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<東京怪談ノベル(シングル)>


緑眼の死神


 ルーマニア軍には、死神がいる。
 俺が入隊する前から、囁かれていた噂であるらしい。
 死神と同じ部隊に属した者は、必ず死ぬ。そんな噂だった。
 その死神が、敵をあらかた始末してくれた。
 俺は、初めての実戦で右往左往するだけで何も出来なかった。
 戦闘がほぼ終了した今になって、しかし何か出来る事があるのかも知れない。
 何かを、するべきなのかも知れない。
「時代遅れの共産主義者どもがよォー!」
 隊長が、高らかに笑いながら小銃を乱射している。
 拘束を解かれた捕虜が、逃げ惑いながら射殺されてゆく。
 この隊長は、非武装の捕虜たちをわざと解放し、人狩りを愉しんでいるのだ。
 前大統領派の武装勢力が拠点としている村を、ルーマニア陸軍の一部隊が制圧したところである。
 その部隊を率いている隊長が、また1人の捕虜を撃ち殺し、屍を蹴り転がした。
「親玉のソ連が潰れちまったってのによぉ、イキがってんじゃねーぜクソ虫どもがあああッ!」
 蹴り転がされているのは、俺とそう年齢の違わない少年だ。
 民兵、と言えば聞こえはいいが、要するに武装した民間人である。
 民間人が、武装しなければならない。それが、血生臭い革命を終えたはずのこの国の、現状なのである。
「隊長! こいつらも、とっとと制圧しちまいましょーよぉお」
 兵士たちが、新たな捕虜の一団を縛り上げ、連行して来た。
 村の女性たち、それも年頃の娘ばかりである。
「へっへへへ、駄目だろぉ嬢ちゃんたち。革命が終わって、せっかく平和になったってのにぃ、その平和を乱すような事をやっちゃああ」
「てめえら女どもが、男に逆らわねえ! それがつまり平和なんだよぉおおお!」
 聞くに耐えない言葉を発しながら、隊長が、兵士たちが、村の娘たちに襲いかかる。見るに耐えない行為に、及ぼうとしている。
「や、やめて下さい隊長!」
 俺は叫んだ。隊長の腕に、すがりついた。
「こういう事は、軍の規則で禁じられてるはずです! やめて下さい隊長、やめさせるよう御命令を」
「じゃ命令してやる、てめえは死ね!」
 隊長が、小銃を振り回す。
 銃床が、俺の顔面を直撃した。折れた歯が、口から飛び出した。
 倒れながら、俺は見た。隊長の背後に、死神が立っているのを。
 隊長が固まった。兵士たちも、硬直した。まるで、蛇に睨まれた蛙の群れだ。
「残敵掃討を私1人に押し付けて……一体、何をしているのかと思えば」
 ハリウッド俳優を思わせる端正な顔が、穏やかな苦笑の形に歪む。
 迷彩の軍服をまとう身体は一見、細いが、俺とは比べ物にならないほど鍛え込まれているのは見ればわかる。
 その左手に握られたナイフが、背後から隊長の首筋に触れていた。微かな動き1つで、頸動脈が切断されるだろう。
「これだからルーマニア軍は欧州1、2を争う弱さ、などと言われてしまうのですよ」
「て……てめえ、上官に向かって……」
「少しは上官らしい事をして下さい、と言っている」
 死神の端正な顔から、笑みが消えた。
「……命令をしなさい。愚かな事はやめるように、と」
「わ、わかった……全員、捕虜から離れろ」
 兵士たちが、隊長の命令に従って、と言うより死神の眼光に圧されて、村の娘たちを解放する。
 解放された娘たちが、身を寄せ合って怯え、泣きじゃくる。
「作戦は終了です。撤収命令を出して下さい」
 言葉と共に死神が、隊長の首筋からナイフを遠ざける。
 その瞬間。隊長が振り返り、死神に小銃を向けた。
「このクソが……!」
 それが隊長の、最後の言葉となった。
 声帯が、気管が、頸動脈が、一緒くたに断ち切られていた。
 左手でナイフを一閃させながら死神は、右手で軍用拳銃を構え、幾度か引き金を引いた。
 兵士たちが、同じように拳銃をぶっ放そうとしながら、ことごとく倒れてゆく。
 その人数と、死神の引き金を引いた回数が、ぴたりと一致している。
「やれやれ……また部隊が全滅してしまった」
 滑らかな手つきで弾倉を装填しながら、死神が呟く。
 その目が、俺の方を向いた。
 藻類に満ちた湖水を思わせる、深い緑色の瞳。
「私は隊長を殺した。君は、隊長を助けようとした……そういう事にしておこう。上官殺しの罪で、私を告発するといい」
「……お断りします、ハスロ少尉」
 俺は立ち上がり、上官に逆らった。
 ヴィルヘルム・ハスロ少尉。死神のヴィル、などとも呼ばれる男。
「ハスロ……だと……」
 隊長に射殺されかけていた民兵たちが、呻いた。
「噂は本当だったのか……ハスロ博士の子息が、我々を弾圧する側に身を投じているという……」
「何故だ……前大統領の懐刀たるハスロ博士の、遺児が……何故、我々を裏切るのだ……!」
 血を吐くような声を発する民兵たちに、ハスロ少尉は言い放った。
「父は父……私は、私だ」
 口調は、冷たい。まるで溶けない氷のように。
「頼むから、父の名を使って戦争の準備などしないで欲しい……私は、君たちまで殺さなければならなくなる」


