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<東京怪談ノベル(シングル)>


フール


 犬の餌のように盛られたナッツを、雛月は口に放り込み、噛み砕き、安酒で流し込んだ。
「糞が……ッ!」
 罵りながら、雛月は思う。糞は自分だ、と。
 死んだ人間を生き返らせる事と、ゾンビを作り出す事は、違う。似て非なるものだ。
 そんな簡単な事にも気付かなかった自分に、腹が立つ。
 あの男の頭の中には、死体を切り刻んで良い感じに繋ぎ合わせ、外見の美しいゾンビを作り上げる、そのための知識しか入っていなかった。
「よう。ようよう姐ちゃんよぉお」
 こんな薄汚い安酒場に似合いの客、とも言うべき男たちが、酒臭い息を吐きながら雛月に絡む。
「聞いたぜ、おい。死んだ奴を生き返らせる方法、探してんだってなあ」
「へっへっへ、好きな男でも死んじまったのかい?」
「死んだ野郎の事なんざぁ俺たちが忘れさせてやっからよォー」
 酒気を帯びた眼差しが、雛付きの全身を舐め回す。
 ドレスのような黒いワンピースによって、淫靡に蠱惑的に強調されたボディラインを、男たちが視線でなぞり回す。
 雛月は、じろりと睨み返した。
「お前らが今、酔っ払ってバカを晒してるだけなのか、それとも元々そういうゲス野郎どもなのか……ちょっと審判してみようじゃないか」
 言いつつパチッ! と指を鳴らす。光の飛沫が、キラキラと散った。
 鳴らした指が、いつの間にか何かをつまんで掲げている。
 光と共に生じたそれは、1枚のタロットカードだった。絵柄は、ラッパを吹き鳴らす天使と、棺の中から蘇る死者の群れ。
 雛月に絡んでいた男たちが突然、消えて失せた。
 カードの中の死者たちが、その男たちに変わっている。そして棺の中に倒れ込み、蓋を閉ざされてしまう。
 雛月の端正な指が、くるりとカードを翻した。
 翻ったカードが、微かに光の粒子を散らせて消えた。
 カウンターの中から、酒場の店主が問いかけてくる。
「……あいつら、どこへ消えちまったのかね?」
「さあね。天国へ行ったか、地獄に落ちたか。それとも、どっかで生まれ変わって赤ん坊からやり直すのか」
 答えつつ、雛月は安酒を呷ろうとした。グラスの中は、すでに空だった。
「……あいつらの今までの行いを見て、神様なり悪魔なりが決めてくれるさ。『審判』のカードに呑み込まれた奴がどうなるか、それは僕の知った事じゃない」
「あいつら、ツケが随分たまってやがるんだが……」
「僕が払うよ。こう見えても稼いでるから」
「だろうね。あんたほどの請負人、そうはいない」
 店主が、にやりと笑った。
「1人……いる事は、いるんだがね」
「……あの女、の事?」
 少し前、この街に流れ着いた若い女。
 恐れ知らずにも雛月と同じような仕事を、この街で始めた女。
 無知で無力な魔女、と雛月は最初は思っていた。
 その女がしかし、請負人として今もまだ生き残っている。裏社会に、名前が通り始めている。
「もちろん、あんたは嫉妬なんかしちゃいないだろうが」
「……利害がカチ合ったら、始末する。それだけさ」
 嫉妬などしていない、と雛月は思う。嫉妬などという、生温い感情ではない。
 憎悪にも等しいものが、雛月の心の中で燻っている。
 直接、何かをされたわけではない。
 あの女に対し、雛月の心の中にある思いは、ただ1つ。
(馬鹿な女……!)
 それだけだ。
 見ただけでわかる。あの『馬鹿な女』は、何か大切なものをどこかに置き残し、この街へやって来たのだ。
 大切なものが待つどこかへ、いつでも帰る事が出来る。だから、あんなふうに明るく振舞っていられるのだ。
 自分とは違う、と雛月は思う。自分には、大切なものなど何もない。
 自分には、深い闇があるだけだ。
「それにしても雛月さん。少しばかり、もったいない事をしたね」
 店主が言った。
「今回あんたが始末した、あのクソッたれな変態野郎の事さ。綺麗な男の子やら女の子やら大勢さらって、切り刻んで自分の身体にしちまってたんだろう? 遺族の中には金持ちも大勢いてね。復讐請負の仕事依頼もけっこう来てたんだよ、この街には。雛月さんも、そういう依頼を正式に受けてから行けば良かったのに。けっこうな金になったと思うよ?」
「金なんて要らない……とまでは言わないけど。僕が今一番欲しいのはね、金じゃなくて情報なんだよ」
 死んだ人間を、生き返らせる力。
 そんなものに関する情報など、たやすく手に入るはずはなかった。
 金に糸目はつけず、雛月は情報を漁り集めた。
 偽の情報を掴まされて危険な目に遭い、死にかけた事も1度2度ではない。
 どうにか生き伸びては、自分を騙した情報屋を始末し、騙し取られた金を回収する。
 その金で別の情報屋を雇い、騙され、死にかけて生き伸び、報復して金を回収する。
 その繰り返しだった。
「信用出来る情報屋……なんて、いないもんだね」
「いるよ、1人だけ」
 店主が誰の事を言っているのか、雛月にも心当たりがないわけではなかった。
「あんたも、聞いた事くらいはあると思うけど」
「……頭がおかしい事で有名な奴、だよね」
 雛月は、軽く片手を掲げた。微かな光が生じた。
 形良い指が、またしても1枚のタロットカードをかざしている。
 描かれているのは、道化師のようにカラフルな衣装をまとった旅人。犬に吠えられながら、歩いているのか踊っているのか判然としない動きをしている。今にも、崖から落ちてしまいそうである。
 自分が今から接触を試みようかと思っている情報屋は、この『愚者』のような人物だ。狂気と正気の境目を、陽気に踊りながら歩いている。常人には理解出来ない何かを探し求め、わけのわからぬ旅をしている。
 カードの中の旅人を、雛月はじっと見つめた。
 狂人を装いながら、大切な何かを探し求めて旅をしている。
 その旅の、あまりの過酷さに、正気を保っていられなくなった旅人。それでもなお、大切な何かを探し求めずにはいられない愚者。
 まるで自分だ、と雛月は一瞬だけ思った。その思いを、即座に否定した。
 自分は、大切なものなど探しても求めてもいない。
 死んだ人間を、生き返らせる。
 それは、大切な何かを求めて高尚な旅をする行い、ではない。もっと禍々しく邪悪なものだ。
(僕が……へらへら踊りながら歩いて崖から落っこちそうになってる愚者、なのは間違いないけど……ね)