたがる、その真意……)
 特殊繊維で作られたインナーを纏い、袖を詰めた変形和服を上半身に着け、編み上げのロングブーツを足に履く。
(取り返しの付かない事になる前に、阻止しなくてはなりませんわね!)
 ナックルガードの付いたグローブを装着し、戦闘服は着用完了である。しかし白昼に外出するには些か目立つ格好となる為、琴美はコートでコスチュームを覆い隠し、大使館までの道のりを市販車改造の公用車を用いて移動した。

***

 夜も更けて、街灯が周囲を照らし始める頃。琴美は大使館の正面玄関前が一望できる位置に車を停止させ、その中から『お客』の到着を待っていた。
「何で、今夜だと特定できるんです?」
「現任大使の任期は今週いっぱい、そして大使はあちらの外相から内閣を通じ、天皇が承認してからでないと着任できません。どんなに急いでも、一週間から10日は掛かる公算です。そして未だ、刺客は現れていない……あとは勘です」
「勘、ですか?」
 運転手役の一等陸曹は、バックミラー越しに琴美の顔を伺いながら不思議そうな声を上げた。しかし、何故か彼女の発言には真実味を感じる……そうも思っていた。
「しかし、何で外交特権なんぞを狙ってるんですかね?」
「私も全てを記憶している訳ではありませんが、大使の取り扱う物は物品から輸送手段・通信に至るまで、ほぼ全て不可侵……つまり、軍隊や警察よりも強力な権力によって守られる事になると聞いています。そして新任の大使として名が挙がっている、この人物は……」
 タブレット端末を操作し、琴美がその『お客』の顔写真付きプロフィールを画面に表示させた。そこには、政界にも顔の利く大手物流企業総裁の顔が映っている。
「……かなりの物品を、やり取りする事が可能な方と伺っておりますわ」
「なるほど、大っぴらにヤバいブツを国内に入れる事が可能になるって訳ですね」
 未だ、その予想が的中するかどうかは分からない。しかし、このような力を持つ人物が更なる権力を欲すると云う事は、凡そ彼女の仮定に合致する目論見を持っていると見て間違いない。いや、それ以外に考えられる理由が見付からないと表現した方が正しいかも知れない。
「で、現任の大使は、自分が命を狙われている事を知ってるんですか?」
「いいえ? 彼は飽くまで、相手が正当な手段で自分を解任に追い込もうとしていると信じている筈ですわ」
「……余計な厄介事は、耳に入れぬが吉……と思って良いんですね?」
 だから、私に依頼が来た……琴美はそう言い切った。この任務を確実に完遂できる人間は、他には居ないと。
 彼女だから許される、その発言。もしこれを他の……凡庸な者が口にすれば、一笑に付されて終わりであろう。
「おっと! 正面の車、遮光フィルムで車内は確認できませんが、国際ナンバーですね」
「……道を塞いでください」
 お客か、只の公用車か。それは定かではないが、今は大使館に近付く者すべてをチェックしなければならない。
 琴美は一曹を通じ、待機させてあった自衛隊員に指示を出して道路封鎖を行った。

<了>