「説明の必要はない。事態は、こちらで全て把握している」
 司令官が、一方的に告げた。
「前大統領派の武装勢力を、貴官らが掃討した。まあ幾人かの戦死者は出たようだがな……御苦労だった、ヴィルヘルム・ハスロ少尉」
「自分は、上官を……」
 言い募ろうとするヴィルに、司令官が微笑みかける。
「知っての通り、我が軍は革命の痛手からまだ完全には立ち直っていない。再建が急務なのだよ。役立たずは排除して、貴官のような人材のみを生き残らせる。これは非常に重要な事だ」
 あの革命は、まだ終わっていない。
 この国は、あの革命の惨禍からは逃れられない。ヴィルは、そんな事を思った。
 前大統領の信奉者たちが未だ、ハスロ博士の名を口にしているのだ。
 あの父は、かつて言った。
 私は父でありながら、お前に何も道を示してやれなかった。ただ、この光景だけは心に刻み込んでおけ。
 愛する者を失った時、お前は、同じ光景を作り出すだろう。
 父の、最後の言葉だった。
 父は、愛する者を失い、殺戮の光景を作り出し、その中で己の命を絶った。
(愛する者を……いつか失うくらいならば、最初から求めてはならない……そう言いたかったのですか、お父さん……)
 心の中からの問いかけに、父はもちろん答えてなどくれない。
 聞こえて来るのは、司令官の声だけだ。
「1つ教えておこう……前大統領のもとでハスロ博士が行っていた研究はな、我が軍が完全に押収し、引き継いで進めている。逃げる事など出来はしないよ、ヴィルヘルム・ハスロ少尉」


 おかしな夢は見なくなった。ガラスに映る自分が話しかけてくる、などという事もなくなった。
 軍人として、過酷な訓練と任務に打ち込んできた。
 そのおかげで何かを、忘れられはしないにせよ、抑え込んでおく事が出来たのは間違いない。
 忘れる事など出来はしない、と思いつつヴィルは立ち止まった。
「……何もせず、そこから出て来てもらおう。私が君を、敵と認識する前にだ」
「……まいったな、あっさり見つかっちまった」
 軍基地内の、倉庫の陰。そこに人影が1つ、佇んでいる。
 気配の隠し方は自分よりも上手い、とヴィルは思った。
「いるんだよなあ、背中に目が付いてる奴ってのは本当に」
 ヴィルと同じく迷彩の軍服に身を包んだ、東洋人の若い男。外人の、恐らくは傭兵であろう。
「君は……中国人? いや、それともまさか」
「日本人さ。珍しいかね?」
 東洋人の若い傭兵が、ニヤリと笑う。
「ちょいとまあ、やらかしてな……平和な国に居られなくなっちまったのよ。で、世界じゅう流れ歩いて戦争屋さんを営業中と、こういうわけだ」
「その戦争屋が、この国に何の用だ」
 油断なく、ヴィルは尋問した。
「……軍の何かを、探っているのか」
「そうだな、探ってみたくもなる……何しろヨーロッパ最弱候補のルーマニア軍が、起死回生のためのバケモノを飼ってるって話だからな」
 言いつつ傭兵が、何やら思い出すような仕草をしている。
「確か、北の方……だったかなあ。ウクライナとの国境に近い辺りの村に、ちょっとばかりヤバい集団が潜んでたわけよ。昨日あんたが戦ったみたいな、ぬるい連中じゃない。旧ソ連の残党で、共産主義の一番ガチな部分を引き継いじゃってた、筋金入りのテロリストどもさ」
 その集団が、ルーマニア国内の前大統領派を糾合せんとしていた。
 軍としては、早急に手を打たなければならなかったのだ。
「で、結局……その連中は皆殺しにされたわけよ。いやあ、豪快な殺しっぷりだったねぇヴィルヘルム・ハスロ少尉」
「貴様……!」
「いたんだよ俺も、あの村に。まぁるいお月さまが、実に綺麗な夜だったよねえ」
 軍人である。命令とあらば、あの力を解放せざるを得なかった。
 そうしなければならないほど、危険な敵でもあったのだ。
「まるで狼みたく、月に向かって吼えながら……あんた一生懸命、我慢してたよねえハスロ少尉。連中の死体に、しゃぶりつきたくて仕方なかったろうに」
 ヴィルが何を我慢していたのか。何に耐え、何を抑え込んでいたのか。それを、この日本人傭兵は見抜いている。
 殺すしかない、とヴィルは思ったが、
「でも俺があんたに期待してるのは、あの力じゃあない」
 殺意をはぐらかすように、東洋人の男は言った。
「軍人として、兵士としての力……俺に、貸してくれないか」