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<東京怪談ノベル(シングル)>


心に刃を携えて(5)
 音もなく歩くその姿は、ひどくしなやかでまるで猫のようだ。気配を隠しながらも、敵の拠点へと侵入を果たしたその気高き黒猫、水嶋琴美は奥へ奥へと進んでいく。
 無論、拠点内は無人ではない。隙をつき、彼女へと次から次へと忍達は襲い掛かってくる。代々琴美の家と敵対しているくらいだ。一人一人の実力も相当なものだというのに、複数に同時に襲いかかられたとしても琴美はこともなげに彼らを倒していった。
 男をクナイで切り裂きながらも、飛んできた吹き矢を返し刀で弾き飛ばす。足を止める事もなく、彼女はまるで慣れ親しんだ庭を駆けるかのように、華麗な足取りで廊下を進んでいく。
 疾駆する彼女の前に立ちはだかるのは、忍達だけではない。かたり、という小さな音と共に罠が作動し、彼女の立っていた場所に大きな穴が空く。プリーツスカートがまるで花のようにふわりと広がり、ぴっちりとしたスパッツが寄り添う美脚を晒した。けれど、罠が作動する寸前に瞬時に跳躍した事により、彼女はその魔の手から逃れる。どこまで続くのかも分からない深い闇に、琴美が囚われる事はない。
 初めからそこへと降り立つ事が決まっていたかのように優雅に着地した先でも、琴美を狙う次の罠は待ち構えている。突然壁から無数の槍が突き出し、彼女の豊満な胸の奥にある心臓を狙い襲いかかる。しかし、その罠も再び琴美が宙へとその魅惑的な身体を舞わせた事により空振りに終わった。艶やかな黒髪の先をかすめる事すら出来ず、無用となった罠は沈黙する。
 その槍の束の上へと一度着地し、琴美は天井に向かいクナイを放った。どさりと音をたて、眼前に男が落下してくる。天井裏に隠れ琴美へと攻撃する機会を伺っていた彼であったが、その気配は彼女の前では隠す事が叶わなかったようだ。
 いくつもの罠が張り巡らされたカラクリ屋敷。しかし、そのどの罠も琴美の足を止める事は出来ない。どこからくるのか分からない奇襲や、無数に仕掛けられている罠に怖気づく事もなく、迷いなく彼女はまっすぐに突き進んでいく。
 冷静な彼女は、外観から屋敷の構造をあらかた把握し、頭領が待ち構えている可能性の高い場所にすでに見当をつけていた。予測が外れていたとしても拠点ごと破壊すれば済む話だが、一秒でも速く任務を終えるに越した事はない。
 やがて辿り着いた場所で、琴美は自身の予測が正しかった事を確信しにこりとした笑みを浮かべる。
「やはり、ここにいましたわね」
 辿り着いた先。開けた広間に、かくして目的の人物はいた。
 敵の親玉であり、琴美の家が代々敵対している組織の新しい頭領。二十歳くらいの男性が、歪んだ嫌な笑みを浮かべ、舐めるように琴美の肢体を眺めている。
 拠点に侵入され、仲間の忍達が何人も倒されたというのに、男の顔に焦りはない。むしろ、そのいやらしい瞳にあるのは歓喜であった。
 男は声をあげ、笑う。耳障りなその笑い声に、琴美は綺麗な形の眉を僅かに寄せた。
「まさか、こうまで私の狙い通りになるとは……。何故今まで裏で糸を引いていただけだった私達が、直接手を出すようになったと思う?」
 突然の問いかけに、琴美が答える義理などない。睨むように、その宝玉のような黒の瞳で相手を見つめ返すだけだ。
「私の狙いは君だよ。水嶋琴美」
 ねっとりと、男は彼女の名前を口にする。まるで声で無遠慮に身体を撫でてくるかのような薄気味悪さを孕んだその呟きに、琴美は不快げに目を細めた。
 彼らとて、自分達が直々に動き出す事を琴美達が見過ごすわけがないという事は理解していたのだ。だからこそ、彼らは表舞台に出てきた。何故なら、それこそが彼の目的であったから。
 水嶋琴美。絶世の美女であり、幾多の戦場を無傷で渡り歩いてきた無敗のくのいち。
 全ては、彼女の事をあぶり出し、こうして拠点へとおびき出すためにやった事だったのである。
「なるほど。貴方達が直接活動をし始めた事自体が、私を釣るための罠であった……という事ですわね」
 納得し、琴美は肩をすくめてみせた。どのような狙いがあるのかと思えば、存外とつまらない答えに少女は少々呆れてしまう。
「私を捕まえる気でして?」
「ああ、そうとも。君が欲しかった。ずっと、ずっとだ。君の活躍を耳にするたびに、欲望が膨れ上がっていったよ」
「私の家と貴方の家は、代々敵対していましてよ?」
「家の事など二の次だ。君を手に入れるためなら、私は全てを捨てたっていいんだ。それほどの価値が、君にはある」
 ふぅ、と琴美の桃色の唇から吐息がこぼれ落ちる。そして挑発するように、彼女はどこか誘うような笑みを浮かべ相手へと視線を投げた。
「生憎ですけれども、私は貴方に捕まる気なんてさらさらありませんわ」
 それに、人に自分の価値を決められるのも気に食わない。不満を隠そうともせず武器を構えた琴美に、男は微笑む。そうでなければ面白く無いと言わんばかりに。
「さぁ、思い知らせてさしあげますわよ! 私の本当の価値というものを! 私は誰のものにもなりませんわ!」
 かくして、黒猫の今宵最後の戦いは始まる。男のおこがましい願いを粉砕するため、そして世界の平和を守るために、彼女は愛用のクナイを振るった。