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飴色虹色甘い罠
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それはシリューナ・リュクテイアが自分の店の営業を終えたある日のこと。いつも店を手伝ってくれるファルス・ティレイラが待ってましたとばかりにシリューナに声をかけてきたのだ。
「お姉さま! 面白いものを貰ったんです! 見てください!」
「あら、なにかしら」
何かあるとは思っていた。だってティレイラは営業中からずっと、新しく手に入れたおもちゃを早く見せびらかしてウズウズしている子どものようだったのだから。
ティレイラはテーブルの上にそっと、取り出したそれを乗せた。それは古びた革の装丁の本で、薄れていてタイトルは読めない。だがシリューナはその本が魔力を帯びていることにひと目で気がついた。
「ティレ、この本は魔法の本ね」
「さすがお姉さまです! はい、この本の中に入れるらしいですよ? 一緒に入ってみませんか?」
「そうね……」
シリューナはぺらぺらと黄ばんだ、だが強度は保っているページを繰る。ざっと見た感じ、本の内容は危険なものではなさそうだ。
「いいわよ、行きましょう」
「やったぁ!」
ティレイラが存外に喜ぶものだから、シリューナは困り顔や泣き顔も可愛いけれど、笑顔も可愛いわ、なんて思ったりしたのだった。
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本の中に入る感覚は、たっぷりとした魔力の中に身をうずめる感覚と似ていて。
「……んっ」
「……あっ……」
本の中の世界に産み落とされる時、二人は無意識に艶めかしい声を上げていた。
「わぁ……」
着いた本の中は、一言で表わせば『お菓子の国』だった。カラフルなキャンディやマシュマロがそこここに咲いていて、ミルク・ホワイト・ストロベリーのチョコレートの川がそれぞれ流れている。スポンジケーキの椅子にビスケットの道。マカロンで出来た宮殿が遠くに見える。
「随分と広そうね。手分けして探索しましょうか」
「はいっ。じゃああそこに見える飴細工の虹の橋で待ち合わせましょう!」
ふたりは落ち合う場所を決め、それぞれ気の向くままにお菓子の国を歩いて回る。ティレイラはごきげんだった。こんな可愛らしくて素敵な世界を歩けるなんて、とてもロマンティック。遠くに見えるマカロンの宮殿を目指して歩き始めるが、周囲の観察も怠らない。
(わぁ、お菓子の家もたくさんありますね)
ビスケットの道の両端に、大小様々なお菓子の家が並んでいる。どの家もデザインに凝っていて、色や飾り、オブジェなどでそのセンスを競っているようだ。
(どの家も可愛いですね〜個性的で素敵です)
未知の空間を歩く興奮が、目に入る素敵な光景がティレイラの間隔を麻痺させているのかもしれない。一軒の家の窓から注がれる熱視線に、彼女は気がついていなかった。
「何やあの子、めっちゃかわええやん。うちのオブジェにしたいわ!」
そう、熱視線の主はこの本の世界に住む魔族の少女。家を飾り付けて競うことに熱心なうちのひとり。可愛らしいティレイラは、魔法菓子オブジェの良い素材になる、そう思ったのだ。
「いっといで。あの子を捕まえてくるんや!」
くるりんっ!
少女が回した指先から現れたのは、クッキーやケーキに焼き菓子で足をつけたようなお菓子の魔物。魔物たちは家を出て、ティレイラを追いかける。
「ひゃあっ!?」
べしんっ!
突然臀部に痛みを感じ、声を上げたティレイラ。
「いきなり何ですかっ!」
振り向いてみれば、いつの間に接近したのか足元にはお菓子の魔物がわらわらと集まっていた。つんつんとティレイラの太ももをつついたり、スカートをめくったり。
「ちょっと、やめて下さいっ!」
ごぉぉぉっ!!
ティレイラは炎の魔法を発動させ、足元の魔物どもをなぎ払う。しかし。
――キャッキャッ!!
次から次へと現れるお菓子の魔物たち。しかも、何となく、少しずつサイズ感が増しているような気さえする。
「なんなんですかー!?」
最初は足元でいたずらするくらいだった魔物が、腰くらいの大きさになり、胸のあたりまでの大きさになり、ついにティレイラの背丈を超えてしまった。繰り出されるのもイタズラとは言いがたい攻撃になってきている。このままでは、確実にヤバイ。
「仕方がありません!」
こうなれば最後の手段。ティレイラは己の本来の姿を解き放った。
――!!
