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甘い罠に落ちて
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そこは思ったよりも無機質な場所だった。
魔女の館というとお伽話に出てきそうな木造の家や煉瓦の家、またはゴシックアンティーク風の洋館を想像しがちだろう。だが、今ファルス・ティレイラがいる場所は、そのどれでもなかった。
むき出しのコンクリートとのバランスを考えて配置されたと思しき壁紙は、見事に調和がとれていて、恐らく名のあるデザイナーの手によるものなのだろう、モダンな建築物となっていた。
(ここが魔女の家っていわれても、ピンときませんね)
置かれている家具も室礼に合わせたものとなっており、おしゃれな芸能人の家だと言われれば、すぐに信じてしまいそうだ。
けれどもここは、紛れも無く魔女の住処なのである。その魔女に依頼され、ティレイラは屋敷の警護兼留守番としてここにいるのだった。
最近、魔女自身の不在時に人間以外の者が侵入を試みた形跡があるのだという。もちろん良からぬものが侵入しないように結界のようなものは張っているらしいが、今回も留守中に『それ』がくるかもしれない。だから留守番とはいえティレイラは気を抜けなかった。
(喉が、少し乾きましたね)
冷蔵庫の中のものは自由に飲み食いしていいし、キッチンも使っていい――そう言われていたので、ティレイラはキッチンに置かれている大きな冷蔵庫の前へと歩み寄った。
象牙色の肌をした冷蔵庫の扉を開ける。スパークリングミネラルウォーターの入った瓶のたくさん並ぶ中にグレープジュースのボトルを見つけ、それを取り出した。コップを探して食器棚に視線を動かしたその時。
――カツン――。
どこかで何かがぶつかるような音が聞こえた。風に煽られた何かが壁にぶつかったのかもしれない。少しばかりその場で動きを止めて聞き耳を立てたが、他に特異な音は聞こえなかった。だからティレイラは食器棚の上の方に入っていたガラスのコップを一つ拝借し、キッチンテーブルへと置いた。冷凍庫から氷を一つ取り出してコップに入れる。そしてそこにグレープジュースを注いだ。
半透明の紫色をした液体の中で、氷がくるりくるりと踊っている。コップを手にして軽く揺らせば、カラリコロリと綺麗な音がする。
(いただきます)
心のなかで告げてコップの縁に口をつけたその時。
――カツン――。
また、あの音だ。唇まで届きかけた液体をすんでで止めて、ティレイラは耳をそばだてる。
――カツン――カツン――。
先ほどとは違い、今度は、二度。
「誰か、いるのですか?」
コップを置き、窓辺に歩み寄り、小さな声で、問う。しかしいらえもなければ音を立てている存在も見つけられない。
――カツン――カツン――カツン――。
神経を逆なでするようなその音は、三度。ティレイラは目を閉じて耳を澄ます。
――ヒタ、ヒタ、ヒタ……。
何かが足音を殺すようにして歩いているような音が聞こえた。この部屋ではない、もっと別の――。
「――!」
ティレイラは弾かれたように部屋を出、物音のする方へと向かった。音を立ててしまい逃げられては元も子もないので、なるべく気配と足音を殺しながら。すると。
「……! 何をしてるの!」
「キヒヒヒヒッ」
廊下の先、ティレイラのいた部屋とはちょうど反対方向の廊下に怪しい姿があった。濃い緑色の肌をした、やせ細った子どものような姿――魔族だ。魔族は片手に何か抱きかかえている状態であるにもかかわらず、廊下の窓枠に軽々と飛び乗ってティレイラに嘲笑うような笑みを向けた。そしてひょい、と外へ。
「待ちなさい!」
ティレイラがそれを黙って見逃すはずはない。見逃すわけにはいかない。けれども待てと言われて魔族も待つはずはなく。
「ん、しょっ……」
魔族がしたように軽々とはいかないがティレイラも窓枠を乗り越えて外に出る。
「容赦しません!」
そして気合とともに背中に竜の翼を生やす。そしてそのまま地を蹴って飛んだ。一気に魔族との距離を詰めて捕まえる――つもりだったのだが。
「ふぁっ!?」
べしっ。魔族を追いかけて木々の間に飛び入ろうとしたところ、何かに阻まれてしまった。ティレイラを阻んだそれは網のようだが、簡単に目視できない。陽の光を受けてキラリと光る時にその存在が確認できるくらいだ。しかも厄介なことに、蜘蛛の仕掛ける網のように外そうとすればするほどべとりと身体に絡みつく。
「キーヒヒヒヒヒヒ」
見えぬ網と格闘するティレイラを見て、魔族が心底楽しそうに笑うのも癇に障る。
「負けないんだからっ!」
しかしティレイラだって掴まったままべそをかくなんてことはしない。手に喚び出した炎を使い、べたつく網を焼ききる!
