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<東京怪談ノベル(シングル)>


―自尊心と云う名の『枷』・1―

「今度こそ、失敗は許されないのだよ? 分かっているのかね」
「ご安心を……我が組織のエージェントとて、無力な訳ではないのです。彼奴の裏をかき、輸送を成功させる手筈は既に」
 その巨躯に似合わず頭の切れるスーツ姿の男性が、その前に立つ黒服の男に向けて鋭い視線を送る。
 黒服はその視線を受けてもなお、動じずに笑みを浮かべながら巨躯の男に返答した。
「その自信が、過信でない事を祈ろうか。何度も言うようだが、私は戦闘のプロではないのだ、分かっているね?」
「それはもう……総帥のお手を煩わせることは、先ずありますまい」
 その台詞、以前にも聞いたぞ……と、巨躯の男は鼻を鳴らしながら訝し気な表情を作る。
 彼とて、普通に武芸を披露すれば並みの格闘家など相手にならぬ程の強者。それが、ここまで懸念する相手――前回の取引はその相手一人に台無しにされ、彼は面目を潰されたのだ。しかも、その相手は女性である。

***

 自衛隊の中でも選りすぐりの精鋭のみがその資格を得ると云う、特殊部隊があった。
 その中の頂点に立つ隊員、その名を水嶋琴美と云った。弱冠19歳の乙女である。
 彼女は今、組織の最高責任者である司令官の前に座して、指示を受けていた。
「……あの時取り逃がした、あの男性が……また動く、と?」
「うむ。それも、海上ルートを使用しての揚陸作戦……内容も全く同一だ。これは、君への挑戦と見て間違いないだろう」
 そんな、一度敗れた相手に同じ手を使う程、彼は無能ではない筈……と、琴美は思わず唸り声を上げた。然もありなん、前回の攻防では結果的に揚陸は阻止できたが、ギリギリの勝利であったのだ。しかもあの時、その相手はそのまま戦闘を続ければ、或いは琴美を追い詰める事も出来たかも知れなかった。なのに、任務遂行を優先させて敢えてそれをしなかった。
(そこまで周到な彼が……ありえない、必ず何か裏がある!)
 司令官の言に依れば、密輸組織の手口は前回と全く同一であると云う。しかし、それでは同じ轍を踏んで彼らが再び敗走する事は目に見えている。そのような愚を犯すほど、あの男は無能ではない……琴美はそれを肌で感じ取っていたのだ。
「指令、いま一度お尋ねします。本当に彼らは、以前と全く同じルートで、同じ手口を使っているのですか?」
「此処までの追跡記録から分析して、まず間違いない。9割以上の確率で、以前と同一の行動パターンと出ている」
 ……だとすれば、今度こそタンカーはブラフであり、本命は別ルートからの揚陸を目論んでいる……それが琴美の出した結論であった。
「分かりました、前回と同一の揚陸地点には狙撃部隊を待機させてください。実弾は用いず、麻酔弾を装備させて」
「君はどうするのかね?」
「揚陸予定日までにはまだ間があります。海上ルートを使うと云うのが本当なら、そのスピードは空輸より遥かに遅いからです。彼らは海上ルートを囮にして、空輸を決行すると私は睨んでいます」
 つまり、海上ルートが本命であったとしても取りこぼしの無いよう、腕利きの狙撃部隊を桟橋付近に忍ばせておく。しかし、今回は絶対にルートを変えてくる。琴美はそう言い切ったのだ。そしてその手段は空輸であり、海上部隊との作戦決行日に差を持たせ、完全に此方の裏をかく二段構えの作戦であろう、とも。
「前回、君と互角の戦いを繰り広げた、あの男はどうするのかね?」
「……彼は来ます。必ず。海からでなく、空から!」
 何を以て、琴美にそこまで断言させ得るのか。それは分からなかった。だが、彼女の読みが外れた事も、戦いに敗れて悪事を許した例も無い。これは純然たる事実であった。
「むぅ……今までの実績から弾き出される、100%という数字も無視はできない。宜しい、そのように手配しよう」
「感謝します」
 斯様に、組織の最高責任者を相手取って頑なな意見を押し通せるのも、彼女の実績があっての事だろう。
 こうして作戦内容は大きく変更され、琴美は単独で別行動を取る事となった。

***

(海上ルートを使う作戦の決行日は、5日後。空路を使うとなれば、情報を掴んだ今は既に……)
 更衣室に入った琴美が、それまで着けていたビジネススーツを脱ぎ乍らポツリと呟く。
(急がなくては、間に合わなくなりますわ。しかし、手口は読めても降下予定地点は分からず……)
 ショーツ一枚になった下半身をタイトなスパッツで覆い、その上にプリーツのミニスカートを被せる。
(輸送機を降着させるには、最低でも千メートルから2千メートルの滑走路が必要になる。そのような目立つ場所を、彼が選ぶとは……もしや!?)
 特殊繊維で作られたインナーを纏い、袖を詰めた変形和服を上半身に着け、編み上げのロングブーツを足に履く。
(裏の裏をかく……私ならこうする。そして、恐らく彼も……)
 ナックルガードの付いたグローブを装着し、戦闘服は着用完了である。しかし白昼に外出するには些か目立つ格好となる為、琴美はコートでコスチュームを覆い隠し、ある地点までの道のりを市販車改造の公用車を用いて移動した。

***

 目立たない、ごく一般的な市販車を改造した特殊装甲車。その後席に、琴美は座していた。
 ハンドルを握るのは、既に彼女と同行するのがお馴染みとなった一等陸曹である。
「来ますかね?」
「来る……彼はきっと、あの場所に来ます! 但し、以前とは違う手段を用いて」
 その勘は恐るべき確率で的中する。それが分かるからこそ、一曹は琴美の指示通りに行動しているのだ。
 しかし、解せない点が一つある。いま向かっているその場所に、航空機が降着できる場所など在りはしない。山を背にし、海を前に臨む港湾地区の倉庫街が、目的地だからである。
「あんな場所に、どうやって……まさか飛行艇を?」
「そのような目立つ行為を、彼は選びはしません。私の目論見が正しければ、彼とその一味、そして荷物は……」
 そう言って、琴美は人差し指を真上に向けた。
「ま、まさか!?」
「その『まさか』を商売にしているのが、彼らのような闇の商人達なのではないですか?」
 ご尤も……と、一曹はゴクリと生唾を呑んだ。もしも琴美の推測が正しいならば、かなり緻密に計算された降下ポイントと、それを待ち受ける会合地点が必要になる。つまり、その作戦自体が大博打なのではないか……? と。
 しかし琴美は、そのような懸念を気にも留めず、風向・風速などから算出される飛行ルートを手元の端末で計算していた。
「あの地点に降着する為には……今日の気象データから割り出したルートは此処の筈。本部、ヘリ部隊を今から指示する地点に待機させてください!」
 その通信が如何に無茶な要求であるか、一曹は良く理解していた。が……彼女が自分に指示した待機地点には、既に黒塗りの車と大型トラックが何台も待機して、それを闘気を纏った男たちが警護しているのが見える。彼女の予測は見事に的中したのだ。
「……呆れさせられますね、その動物的な勘には」
「あら、洞察力と云って欲しいですわ」
 澄ました笑みを片手で隠しながら、琴美はバックミラー越しに一曹と目線を合わせる。
 そして倉庫街からやや離れた位置に停車するよう指示すると、琴美はコートを脱いで戦闘形態となった。
(来る……きっと来る!)
 その期待は、やがて事実となって彼女の下へと降りて来るのだった。

<了>