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愛でたいけれど、そうもいかない。
その日、なんでも屋さんをしているファルス・ティレイラの元に入って来たお仕事は…多分、ちょっと変わったものだった。と言っても、ティレイラにしてみると――別世界から異空間転移でこの東京に訪れた、紫色の翼を持つ竜族…と言う素性と本性を持ち、お姉さまと慕う同族の師匠や、類は友を呼ぶ的に集まる「趣味の同好の士」の皆さんに事ある毎に囲まれている身にしてみると、特に変わった…と言う程の事でも無いかもしれない程度のお仕事。
まだまだ幼い「とあるお嬢様」の遊び相手、になるお仕事。
それも、高報酬で、長期間に亘って。
…正直、断る理由が無い。
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お仕事を引き受けたティレイラが訪ねたのは、依頼人のお嬢様が住んでいる豪邸だった。着いた時点で思わず、事前に聞いていた住所のメモと目の前の豪邸の住所を何度も照らし合わせてしまう。…外からちょっと見ただけで、はわー、と思わず出る感嘆の溜息。驚いて建物を見上げてしまうのもまぁ、仕方が無いだろう。
ともあれ、まずは呼び鈴を押して待つ。程無く使用人らしい人が応対に出、お待ちしておりました、とティレイラの事を恭しく迎え入れてくれたかと思うと――当の依頼人なお嬢様が居る部屋へと凄く丁寧に導いてくれる。
と、そこには。
小さな子が好みそうな、可愛らしいぬいぐるみが多数取り揃えられ、飾られている子供部屋があった。部屋の主は、事前に聞いていた通りに小さな女の子。フリルやレース、ドレープがふんだんに使われた可愛らしい上品な服を纏った、疑いようのないお嬢様。
ティレイラがその部屋に通されるなり、その女の子はぱたぱたと駆け寄って来る。やっと来てくれたんだねかわいいお姉さん、と嬉しそうにはしゃぎまでする。手を引かれて中へと導かれるのと、使用人さんが当たり前のようにそれとなく辞するのが殆ど同時。その時点で、ん? と思う――「かわいいお姉さん」と言う言い方に少し違和感を覚えはしたが、特に気にもしないまま、じゃあ、とばかりに「お仕事」を開始する。
即ち、女の子のお遊びにお付き合いする事。
何をしよっか、と尋ねてみたら、着せ替えごっこがしたいの、とティレイラにせがんで来た。着せ替えかーと暫し考えるように呟いてから、女の子に目線の高さを合わせるようにして、快諾。わーい、と喜ぶ女の子の要望に応え、じゃあこれ、と女の子が出して来た色々な服にティレイラは袖を通す事になった。…まだ小さな女の子の子供部屋に、ティレイラに合うサイズの服が当たり前のように用意されている。その時点で再び違和感を覚えても良かったのだが、ティレイラは殆ど気にしていない。
綺麗で可愛い服が着られる事は、依頼人の女の子の趣味と言うだけではなく純粋に自分も楽しい。女の子がティレイラに着せるのが大変だろう段階の着衣はティレイラが自分で。それ以上の、色々と手間暇掛けるのが楽しいだろう仕上げは女の子がやりたいように行う。…色とりどりの上質なリボンを結んでみたり、髪を編んでは解いてみたり、髪飾りやらブローチやらネックレスやらと装飾品まで持ち出したりもする。試みられているどれもこれも趣味がいい為、ティレイラの方でも仕事だと言う事を忘れ掛けてしまいそうになる程の待遇。…これを長期の契約で、報酬も高いなんて、おいしい仕事もあったものである。
それで数回、人間の姿のままで着せ替えごっこをした後――今度は角や翼、尻尾を生やした半人半竜の姿になって欲しいの、と女の子に頼まれた。その時点で、ああ、それでかなあ? とティレイラの方でも俄かに腑に落ちる。半人半竜の姿が念頭にあったなら、「かわいいお姉さん」発言も…つまり二次元半おもちゃ的な発想でそう呼ばれてたって事かな、と思いはする。
まぁ、それでも全然構いはしない。…ティレイラとしては師匠であるお姉さま――シリューナ・リュクテイアをはじめとした「同好の士の皆さん」に色々とおもちゃにされる事はよくある。…今回もある意味ではその延長かもしれないが、それにしたって今回のこの仕事の場合は随分と無邪気な事で済んでいる。
半人半竜の姿に変化するに当たり、折角なので変身するみたいにポーズを決めると言うサービスも付け加えてみた。と、女の子は更に喜んで拍手。じゃあ次はこれ! と別の服を勢い込んで渡されて、また着せ替え続行。
ともあれ、そんなこんなで時は過ぎ。
途中でお食事やおやつも挟みつつ、ずっと女の子のお遊びにお付き合いし続けて――その内、夜も更けていく。…それでも、女の子はティレイラを手放さない。
