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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


甘い世界の甘い罠。

「お姉さま、これ見て下さい!」
 ティレイラが満面の笑顔で、両手で大きな本を抱えながら歩みを寄せてきた。
 午後のお茶を嗜んでいたシリューナは、うっすらと笑みを浮かべて彼女を傍に寄せて、「あら、どうしたの?」と言葉を繋げた。
「この前の依頼主さんからお礼として頂いたんです。本の中の世界に潜り込めるそうですよ!」
「『The world of strange snack』……この界隈ではちょっとした有名な本ね。貴重なものなのよ」
 目の前に置かれた本のタイトルを指でなぞりながら、シリューナがそう言った。
 本の中に行くことが出来る。
 そんな未知なる体験を早く試してみたくてうずうずとしているティレイラには、同時に併せ持つ危うさのオーラに気づくことが出来なかった。
 唯一、僅かにそれを気に留めたのはシリューナのほうであったが、敢えて口にはせずに微笑みを浮かべるだけだ。
「開いたらその世界に飛び込めるみたいね。一緒に行ってみる?」
「はい、もちろんです、お姉さま!」
 そんな言葉の確認を取り合った後、シリューナが本の端に手をかけ、ゆっくりとそれを開いた。
 直後、強い光が本から放たれ、あっという間に二人を包み込んで再び収束する。
 新しい言葉を発することすら出来ないまま、シリューナとティレイラは本の世界へと飲み込まれていった。


 体感したの事無いような浮遊感を得つつ、二人はその場に降り立つ。
 メルヘンチックな色合いの風景。建物はビスケットと思わしきもので造られている。窓はキャンディ、花畑はカラフルな金平糖、小川はソーダ水。女の子であれば一度は夢に見た世界が、そこには広がっていた。
「わぁ……!」
 ティレイラも例に漏れず、素直に感嘆の言葉を漏らす。
 キラキラとした表情は、いつもより幼いようにも見えた。
「お姉さま、あの丘はマドレーヌですよ」
「あっちの山はマフィンね。ちょっと小腹が空いちゃいそうな甘い匂いが漂っているわ。きっと本当に食べられる本物なんでしょうね」
「うう、私は既にその誘惑に負けそうです……っ」
 冷静に分析をするシリューナと、その隣で甘い匂いに体を震わせているティレイラ。
 今のところ、彼女たちを襲ってくるような存在などは感じられない。
「取り敢えず、手分けして探索してみましょうか。この世界のルールがまだ解らないから、勝手にお菓子は食べちゃダメよ」
「う……はぁい。頑張って我慢します……」
 ティレイラが樹木に模したお菓子に思わず手が伸びかけていたところで、シリューナがそんなことを言ってきた。
 師匠である彼女の言葉に逆らうことは出来ずに、ティレイラは声を小さくしてかくりと頭を垂れつつ返事をする。
「あまり遠くには行かないこと。30分後にここに戻ってくることにしましょ。……そうね、この木を目印に」
 筒状のチョコレートが幾つも連なって木となったそれを指差し、シリューナはそう続ける。その後に懐中時計を取り出し、時間を確認してティレイラにもそれを確認させる。
「もし何かあったら……炎の矢を空高く打ち上げなさい」
「はい、了解です」
 そんな言葉を交わして、二人は地を蹴った。
 それぞれの自慢の翼を宙に生やし、空中を飛ぶ。飛行であれば短時間で周囲を見て回れると考えたからだ。
「……かわいいなぁ。あ、あの辺の透明なのはゼリーかなぁ……ゼリービーンズみたいなのもある……。うう、見てるだけなんてつらすぎるよぉ……」
