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心に刃を携えて(2)
月明かりに刃は光る。無数の凶器が狙うのはたった一人の女だ。その攻撃に、迷いや遠慮はない。なにせ、相手はあの水嶋琴美である。彼女の家と敵対している立場である者達の中で、その名を知らぬ者はいない。噂では、今まで幾つもの任務をこなしてきたというのに、ただの一度も傷を負わずに勝利を重ねてきたとも聞く。
けれども、彼らも忍だ。非情であり過酷な世界で生き抜いてきた歴戦の猛者である事は、彼らとて同じであった。それ故に、彼女と対峙する事に恐怖はない。そして油断をする事もなく、初手から全力の一撃を叩き込む。鋭い刃を、その柔らかそうな肌に向かい容赦なく振り下ろす。
しかし、そこに琴美の姿はなかった。
刀が迫り来るその刹那、彼女はその隙間を縫うように跳躍し攻撃を避けてみせたのだ。
男達がその事を理解するよりも前に、苦しげな悲鳴が一つあがる。忍の内の一人が、背中に突如走った痛みに苦しみながらその場へと倒れ伏した。いつの間にか背後にいた琴美が、クナイで彼の背を切り裂いたのだ。
「二人目、ですわね」
女の扇情的な唇が、そう象る。と、同時に、彼女は足を振るった。ひらりと揺れるプリーツスカートから覗く長くしなやかな足が、近くにいた忍へと叩き込まれる。衝撃に男が体勢を崩す隙に、更にもう一撃。今度はグローブに包まれた拳が振るわれる。
別の仲間達が慌てて琴美に向かい手裏剣を放つが、小気味の良い音と共にそれは弾かれてしまう。持っていたクナイで手裏剣を全て弾いてみせた琴美は、自らの服へと手を入れる。その服の下に隠されているのは、女性らしい魅力に溢れたラインを持つ身体だけではない。服から抜かれた彼女の指の間に挟まっているのは、隠し持っていた数本のクナイだ。先程のお返しだとばかりに、彼女はそれを忍達に向かい放つ。
人々のために戦うまっすぐな彼女のように、迷いなくそのクナイは狙った箇所へと突き刺さった。
別の忍が彼女の背後に忍び寄り、そのグラマラスな身体へと魔の手を伸ばす。だが、急に体ごと振り返った彼女の回し蹴りを受け、男の体は吹っ飛ぶはめとなった。
「気配を消したつもりだったようですけれど、詰めが甘いですわね」
呆れるように肩をすくめながらも琴美は冷静に追撃をし、また一人の忍がその命の花を散らす。
忍達の隠しきれぬ動揺、そして焦りと殺気が空気を震わせた。いくら戦闘に特化した部隊ではない隊であれど、件の衆の者なのだからもう少しくらい歯ごたえのある者達だと思っていたが……戦場で感情を隠せず、相手に気配を悟らせてしまうようならまだまだである。肩透かしを食らった気分になりながらも、琴美は再び背後から奇襲しようとしてきた者に振り返る事もなくクナイを突き刺した。
そんな琴美の懐へと、目にも留まらぬ速さで一人の忍が潜り込む。しかし、琴美はその速さもを上回った。彼女は体を捻りその奇襲を避けると、隙だらけになっている相手の事を蹴り上げる。
「ですから、殺気でバレバレですのよ!」
凛とした声でそう告げ、更にもう一撃。着実と琴美は、敵の数を減らしていく。
ぞくり、と忍達の間に緊張が走った。琴美は、今自分達がいる場所が戦場である事を忘れそうになる程に、美しく気高い笑みを浮かべている。しかし、そんな彼女から放たれているのは、確かな殺気であった。
震える彼らの姿を見ながら、琴美は自信満々に言い放つ。
「殺気を出していいのは、死ぬ覚悟がある者か……私のように、居場所がバレても勝つ自信がある者じゃないといけませんわよ」
そして再び、彼女はこの戦場という名の舞台で舞い始める。鮮やかで華麗な動きで敵を翻弄しながら、背に翼がはえているのではと錯覚しそうになる程の速さで駆け抜ける。彼女の攻撃は、どれも的確に相手の急所を狙った。無駄がなく、それでいて的確な琴美の戦い方に、忍達は息を吐く。それは、彼女には敵わないと悟った諦めでもあり、あまりにも完璧な彼女に思わず見惚れてしまった感嘆の溜息でもあった。
◆
がさり、と何かが草をかき分けてこちらへと近づいてくる音がする。琴美はゆっくりと振り返り、その相手の姿を見てふわりとした笑みを浮かべた。
「夜中に騒いでしまって、ごめんなさいね。もう終わりましたから、安心してくださいまし」
彼女の目線の先にいるのは、小さな栗鼠であった。この森の住民であろうその小動物の姿は可愛らしく、琴美は思わず笑みを深める。
栗鼠へと向ける優しさに溢れた柔らかなその笑顔は、年相応の少女らしく愛らしい。先程までの美しさとのギャップに、見る者は恐らく心を奪われてしまう事だろう。
しかし、この場には今琴美以外の人間はいない。彼女を囲む程いた忍達は、全て琴美たった一人の手により倒されてしまった。
一人その場へと佇む琴美には、やはり傷一つついていない。噂の真相を身を持って知った忍達を見下ろしながら、琴美は長く艶やかな髪をかきあげた。
「任務完了ですわね」
しかし、まだ全てが終わったわけではない。琴美が潰したのは諜報部隊だけだ。相手の衆、全てをせん滅しなければ本当の平和は戻ってこない。
「待っていてくださいませ。必ず、この私が思い知らせて差し上げますわ」
この世界の治安を崩す事がどれだけ重罪なのかという事を。そして、水嶋琴美を本格的に敵に回した事の、愚かさを。
夜はまだ明けない。けれど、琴美が見据える先には光がある。どのような敵が現れようと、必ず自分が勝利を掴むだろうという、確信に満ちた輝かしい光が。
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