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<東京怪談ノベル(シングル)>


コズミック・ダイエット


 練炭一式を購入しておいた。睡眠薬も、大量に買ってある。
 どちらの方が、楽に死ねるのか。何しろ自殺などした事がないので、わからない。
 楽な死に方などないのだろう、と私は思う。
 どれほど苦しんで死ぬにしても、このまま生き続けるよりは遥かにましだ。
 私の眼の前では、5歳になったばかりの息子が、美味しそうにお子様ランチを掻き込んでいる。遊び回って、腹が減ったのだろう。
 妻が、息子の頭を撫でた。
「楽しかった?」
「うん!」
 心から嬉しそうに、息子が微笑む。
 私は父親として、この子に何もしてやれなかった。
 家では暗い顔ばかりしていた息子に、妻に、最後の最後で少しは幸せな思いをさせてやれたのだろうか。
「……君にも、辛く当たってばかりだったな。ごめん」
「お互い様よ。私だって、この子が見てる前でヒステリーばっかり」
 妻が微笑んだ。何年かぶりに見る、優しい微笑。
 どうという事はない、ありふれたファミリーレストランである。
 生命保険を解約し、家族3人で遊び回った。平日なので、どこも空いていた。
「一緒に遊びに行くなんて、学生の時以来よね」
 妻が、懐かしむように言った。
「あの頃が一番、楽しかったな……この先もう何年生きたって、あの頃より楽しくなる事なんてないよね」
「ごめん……本当に」
「だから貴方のせいじゃないって。この世の中が」
 ふっ、と笑いながら妻は、言葉を呑み込んだようだ。
「……やめよっか。世の中が悪いとか、そういうの」
「そうさ。誰も、悪くなんかない」
 私たちが、弱かった。ただ、それだけの事なのだ。
 突然、店の中が騒がしくなった。
 息子が、窓の外を見て興奮している。
「パパママ見て! すごい、すごい!」
 男の子が喜びそうな光景、と言えなくもなかった。
 建物が、車が、人が、一緒くたに潰れながら宙に浮いている。と言うより、吸い上げられている。
 空中に浮かぶ巨大なものに、街そのものが吸い込まれつつあった。
 夜空一面に描き出された、巨大な紋様……ファンタジー物に出てくるような、魔法陣である。
 それが街を、粉砕しながら吸引している。
 私たちが、この店もろとも吸い込まれるのも、時間の問題であろう。
 ビールの入ったグラスを、私は乾杯の形に掲げた。
 練炭や睡眠薬よりも、豪勢な死に方が出来そうではあった。