空間がビリビリと震える。姿を現したのは、紫色の肢体のドラゴン。竜族本来の姿で、力任せにお菓子の魔物を蹴散らした。
「わーぉ。ごっつ強え! それにあのかっこも、うちのホールに置いたら素敵やん!?」
四方八方に飛ぶ魔物の姿とティレイラの変貌した姿を家の中から眺めていた少女は、恐れるどころか気持ちの昂ぶりを感じていた。これはモノにするしかない。今までにないほどのたくさんの魔力を練りあげて、それを作り出す。
「いってこいや!」
少女が放ったのは、水飴状の巨大蛇。蛇は命令に従ってまっすぐにティレイラを目指す。
「やだっ、今度は蛇ぃ!?」
半泣きになりながらもティレイラは鉤爪や牙で応対する。だが蛇は全く堪えた様子がない。それどころか、ティレイラの牙と爪をかわしつつ、くるくるとティレイラの四肢へと巻き付いてきたのだ。そしてティレイラを締め上げる!
「あはは、仕上げや!」
その様子を楽しげに見ながら少女が魔力を込めるすると、蛇はその本来の姿へと戻るように、ティレイラの身体をコーティングし始めたのだ。
「イヤッ、やめてっ! どういうことなのぉ!?」
冷たかった水飴が、ティレイラの体温で温まっていく。すると肌に触れている部分が少しずつ溶け出して、甘ったるい香りを漂わせ始めた。
「あっ……なにこれ……甘くて、力が……」
甘い香りは不思議と、ティレイラの四肢から力を奪っていく。ゆっくり、夢に堕ちるように、ティレイラはその場へと座り込んだ。その間にも水飴によるコーティングは進み、しばらくするとすっかりティレイラの全身はコーティングされてしまったのだった。
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「どこを見ても本にしては素敵な出来栄えね」
ティレイラと別れたシリューナは、魔法の本としてのこの空間の出来栄えにいたく感心し、そして堪能していた。だが、しばらくして。
「静かに鑑賞させてもせえないものかしら」
遠くから聞こえてくる騒がしさが、シリューナの鑑賞の邪魔をする。だが聞こえてくる雑音の中に大切な妹分の声が混ざっていたから、シリューナは鑑賞を中断することを厭わなかった。
果たして騒ぎが聞こえてきた場所へと到着すると、すでに騒がしさは引いていた。その代わりに巨大な紫色のドラゴンが飴のようなもので固められており、そのそばで魔族と思しき少女が嬉しそうに笑っていた。幸い、少女はまだシリューナの存在には気がついていないようだ。
(ティレったら……仕方のない子ね)
心の中で呟き、シリューナは術式を組み上げる。起点は無防備な魔族の少女。流石にそろそろ気づくだろう、シリューナが息をついた時。
「誰や!?」
少女が振り向いた。シリューナとしては遅いくらいなのだが、ちょうどそのタイミングに発動するよう組んでいた術式の網が少女を捕らえる。シリューナが名乗る間もなく――そのつもりもなかったが――封印の網に絡めとられた少女は動きを止めた。
ぺいっ。
シリューナはティレイラから魔族を引き剥がして無造作に投げると、その姿を見上げる。飴細工でコーティングされたティレイラは透き通っていて、見る角度や光の加減でキラキラと色を変える、まるで宝石のよう。
「ああ、ティレ……なんて素敵なのかしら。今までで一番……いいえ、ティレの素晴らしさな優劣をつけるなんてできないわ」
勿論後ほど魔族にティレイラを元に戻させて、この世界から出るつもりだ。だが、シリューナには特に急ぐ理由はない。
「このまま持って帰りたいくらいだけれけど……流石にそれは無理よね。だから、しっかり網膜に焼きつけておかないと」
様々な角度からティレイラを眺め、更によじ登って上からもその姿を見つめたシリューナ。先ほど放り投げた魔族を引っ張ってきて、椅子にして座る。
「ふふ……まだいいわよね?」
最終的に助けてあげるのだから、もう少し鑑賞していても、バチは当たらないはずだ。
【了】
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
【3785/シリューナ・リュクテイア様/女性/212歳/魔法薬屋】
【3733/ファルス・ティレイラ様/女性/15歳/配達屋さん(なんでも屋さん)】
■ ライター通信 ■
この度は再びのご依頼ありがとうございました。
お届けまでにお時間を頂いてしまい、申し訳ありません。
少しでもご希望に沿うものになっていたらと願うばかりです。
この度は書かせていただき、ありがとうございました。
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