ティレイラもティレイラで、自分の事が気に入って貰えたのかな? と思うくらいで、それ以上は特に気にしていなかった。
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そしてそろそろ、おやすみの時間。
…の、筈だが、女の子はまだあんまりおねむな様子は無い。どれにしようかなあ、と何処か嬉しそうに悩みつつ、ティレイラをまた何度か着替えさせている。何故か、前に着た服の幾つかを、再び着させられたりもする。
…「どれにしようかな」。
その発言に、ティレイラはまた少し違和感を覚えるが…まぁ、依頼人の意向なので…特に無理難題を吹っ掛けられている訳でも無いので否やは無い。
望まれるままに、着せ替えられている。
少しして。
何度目かに着せ替えられた後のティレイラの姿を見、よし、これに決めた、と女の子は嬉しそうに頷いて見せる。かと思うと、たたっと足取りも軽く部屋の隅にある棚へと向かい、そこから何やら取り出していた――どうやら、魔法で封がされていた棚らしい、とティレイラも少し遅れて気付く。くるりと振り向いた女の子の瞳はきらきらと輝いており、頬も紅潮していて、満面に喜びを湛えている。…また、少し違和感。まるで、たった今自分の想いが叶ったみたいな、とても嬉しい事があったみたいな様子。…何で今いきなりそうなったんだろう、と思うが…ティレイラには良くわからない。
ただ、振り向いた女の子の手には、糸の付けられた刺繍針があった。今度はお裁縫ごっこかな? とティレイラは小首を傾げる――と。
女の子は、やおらティレイラの尻尾にその刺繍針を突き刺した。ふえっ!? と妙な声を出して驚いてしまう――刺された途端、痛ッ! とも頭で思ったが――実際の感覚の方では実は欠片も痛くなかった。否、痛くは無かったのだが――代わりに、針で突き刺されたところと言うか「縫う」のに使われた糸――多分魔法の糸――から妙な魔力が流れ込んで来るのを感じて、え、何!? と俄かに慌てる。
慌てる最中、当然、刺繍針が刺さったところを見ていてしまう――ティレイラが見ているそこで、女の子は尻尾を縫うような仕草で運針をして見せ、ある程度それを終えたところを、確認するようにして、曲げる。
と、本来曲げるようにはなっていない筈の方向に、尻尾はぐにゃりと――まるで中に詰物の綿でも入ったふかふかなぬいぐるみの尻尾――のようにあっさりと曲がり。
女の子は満足そうな貌になったかと思うと、そのぬいぐるみと化したティレイラの尻尾に、感触を確かめるようにして頬をすり付けて愉しんでいる。…ある意味、よく知っている反応。それは相手は違うが――えええ結局またこうなっちゃうの〜〜!? とティレイラとしては軽くパニックに陥る。どうしても自分はこういう巡り合わせになってしまうのか。えとあの、ちょっと待ってぇえ、と慌てて叫んで制止もするが、女の子は止めてくれない。ティレイラが慌てて混乱している間にも、すいすいと運針を進めて――さくさくと一通りティレイラの全身に針を通し終えてしまう。尻尾のみならず、翼も、角も、服も――身体自体にも。
すると。
そこに出来上がったのは、ティレイラを元にした、ふかふかのぬいぐるみ人形が一体。
…そうなった頃には、パニックを起こしていたティレイラの意識も何処か朦朧とし始めており――結局、殆ど夢心地のまま、眠りに落ちてしまう事になる。
…後はお嬢様の、お気に召すまま。
ぬいぐるみ人形と化したティレイラをいそいそと寝室に持ち込み、「新しく手に入れた大事なおもちゃ」を早速愛でながら…最後には、ぎゅっと抱き枕のように抱いて、眠りに就いた。
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数日後。
別世界より異空間転移してこの東京に訪れた紫色の翼を持つ竜族にして、魔法薬屋を営むシリューナ・リュクテイアは、今回初めて会う依頼人からちょっとした依頼を受ける事になる。
…頼まれたのは、魔法道具の手入れ。
魔法薬を取り扱う本業…とは多少ずれるが、諸々の魔法に長けている事や、趣味の延長で魔法を籠めた装飾品類を店に置いている事もあり、この手の依頼をされる事も何だかんだで多い。…今回の依頼人も、そういったシリューナの評判を聞いて頼みに来たのだろうと思う。
それで、シリューナが訪れてみた先はかなりの豪邸。依頼人はそこのお嬢様で、シリューナの来訪にも使用人が卒無く応えて、当の依頼人が待つ子供部屋へと通される。
と。
予想外の「もの」があり、シリューナは驚きに目を瞠る。…とは言っても、ほんの一瞬の事で、すぐに平静さを装う事は忘れない。初めての依頼人の前で醜態を晒す訳には行かないので。