「げぇえっぷ……また、食べちゃいましたあぁ……」
 松本太一は、泣き声に近いものを発した。
 世界を1つ、丸ごと吸収したばかりの魔法陣が、腹の辺りでぼんやりと発光している。いや、腹ではなく胸か。あるいは太股か。背中、あるいは尻かも知れない。
 肉体が、もはや人間の形をとどめていなかった。
 宇宙空間に浮かぶ、巨大な、何だかよくわからないもの。それが今の松本太一だ。
 最初は、人間を3人ほど吸収・消化しただけであった。要するに人食いをやらかしたわけだが、そんなものに何か感じている暇もなく、今や人間どころか世界をいくつも食い尽くして、こんな様を晒している。
「……今の貴女は、一体何?」
 太一の傍に浮かぶ1人の男が、溜め息混じりに問いかけてきた。
 冴えない感じの、痩せた中年サラリーマン。松本太一の、かつての姿だ。
 浮かんでいる、と言うよりも見えない足場に立っている、その男の問いに、太一は答えた。
「ええっと……じ、邪竜の魔女……かっこ仮、ですぅ……」
「邪竜と言うよりもアザトホースかヨグ・ソトホートみたいねえ、まったく」
 かつての太一の肉体に宿った女性が、呆れ果てている。
「太り過ぎ……食べ過ぎよ。世界を一体いくつ食べれば気が済むの」
「ビール腹ってレベルじゃないの、わかってます……だけど食欲が止まらないんですぅ……」
 しくしくと、太一は泣き震えた。
 震える巨体のあちこちで、魔法陣が淡く輝く。
 あらゆるものを、世界すらも吸収してしまう魔法陣。
 吸収した様々な情報が、この醜悪な巨体の中で、消化不良を起こしながら渦巻いているのだ。
 渦巻く未消化情報を、最適化する。すなわち情報改変の練習。
 その真っ最中なのだが、傍目には単なる暴飲暴食であった。
「要は、ダイエットしなさいという事よ」
「わ、わかってますよう」
 ダイエットが出来るような人は、最初から食べ過ぎて太ったりしないのではないか。太一は、そんな事を思った。
 ここは宇宙空間に見えるが実は、今の太一を見るに見かねた魔女たちがわざわざ作ってくれた、ダイエット用の異空間なのである。
 時間の流れ方も、太一が元いた世界とは異なる。何しろ勤め人であるから、長らく会社を休むわけにはいかない。
 こんな場所にいても、しかし全身の魔法陣は勝手に、外の様々な世界を吸収してしまう。
「邪竜さんの食欲は、底無しです……この食欲を、上手く私に最適化出来ればいいんですけどぉ……」
「邪竜の食欲は、確かに情報としては手強い部類に入るわね。だからこそ改変の練習にはもってこい、なのだけど」
 中年男・松本太一が、溜め息をついた。
「……少し、やり方を変えてみましょうか。情報というものはね、頭の中やお腹の中で色々こねくり回しているだけでは、なかなか消化も最適化もされないもの。ダイエットの基本に、立ち返ってみなさいな」
「基本……ですかぁ……」
「そう」
 痩せた中年男の顔が、にやりと不敵に歪んだ。
「……身体を動かしなさい、という事よ」


 ビル街である。
 太一も、破壊はしたくない。が、これから始まる戦いで破壊される事となるだろう。
 赤色あるいは銀色の巨人たちが、太一をぐるりと取り囲んでいた。
「あ、あのう……」
 太一は会話を試みたが、巨人たちは聞く耳を持たない。全員、剣呑なファイティングポーズを取っている。
 今の松本太一は、歩くだけでビルを崩壊させる、巨大な竜であった。
 しかも首が8本。日本神話に登場する八岐大蛇が、不恰好な翼と鈍重な四肢を生やした、そんな姿である。
 その全身では、いくつもの魔法陣が相変わらず、淡く怪しく輝いている。
「まだ少し……ぽっちゃり気味、かしらね?」
 いくらか太り気味な八首竜の巨体。その背中に立って佇みながら、男は微笑んだ。
 貧相な、痩せた中年サラリーマン。かつての松本太一の姿。
「だけど、かなりマシになったじゃないの」
「……死ぬ思いで、戦ってきましたから」
 数多くの世界で、このような戦いを繰り返してきた。
 体内で消化不良を起こしていた様々な情報が、その戦闘経験に合わせて最適化されていった。例えば翼となり、尻尾となり、四肢となり、8つの頭部となり、炎を吐く能力となり、強酸や電光を吐く能力となった。
 宇宙空間に浮かぶしかなかった巨大な肉塊が、とりあえずこうして重力下でも動ける程度にはシェイプアップされたのだ。
「首も、8本は多過ぎるわね。せっかくだから3、4本、斬り落としてもらいましょう」
 痩せた中年男が、太一の背中で他人事のように言う。
 巨人の1人が、丸ノコギリのような光輪を発生させ投げつけようとしている。1人が、頭に装着したブーメランを飛ばそうとしている。他の巨人たちも各々、光線の構えを取っている。
「ううっ……皆さん、殺る気満々です……」
「貴女も死ぬ気で戦いなさい。命を賭けたダイエットよ。今はまだメタボ気味の大怪獣……スリムで可愛い美少女系の竜娘まで、まだまだ道のりは長くて険しいんだから」
 かつての松本太一が、今の松本太一の背の上から、巨人たちを楽しそうに見回している。
「ふふっ……この人たちから見れば今の私、怪獣を操る何とか星人みたいなものかしら」
「巨大化出来るんならして下さい! 助けて下さい!」
 巨人たちが一斉に光線を放ってきたので、太一は悲鳴を上げた。