 見た目にも鮮やかな光景な上、甘い匂いが余計に心を揺るがせる。
 ティレイラは飛ぶ力も控えめに、ふよふよとゆっくりその場を進んだ。
 シリューナとの約束があるので、勝手な事はできない。だが、思わず手が伸びそうにもなる。
 目の前のお菓子たちは間違いなく、美味しいはずなのだから。
「……、ちょ、ちょっとだけなら……バレない、よね……?」
 体を宙に浮かせたまま、ティレイラはゼリービーンズで出来ている低木へと近づいた。そして、そんな独り言を漏らしつつ、一つを摘んで口へと運んでしまう。
「ピーチ味、かな……う〜ん、美味しい……っ」
 蕩けそうな味わいのそれに、素直に頬が綻んだ。口いっぱいに広がる幸せに、心までも満たされていく気がする。そしてティレイラは、その後も2つ、3つとそれらを摘んで口に運んでしまった。
「あらあら、うふふ……『お姉さま』の言いつけは守らなくてもいいのかしら?」
「!!」
 背後からそんな声が聞こえ、ティレイラはビクリと体を震わせた。
 聞き覚えのない声であった。
「いらっしゃい、この世界に外部の人が来るのは久しぶり……。アナタ、可愛らしいわね」
「え、あの……初め、まして……? あ、あの、この世界の方ですか?」
「ワタシは世界の一部でしかないわ。あの館に住んでいるの」
 恐る恐る振り返った先には、エプロンドレスを身につけた少女の姿があった。
 頭に大きなリボンを飾り、有名な物語の主人公を彷彿とさせる。
 ティレイラの問いかけに、彼女は鈴のように笑いながら人差し指を向けた。その先にはお菓子で造られた洋館がある。
「うふふ」
「……え、えへへ……」
 意味深な笑みに、ティレイラの表情が引きつる。釣られるように笑ってみせるが、どうにも良くない空気しか感じられない。
「あ、あの……私、そろそろ戻らないと……」
「あら、もう少し遊んでいって? ワタシのお友達も、アナタと遊びたいって言ってるわ……」
 少女はそう言いながら、すらっと右腕を横に伸ばした。
 直後、彼女の背後にお菓子の魔物が現れる。
「あ、わわ……っ」
 ティレイラはそう言いながら、後ろに飛びのけた。そのまま、再び上空に移動して距離を取る。
 だが、少女の笑みは耳に張り付くように響いてくる。その感覚に、ぞくりと背中が震えたのを自覚して、息を呑んだ。
「逃しはしないわ……アナタはワタシの素材……!」
 少女の声に反応するようにして、魔物たちは地を蹴った。そしてティレイラを捉えるために襲い掛かってくる。
「くっ……!」
 まずは一匹、ティレイラは魔物を火の魔法で退けた。だが、相手が怯んだのは一瞬だけで、魔物たちはどんどん追いかけてくる。
「ひ、ひぃ……っ見た目は美味しそうなのにぃぃ!」
 そう言いながら、ティレイラはその姿を変容させた。本来の、紫の肢体を持つ竜のそれであった。
 美しくもまだ若い個体と言える竜に、地上からその様子を見ていた少女が嬉しそうにまた笑う。
「ドラゴンだとは思っていたけど……なんて綺麗な子なのかしら。ぜひワタシの館のエントランスにオブジェとして飾りたいわ」
 少女はそんな独り言を漏らしながら、また腕をすらりと上げた。
 彼女の意のままに、お菓子の魔物はどんどん湧いてくる。
 そしてそれらは一つの場所に集まり、合体し始める。
「え、ええっ!? 合体とかもしちゃの……さすがお菓子、というべきか……いや、そんな事言ってる場合じゃない……ッ」
 宙を舞いつつ翼と尻尾で魔物たちを薙ぎ払いながら、ティレイラはそう言った。
 どこに逃げようとも、魔物は迫ってくる。
 そして、地上には今まさに合体を終えた大きな魔物――自分によく似た翼竜が地を蹴ったところだ。
「うう、こ、これは……」