…予想外にあった「もの」。
それは――依頼人の女の子に可愛がられている、ぬいぐるみ人形。とてもお気に入りなようで、一時も手放そうとしない。シリューナの来訪に気付くとそのぬいぐるみ人形を持ったそのまま、おどうぐのおていれよろしくおねがいします、と丁寧にぺこり。シリューナは思わず、一拍だけ反応に遅れるが…ええ、と何とか答えるだけは答えて見せた。表面上は取り繕えてはいるが、内心の動揺が止まらない。
…このぬいぐるみ人形は、どうみても魔法の力で作られたもので。
更にはその素材になったのは、シリューナにしてみればとても見慣れた――可愛い弟子にして妹のようなものでもある同族の少女、ファルス・ティレイラそのひとで。
確かに、ティレイラからは「長期のお仕事が入ったからお店は暫くお休みしまーす」、と事前に聞いてはいたが、まさかこんなところで――こんな形で顔を合わせるとは全く思わなかった。否、ティレイラもきっと、こんな事になるとは考えてもいなかったのだろうと思う。元々「こうする事」を頼まれていたのなら、事前にあれ程に浮かれた様子でいられたとは思えない。
だから、きっと、仕事で訪れた先で。
予期せず。
ああなる魔法を掛けられて。
慌てて。
抵抗するも、結局、されるがままで…。
あの姿に。
と、心の奥でそこまで考えただけでも、シリューナは堪らない気分になる。私もやりたい。愛でたい。今すぐ抱き締めてその感触を確かめたい。あのぬいぐるみにされた姿もティレはやっぱり可愛らしい――依頼人の女の子が手放したくないと思うのもわかり過ぎる程良くわかる。
でも。
それらの気持ちを今ここで不用意に表に出す訳には行かない。
まずは、頼まれたお仕事を…と、思いはするが、視界の隅にどうしてもティレイラの姿が、依頼人に愛でられている姿が入って来る――本当なら自分こそがやりたい事をしている姿が。ああ、と思う。気を抜くと、そちらに意識が持って行かれる。嘆きの溜息が出てしまいそうになる。その気持ちを――衝動を何とか意地で抑えつつ、当の依頼をこなす為に必要な、手入れをして欲しい魔法道具は何処にあるのかを訊く。棚に導かれて――導かれるその間にも、またティレイラの姿が気になって――今にも集中が途切れそうになる。
いや、こんな事を考えている場合じゃない。それは、あと。…頭ではそう思うのに、心の方が言う事を聞かない。このままでは肝心のお仕事の――手入れの――手業の方にも支障が出かねない。そんなのは矜持に悖る。けれど目の前にある誘惑が…強過ぎる。だからと言って、こちらから見えないところに行っていてくれなどと言う訳にも行かない。その理由が話せない。
託された魔法道具の手入れを開始する。魔力状態を安定させて、錆や汚れ、歪み等が出始めているものはまだ目立たない内に綺麗にする――そうしている間にも、依頼人がティレイラのぬいぐるみ人形を相手にままごとをしている声が聞こえる。いい子ですねー、とか――ああ、今抱き締めたり頬を寄せたりしているな、と見ていなくともわかってしまう。その度、魔法道具の手入れ作業をしている最中な自分の指の方もぴくりと動いてしまう――どうしても集中が途切れがちになる。…いけない、今やった工程には問題が無かったか。出来てはいると思っても、不安が残り、確認作業を何度も重ねてしまう。その度に余計に時間が掛かる。…集中しなければならない時間が。自分の時間として使えない時間が。集中して早く終わらせなければと思うのに。
普段ならば然程でも無い作業なのに、どっと負担が圧し掛かって来る気がする。あと少し。もう少しで…そう自分に言い聞かせている中、また、依頼人がティレイラに話し掛けている声が聞こえる。誘惑から逃れる為に極力見ないようにしていても、これでは殆ど意味が無い。
ああ、今すぐにでもあの姿のティレに触りたい。思う様愛でたい。愛でたいけれど…そうもいかない。
…なら、あとですればいい。シリューナはそう思う事にする。そう、あとで依頼人のあの子に「作り方」を聞こう。そして今我慢する分、あとでじっくり楽しもう。今度は自分にそう言い聞かせつつ、託されたお仕事を――作業を確りと進めるよう努める。それでも時折視界に入る姿、耳に入る依頼人の声――そこから導き出せてしまうティレイラの今の状況に心掻き乱されて、やっぱり思うように作業が進められない自分が居る。とても、困る。…この私とした事が、何て事。
ああもう、ティレったら。
そこに「居る」だけで私の心をこんなにも掻き乱してくれるなんて、悪い子ね。
【了】
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