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<東京怪談ノベル(シングル)>


瞬く星の上を(2)
 高層ビルの窓が鏡となり、星々の輝きを映し出す。男はその最上階で、眺めのいい景色を見ながら不敵に微笑んでいる。
 彼の経営している会社の評判は上々だ。成功に成功を重ねたおかげで、彼の会社はどんどん大きくなっていっている。
 この会社が、裏でどのような事をしているのか、街の人々は知らない。それどころか、疑った事すらもないだろう。非合法な薬品を作り出すための人体実験は、誰にもバレる事がなく今後も続けていく事が出来そうだ。計画は順調である。

 不意に、首元に冷たい何かが押し当てられたような感触に、男は眉を寄せた。ゆっくりとそちらに視線をやれば、見えたのは鋭いナイフの切っ先だ。「ひっ」と思わず悲鳴が口からこぼれ落ちる。
 なんとか振り返り背後の様子を伺えば、いつの間にこんなに近くへと忍び寄っていたのか、そこには女が立っていた。それも、ただの女性ではない。今まで一度もお目にかかった事がないくらいの、とびきりの美人である。黒い髪と共にプリーツスカートが揺れる。戦闘用の衣装であるラバースーツであろうとも、彼女の艶やかな美しさを隠しきる事は出来ない。魅惑的なボディラインを持つ肢体を前にし、男はごくりと生唾を飲んだ。
「な、なんだ貴様は……! 扉は厳重に警備されているはずだ、いったいどこから入ってきた!?」
 男の疑問に、女が答える義理などない。彼女にとって、男は任務のターゲットに過ぎないのだ。心優しく慈悲深き彼女であっても、否、優しい彼女だからこそ、人々を窮地に陥らせる悪人を許す事など出来なかった。
「おい! 誰か、誰かきてくれ! 全く、警備は何をしているんだ!?」
 焦り、がなる男の言葉に返事はない。ビルの中は、しん、と不自然な程に静まり返っている。男がどれだけ騒ごうとも、誰も駆けつけてくる気配はなかった。
「まさか貴様、あの数を全て……?」
 目を見開く男の前で、女、琴美は微笑みを返すのみだ。思わず見惚れてしまう程に、美しい笑み。けれど、その笑みが意味する真実は男にとってひどく残酷なものだった。
 彼女は警備をくぐり抜け、膨大な数いたはずの男の部下達も全て倒してしまったのであろう。いったい彼女がどこから侵入してきたのか。男が先程抱いた疑問の答えは、単純明快であった。彼女は、正々堂々と正面から入ってきたのだ。障害となる者を、全てこの手で排除しながら。
「ふ、ふざけるな! こんな話は聞いていないぞ!」
 男は慌てて逃げようとするが、風が強くて上手く進めない。……風? 男はその時になってようやく違和感に気付いた。
 先程から、女の髪はたなびいている。空調設備が稼働しているわけでもない室内で、風が吹いている事自体がおかしいのだ。
 風はいつのまにか嵐のように吹きすさび、かまいたちのように男の肌を傷つけていく。彼女は、風を操る事が出来るのだ。自由に動く事すらままならない男の肌に、再びナイフの冷たさが寄り添う。
「あ……、ゆ、許してくれ。助けて……殺さないでくれ……」
 逃げ道がないと悟ったのだろう。男は泣きながら、そう命乞いをする。女はそこで初めて、男に向かい口を開いた。
「貴方様は、貴方様が実験体にしていた者達にそう言われても、助けてなどくれなかったのでしょう?」 
 ……図星だったのだろう。何も言い返す事が出来ずに、男は押し黙ってしまった。
 ナイフが走る音と共に、鮮血が床を汚す。
 そして、この会社のトップとして君臨していた男は、自らの罪を思い知りながらその生涯を終えたのである。

 ◆

 暗殺任務を終え、自分の組織の拠点へと帰る道すがら、琴美は思考を巡らせる。
 あの時、男は確かに言ったはずだ。『こんな話は聞いていない』、と。
 いったい誰から、何の話を聞いていたのだろうか。
 死の間際に混乱した末口走った、無責任な八つ当たりの可能性がないとは言い切れない。しかし、長年任務に身を投じてきた琴美の勘がその可能性を否定している。
 優良な製薬会社。裏で非合法の薬の実験がされているだなんて誰も疑う者などいない程に、いい噂しか聞かぬ会社だ。恐らく入念な計画をたて、徹底的な管理の元、その優良会社というハリボテを作り上げたのだろう。この組織のカモフラージュは完璧であった。あまりにも完璧すぎたからこそ、逆に不審に思い琴美達の組織も調査を始めたくらいだ。
 そんな組織を、ナイフをちらつかせただけで取り乱すようなあの男が作り上げたようにはどうにも思えない。それに、警備の者達に手応えがなかったのも気にかかる。一切の隙を見せず優良企業の仮面を被り続け人々を惑わしていた組織の終わりにしては、何もかもが呆気なさ過ぎた。それらの情報から導かれる結論は、一つだけだ。
「彼の上で、手を引いている者がいるはずですわ」
 今回の事件は、これで終わりではない。本元である黒幕を叩かない限り、非合法の実験は繰り返される。
「このナイフの切っ先を向けるべき相手は、まだ他にいるという事ですわね」
 まだ見ぬ敵へと想いを馳せる彼女の強い意志のこもった瞳を、星々達が照らす。手にある愛用のナイフに視線をやりながら、琴美は気合を入れるかのように一度大きく頷いてみせた。