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<東京怪談ノベル(シングル)>


呑まれる・4

 おかしい、とお持った時にはすでに遅かった。
 手脚が妙に伸びる感覚、自分自身とうまく合致しない自分を、無理やり着せられているような感覚。
「やめて……!」
 叫ぼうとしたが、その声すらもう人間のものではなかった。代わりに轟いたのは、ゴウ、という獣の咆哮。
 みなもが自分の手脚で立ち上がろうとして伸ばしたのは、妙にズルズルと長くて細い、言うなれば触手に近しい肌色のものだった。胴も足もずるりずるりと伸びていく。気がつけば部屋いっぱいに、自分の身体が広がっていた。
「うそ……なにこれ……」
 表情が引きつるが、それが伝わったかどうかは定かで無い。
「みなも!」
 名前を呼ばれて下を見ると、奇妙に歪んだ男性の顔が見えた。それで自分の顔に手を伸ばすと、目玉の個数が増えている。顔の中心に、ひし形を描くように八つ。奇妙な凹凸がある。おそらくこれが目なのだろう。
「イヤ……いやぁあ!」
 みなもは泣き崩れて首を振った。だがそれも、外見には伝わっていないだろう。
「みなもさん」
 現れた青年だけが、ひとり冷静だった。
「まずは落ち着きましょう。それは拒絶反応の一種です。――あなたの髪だと思ったのですが、別の人のものだったようですね」
「てめぇ、娘一人こんな格好にしておいてよくも……」
 睨みつける草間を、青年は意に介さず、いっそ冷酷といえるほどの冷静さでみなもを見据える。
「今度はきちんと、あなたの髪の毛を頂きたい――いえ、異形の姿になっていても問題ありません。あなたの皮膚、あるいは爪、髪……体の一部で、もう一度皮を作り直し、かぶせ直します」
「ちょっと待て、じゃあこれから先もずっと、オットセイは着たままになるのか」
「致し方ありません。――ですが実生活に問題はないはずですよ」
「ハズ?」
「我々の間でもこのようなケースは珍しい。対処が万全でなかった場合は、又こちらまで連絡を」
 そう言って青年は、草間に名刺のようなものを差し出す。
 悠長な男にいらだちを覚えたのか、草間はらしくない舌打ちを一つ漏らした。
「みなも、こっちの言ってることが分かるか?」
 尋ねられ、みなもは首を縦に振る。
「少しかがんで、頭をこっちに寄せてくれ。髪の毛を一本貰いたい」
 言われ、みなもはなんとか身をかがめる。大きすぎる身体は、ひどく厄介だった。少し動くだけで机に腕があたり、乗っていたものがはじけ飛ぶ。
 草間さんに当たったら大事だな、と考え、みなもは自分の身体を極力動かさないよう務めた。
 草間がこちらに向かって手を伸ばす。若干の恐怖感、続く少しの痛み。髪が一本抜かれた気配がある。草間はみなもの紙を青年に渡し、青年はそれを奇妙な袋に包んで手元においた。
「もう少ししたら、皮が生成されます。それまで少々お待ちください」
 みなもはもう一度自分の手脚を見つめた。少女だった頃の面影はない。イカやタコのように、骨を持たない脚。それが、意思に従ったり、あるいは反したりしながらグネグネと動いている。
「……どうして」
 こんなことに。
 ただの不幸としか言いようのない状況に、みなもは溜息をこぼした。

―――

 やがて、皮が生成された。べろりと広げられた肌色の薄いそれを、みなもは若干の警戒心を交えながら眺める。
「これを、着せるのか?」
 草間はいぶかしがるように皮とみなもを見つめた。
「すんなり収まるはずですよ」
 そう言いながら、青年はみなもの脚に皮をかぶせてゆく。身体が縮むような、奇妙な感覚があった。皮の中へ全身飲み込まれていくような、自分が縮小していくようなおかしな感覚。
 ものの五分ほどで、その作業は終わった。
「……みなも」
 呼ばれて目を開けると、そこには草間が立っていた。先程までの歪んだ視界とは打って変わって、みなもの目はクリアに世界を映す。
「……くさま、さん」
 声は、確かに自分のものだった。
「あたし、ごめんなさい……ご迷惑、おかけして……」
「お前のせいじゃない」
 ぽん、と、草間の手が頭に載せられる。
「あんたもご苦労だったな」
 そういって草間は振り返ったが、既に男の姿はなかった。草間は少し息をこぼして、みなものほうを見遣る。
「災難だったな」
「……いえ、草間さんのほうこそ」
「俺は大したことない」
 ほら、立ち上がれ。と言われて、草間に手を引かれる。
「このあと、オットセイのショーだと。見て帰るか?」
 景気づけにアイスクリームぐらいおごってやるよ、と、草間は少し笑った。
「……はい!」
 みなもは立ち上がり、自分の手で、草間の腕をとらえる。
 随分長い間離れていたような錯覚があったせいか、自分の手足の感覚が、ひどく愛おしく思えた。