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それは金色の
太一はうつむき加減に街を歩いていた。
腹の奥に、ずぅっと鉛玉が落ち込んだような感覚が続いていた。なにか悲しいことがあったというわけでもない、誰かにひどく傷つけられたというわけではない。いや、もしかすると、そんなこともあったのかもしれない。
だがもうそれすら認識できないほどに、太一の心は荒れ果てていた。残っているのはただ、身の重さと、疲れ。
何が嫌なのか、もうわからない。
何が辛いのか、もう知らない。
ただ世界中が灰色に見えて、アレもこれも、意味を持たない。
だったら、消えてしまっても同じだろう。
それで、橋の欄干からひょいと身を乗り出して。
ぼっとりと、地面へ落ちてみたのだ。
そこをそれが通りかかったのは、ひどく不運だった。
「なんだ」
くつくつと、それは笑っていた。
「存外、つまらないことで、つまらない死に方をする」
つまらぬ命には似合いの終わりだな、と、悠然と言い放った。
そして首をもたげて、太一をひょいと持ち上げた。
太一は、指一本も動かせなかった。脳の一部を損傷してしまったらしい。目は見えている、思考はある。それでも身体は、意のままにならなかった。
「ほう」
と、それは言った。
「まだ命があるか」
そのときようやっと、太一の目にそれの全身が映った。
それは、金色の竜だった。
そびえ立つビル群の中に、燦然と輝く立派な体躯。鱗一つ一つは鏡のように光を跳ね返し、太一の血みどろの姿を映した。
あぁ、これはもう、死ぬな。と、ぼんやりと太一は感じる。
巨大な爪が、竜の手中の太一を転がした。クレーン車のアームのような爪は、太一の身体をたやすく転がす。
竜は太一を右に左に転がし、満足げにくつらくつらと笑った。
「少々頑丈か」
竜は、大きく口を開いた。
真っ赤な濡れた舌がちらりと閃く。次の瞬間、竜の舌が太一の心臓を貫いた。
「ーーァ」
太一の口から血がこぼれる。だが、死ねない。
自分の身に何が起きているのか、太一にはわからなかった。ただ巨大な竜の手のひらに乗せられて、心臓を舌に貫かれている。
夢だろうか。走馬燈にしては悪趣味だ。
ぐちぐちと水の音を立てながら、竜の舌が太一の身体の中を這いずり回る。太一は徐々に、身体の感覚を取り戻しつつあることに気が付いた。
同時に、己の変貌を知る。
胸は柔らかな膨らみを得ていた。加齢によって張りを失っていた肌は、乙女のみずみずしさを湛えていた。太股は丸みを帯び、腰は滑らかな曲線を描く。
「……え?」
身を起こすと、竜がにんまりと目を細めていた。
「わた、し……」
何が起きたかわからずに動揺する太一の頬を、竜の舌がまた舐めとる。再び貫かれるかと思って身を固めた太一だが、竜はただ、太一の肌を滑らかになぞったに過ぎなかった。
「ちょうど手が空いていた」
くつり、と、また竜は笑った。
そして舌先で、太一の左胸をぐにりと押す。熱いものが押し込まれていく感覚に、太一は空恐ろしさを覚える。
見下ろすと、金の竜の鱗……いや、宝石が埋め込まれていた。先ほど竜に貫かれた穴が、ちょうどソレで埋められている。
とたん、先ほど竜になめ回された肌が熱を帯びた。触れられた肌に、金色の文字が浮かび上がる。
「人間よ。いや、今は魔女か?」
竜は楽しげに言った。
「しばらく遊んでやろう」
太一はただ、呆然と己の身体と竜を見渡していた。
これがあの世、だろうか。
ほめられた生き方はしてこなかったかもしれない。だがこんな終わりは、あんまりだ。
竜は命をもてあそんで、ただくつらくつらと笑っている。ひどく趣味が悪い、だが、それを払いのけるだけの力も、気力もなかった。
……どうせ、捨てるつもりの命だったのだ。
「私は、どうなったのでしょう」
尋ねると、竜は低くうめくように答えた。ちょうど、獅子が甘えて鳴くのに似ていた。
「黄金竜の魔女よ」
と、それは太一を呼んだ。
「これまでの命に未練はあるまいな」
そういわれて、思い返す。
男であったことが、まず真っ先によぎった。それから、仕事のこと、暮らしのこと、これまでのこと。
太一はわずかに目を伏せた。
「どうせ、捨てるつもりの、命でしたから」
それらがどうなってしまおうが、もう構わなかった。
新たな身体を、確かめるように抱きしめる。
若さと柔らかさが、実感を持ってそれに答えた。
「ならば資格は十分か」
そう囁いて、竜が大きく口を開いた。
使い魔にされるのだと、何となく悟ってしまう。それがどれほどの至福なのか、不幸なのか、太一にはわからない。
身体がカッと熱を持ち、女に変わったときとは別の変革が己の身に訪れる。
太一がそれを拒む理由は、もうどこにもなかった。
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