 ――もし何かあったら……炎の矢を空高く打ち上げなさい。

「はっ、そうだ……矢を、空に……!」
 絶対絶命、と思ったところで、ティレイラはシリューナの言葉を思い出して慌ててその手に火の矢を生み出した。
 ヒトの姿よりは姿勢は取りにくいが、弓を引けないわけではない。
 だが。
「っ!」
 天に向かい矢を向けたところで、背後からゴォッと熱風を感じた。
 自分にも憶えのある火の風は、先ほどの翼竜が口から吐いたものだった。
「あ、あぅ……っ」
 火と火がぶつかり合い、その場で激しく燃える。
 ティレイラの火の矢は、あっさりと翼竜の炎に飲まれて地へと落ちていった。
 彼女はそのまま振り返り、お菓子の翼竜と対峙する。目が赤いのはゼリーなのだろうかとそんな余裕な思考を巡らせつつも、両手に炎を生み出して相手へと投げつける。
 目の前で、バン、と何かが弾ける音がした。
 再びの炎の、ぶつかり合う音であった。言わば、目の前で軽い爆発が起きた状態だ。
「くぅっ!」
 その光に目を眩ませつつ、ティレイラは渾身の力を振り絞って体を回転させ、己の尻尾を魔物へと振りかざす。
 するとそれが以外にも相手の頭にヒットして、元がお菓子である翼竜は、その身を崩してバラバラと地へと落ちていった。
「は、はぁ……っ、今のうちに……」
「――あら、そうは簡単に行かないものよ?」
 体制を直しつつ、ティレイラはその場で再び応援を呼ぶための火の矢を生み出した。
 その直後、あの少女の声が近くで聞こえて、彼女は瞳を見開く。
 今までにない、嫌な気配がした。
 ずるり、と何かが地を引きずる音がする。水気を含んだ何かが、形を為している。
 そうは思うのだが、ティレイラは現実を目にしたくないのか、少女の方を見やることはせずに居た。
「戦う相手はよく見ていたほうがいいんじゃないかしら?」
 少女はそう言いながら、楽しそうに笑っていた。
 負ける気など、更々無い。そんな表情をしている。
 元々、この世界に住んでいる存在だ。勝手も事情も何もかも、少女は知り尽くしているのだろう。
「ヒッ……なにあれ……!?」
 少女の言葉に釣られるようにして、ティレイラは渋々視線を下に向けた。
 その先に居たのは、透明な大蛇だ。重い水滴をぼとりと滴らせながら、こちらへとゆっくり向かってくる。
「み、水飴……? あ、あんなのに捕まったら……。あーん、お姉さまぁ!!」
 ティレイラが指摘したどおり、大蛇の元になっているのは水飴であった。
 少女の意のままにお菓子が魔物へと変化するこの世界は、甘さと引き換えに大きな代償を伴ってしまうようだ。
 大蛇はティレイラの隙を見逃さずに、一瞬で距離を詰めてきた。
 彼女は慌てて翼を広げて抵抗しようとするが、相手は水飴。触れればベタつき、動きも鈍くなってしまう。
 大蛇が音もなく、笑ったような気がした。
 彼女の翼が掠めたところから体を変容させ、蛇はどろりと蠢き、まとわりつく。
 じわりじわりと広がっていく水飴。ティレイラが言葉を発するよりもそれは浸透が早く、彼女の体を飲み込んでいく。
 浸透していく感覚と同時に、その端から飴化が始まるのを視線のみで確かめて、「あぁ」と嘆くがそれは音にはならず、篭った響きとなって消えていった。
(これも、お姉さまの言い付けを守らなかった罰なの……?)
 そんなことを心で叫びながら、ティレイラの体は地に落ちた。
 龍の姿であったために衝撃が大きく、重い音が周囲に響く。
 その音を、遠くで耳に留めたのは、シリューナであった。
「……またあの子ったら、油断したわね」
 ため息混じりにそんな独り言を空気に乗せ、背中の翼を羽ばたかせる。
 宙を舞いながら、彼女は懐中時計を取り出し、時間を確認した。
 ティレイラとの約束の時間まではまだ、十五分ほどの余裕がある。もう少し周囲を見て回りたい気もあったが、それ以上の事が起きてしまったのだ、仕方がない。こうなってしまうだろうとの予測も出来てはいたようだが。
「――やっとお出ましね。『お姉さま』」
 そんな声が足元から聞こえてきた。
 良く澄んだ声であった。
 先ほどの、エプロンドレスの少女のものだ。
 彼女の背後には大きな艶のある竜の像が佇んでいた。飴色のそれは、ティレイラであったもののそれであった。
 シリューナはふぅ、と再びのため息を零しつつ、その地に降り立つ。その際、後ろ手にパチンと指を鳴らしたことを、少女は気づいていないようであった。
「貴女があの子をこんな姿にしたのかしら」
「ふふ、素敵でしょう? 最高傑作だわ。ワタシの館にピッタリのオブジェよ」
「そう……そうね、とても素敵だわ。でもこの子は、私のものなのよ。だから元に戻してもらうわ。――私が堪能した後でね」
「!!」
 シリューナはゆっくりと言葉を繋げた後、一拍置いた後の言葉の直前に、何かの呪文を口早に唱えていた。
 それは、少女の耳にも届かないような小さなものであった。
 直後、少女の体が動かなくなり、表情を歪ませる。
「アナタ、何を……したの!?」
 それまで余裕の態度であった少女に、焦りが見えた。
 口は何とか動く状態であったので、語気を強めて問いかけるも、シリューナは既にその場には立ってはいなかった。少女は慌てて視線を動かすと、彼女は竜の像の隣に移動し、ほぅ、と感嘆の吐息を漏らしている。
「ああ、ティレ……相変わらずの造形美ね。とても素敵よ」
 宝石のような像に触れるか触れないかの位置で指を這わせるような仕草を見せつつ、シリューナはそう言う。
 既に、彼女には少女の存在など眼中には無く、完全に無視をしている状態だ。
「ちょっと、聞いているの!?」
「……静かにしてちょうだい。大丈夫、慌てないで……私はいつでも貴女の拘束を解いてあげられるんだから」
 目を細めつつ少女のことは一度も見ずに、シリューナがそう答えると、言い知れぬ悪寒のようなものが直後に全身をめぐり、少女は顔を強張らせた。
 絶対的な力の差を、そこで知ってしまったのだ。
 ――彼女には、シリューナには敵わない。
 そんな言葉が、心に一瞬して浮かんでしまうほどの恐怖でもあった。
「震えなくても大丈夫よ。殺しはしないわ」
「……ッ」
 中指の腹で飴の像を一撫でして、それを自身の唇に持っていく。
 口の中に広がる甘い味を堪能しながらの言葉は、少女をさらに凍てつかせるのだが、シリューナにとっては既に過去のことらしい。
 彼女はティレイラの飴の像に夢中で、くるくると周囲を回り歩きながら、その造形美を堪能していた。
 明らかに異世界であるはずの空間の中で、シリューナはいつもどおりかつ全くの隙を少女に見せること無く、行動を貫いている。
 その後、少女の拘束とティレイラの飴化が解かれるのは、一時間ほどを過ぎてからの話であった。