顔や身体についた網はべとべとするが、網が彼女を固定していた部分は焼ききったことで自由を取り戻すことができた。それを見て慌てて逃げ出す魔族を、再び追いかける。しかし魔族は木々の茂った森のなかへと入っていき、ティレイラの翼は枝へと引っかかるようになってしまった。飛ぶのを諦めて走りながら、ティレイラは魔族を追う。すると、少し開けた場所へと出るようだった。
(あそこに出てしまえば、飛んで捕まえられます!)
気合と期待をもってティレイラは走る。あと少し――……しかし。
パンパンパンパンパンパンパンッ!!
開けた場所へ出られると思ったその時、何かが大量に弾ける音がした。そしてティレイラを襲ったのは、色とりどりの煙。爆竹のような煙玉のような罠が仕掛けられていたのだと気がついたのは、煙に視界を奪われ、コホコホと咳き込みながら目尻に涙をためた時。
「こんな煙っ!」
ティレイラは思い切り翼をはためかせた。枝にあたって翼が傷つくが、それにかまってはいられない。そうこうしているうちに魔族が逃げてしまうのだから。
視界がだいぶ戻ってきたところでティレイラは遠くにある魔族の背中を追いかけ始めた。
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その後も幾つかの罠に引っかかったティレイラだが、諦めなかった結果、潰れかけた廃屋へとたどり着いた。魔族が隠れ家にしているのだろう。逃げ道にいくつも罠を仕掛けていたことから、この魔族は追われることを覚悟していたのかもしれない。仕掛けた大量の罠をすべて踏破して追いかけて来る者などいないと高をくくっていたのだろう。だが現実に、ティレイラは隠れ家の前にいる。
「そっと……」
傷んだ木の扉が音を立てぬようにと祈りながら開ける。鍵はかかっていなかった。気配を探りつつ、一番近くの部屋を覗く。
「わぁ……」
思わず感嘆の声が漏れた。その部屋には色々なものが並べられれていたのだ。魔術に使うようなものから、ただ単に綺麗なもの、使い道のわからないようなガラクタまで。恐らく盗品であろうことは疑う予知もないが、それでもティレイラの好奇心がむずむずと動いてしまうほどの品揃えで。
だから、気が付かなかった。背後より忍び寄る、小さな気配に。
「エイッ!!」
「!?」
気づいた時にはもう、ティレイラの周りには琥珀色をした液状の物体が浮かんでいて。あまぁい匂いを漂わせるそれは、くるりくるりとティレイラに絡みついていく。
「エイ、モット!」
かろうじて動く首を動かしてみると、そこでは先程の魔族が杖を振っていた。魔族が杖を振るたび、絡みつきがひどくなる。
「なにこれ!? この匂い、チョコレート!?」
そう、ティレイラの身体を覆っていくのは魔法のチョコレート。魔族の命により、尻尾や翼も丁寧にコーティングしていく。
「んっ……あっ、なん、か……」
鼻孔をくすぐり脳内を支配していく甘い香り。肌を這って行くとろっとしたチョコレートの感触。チョコレートよりも甘い声が、ティレイラの意志とは関係なく、小さな唇から漏れる。
「ぁん……んっ……ふぅっ……」
チョコレートの呪縛から逃れようとティレイラは身体を動かすが、甘い香りのせいか上手く力が入らない。頭のなかに靄がかかったような、ほわりとした間隔。動けば動くほど、チョコレートがとろとろと肌を這う。
(……気持ちいい……)
認めまいとしていた己の本心を認めてしまった頃には、ティレイラの意識はもう夢の中。そして身体を覆っていたチョコたちは、ティレイラを核としてチョコボールのように固まってしまっていた。
「キヒヒヒ……アトハシアゲダケ」
魔族は手にした杖でコツコツとチョコボールを叩く。するとほろほろとチョコが崩れて、出てきたのは翼。
コツコツコツ――尻尾があらわれた。
コツコツコツ――可愛らしいお尻があらわれた。
コツコツコツ――豊かな曲線を描く胸があらわれた。
魔族がコツコツと表面を叩くと、余分なチョコが落ちて、出てきたのはチョコレートコーティングされたティレイラの像。
「カワイイ、トテモオイシソウ。キャハハハハハ!!」
魔族はニンマリと笑って上機嫌だ。とてもじゃないがティレイラを解放してくれそうにはない。
だが今のティレイラは、甘い夢の中。自分がチョコの像にされて笑われ、からかわれているなど思いもしないのであった。
【了】
■ 登場人物(この物語に登場した人物の一覧) ■
【3733/ファルス・ティレイラ様/女性/15歳/配達屋さん(なんでも屋さん)】
■ ライター通信 ■
この度はご依頼ありがとうございました。
お届けが遅くなってしまい、申し訳ありませんでした。
この後ティレイラ様はどうなったのでしょうか……無事におうちに帰ることができたのか、気になります。
少しでもご希望に沿うものになっていたらと願うばかりです。
この度は書かせていただき、ありがとうございました。
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