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<PCシチュエーションノベル(ツイン)>


鮮血の邂逅


 海外へ出て、1つわかった事がある。日本にいたのでは絶対、わからなかった事だ。
「日本ってさ……いろいろ言われるけど」
 熊のような手が、掴みかかって来る。掴まれる前に弦也は踏み込み、拳を叩き込んだ。
 ボクシングで習った、ダッキングの技術。パンチは、日本武道で言う「縦拳」に近いものになった。親指側が上に向いた拳を、一直線に打ち込む攻撃。
 それが、男の顔面を直撃した。
 ぐしゃり、と凄惨な手応えが伝わって来る。握り締めながら、工藤弦也は言った。
「冗談抜きで良い国だと思うよ。いや本当に」
 熊のような男が、沈むように倒れてゆく。凶悪な髭面が、ほとんど原形をとどめていない。
 弦也よりも頭1つ分は大柄で、体重は倍近くあるだろう。
 その巨体が、小柄な日本人の足元に沈む様を、他の男たちが呆然と見つめている。
 身なりも体格も貧相な日本人の若造が、捻り潰される。そんな光景を予想・期待していたのだろうが。
「……お前らみたいな連中、いないからな」
 倒れた男の屍から、弦也は拳銃を奪い取った。
 その事態に、他の男たちがようやく気付いたようだ。
「てめえ……!」
 全員、一斉に小銃を構える。
 その時には、弦也は引き金を引いていた。小刻みに銃口を揺らしながら、何度も。
 小銃をぶっ放そうとしていた男たちが、ことごとく倒れてゆく。
 その人数よりも、引き金を引いた回数がずっと多い。何発も外してしまった。
「……性に合わないな、やっぱり」
 弦也は、拳銃を放り捨てた。
 ボクシングや日本武道、だけではない。日本にいた時は、一通り学んだ。柔道、剣道、空手、合気、レスリング。
 こうして海外を歩き回るようになってからは、銃の撃ち方も一応は覚えた。
 今回のように武装した多人数が相手であれば、いくら性に合わなくとも使わざるを得ない。
 武装勢力。
 これが存在しない日本という国の希少価値を、弦也はしみじみと思い知らされているところである。
 ここルーマニアという国では、何年も前に革命が起こったらしい。
 その革命が上手くいったわけではない事は、この男たちのような輩が我が物顔で動き回っているところを見ても明らかだ。
 武装勢力。
 共産主義の素晴らしさ、らしきものを声高に唱えながら、しかしやっている事は弱者に対する暴虐である。
 姉に暴力を振るっていた男たちと、大して違いはしない。
 そう思いながら弦也は、ちらりと視線を動かした。
 暴虐の餌食となりかけていた者たちが、木陰で身を寄せ合い、震えている。
 幼い男の子と、いくらか年上の女の子。姉弟、であるようだ。
 姉が、弟を守るため、男たちに身を捧げようとしていた。
 それを見ただけで、弦也の脳裏では、あの記憶が鮮明に蘇ってきたのだ。
 思い出しただけで、あの体質が覚醒してしまう。
 制限を解除された身体能力……いわゆる「火事場の馬鹿力」を、己の意思で発揮してしまう体質。
 当然、代償は必要となる。あの男を叩きのめした時も、そうだった。
 あの男は入院したが、弦也自身も1週間ほど、まともに身体を動かす事が出来なかった。姉が、下の世話までしてくれた。
 だから弦也は、ひたすらに身体を鍛えた。様々な格闘技を学んだ。
 制限を失った力を使っても壊れない肉体を、作るために。
 力を、出来る限り自身への負荷なく、相手のみに叩き込む。その技術を身につけるために。
 武装勢力という連中は、その技術を試す実験台として、最適ではあった。害虫駆除と同じような感覚で、いくらでも狩る事が出来る。
 いくら狩っても、まさしく害虫の如く、どこからか湧いて出て来る。この国では果たして軍がまともに機能しているのか、と思えるほどにだ。
 地面に投げ出してあった携帯無線機を、弦也は担ぎ直した。ショルダーバッグに、辛うじて入る大きさだ。
 型はいくらか古いが、若干の改造を施してある。海外で1人で行動するには、まず情報が生命線となるからだ。
 昨日、これでルーマニア国軍の通信を傍受した。
 前大統領派の武装勢力が、とある軍高官の家族を誘拐したという。軍の部隊が、救出のため動いてはいるらしい。
 弦也は姉弟に背を向け、歩き出した。行く手に広がる、森林地帯へと向かってだ。
「そっちへ……行っては、駄目……」
 怯える弟を抱き締めながら、幼い姉が、どうにか聞き取れる声を投げてくる。
「悪魔が、いる……森の中に、悪魔のお城が……」
 耳を貸さず、弦也は足を速めた。
 姉と弟、などというものを見ていたくはなかった。


 茂みの中に、死体が転がっている。
 迷彩の軍服を着た、恐らくは武装勢力ではなくルーマニア国軍の兵士。
 こんな森の中なら、埋葬の必要もないだろう。獣や虫が片付けてくれる。
 弦也がそんな事を思った瞬間、風が来た。冷たい風にも似た、攻撃の気配だった。
 何か考える前に、弦也は身を反らせながら後退していた。刃の閃光が、眼前を通過する。
 ナイフだった。
 兵士の死体が、いつの間にか起き上がってナイフを構えている。
 いや、まだ辛うじて死体ではないようだ。
 弦也よりも、いくつか若い。少年兵である。まだ高校生くらいの年齢ではないのか。
 軍服と同じく迷彩模様を顔に塗りたくってはいるが、いくらか幼げながら整った顔立ちは隠せていない。苦痛の形相と、生気に乏しい顔色もだ。
 両眼だけが、最後の力を振り絞るかの如く輝いている。獰猛に燃え盛る、エメラルドグリーンの眼光。
 弦也は、とりあえず会話を試みた。
「ええと……この国って徴兵制、だったかな?」
「…………旅行者か」
 徴兵されたのかどうか定かではない少年兵が、言った。
「見ての通り、この国は……観光には、適していない……早急に立ち去ってもらいたいな」
「そうしたいのは山々だけど、怪我人を見つけちゃったからな。放っておくのは後味が悪い」
 1歩、弦也は近付いた。
 少年兵が、よろめくように後退りをする。ナイフを構えたままだ。
「近寄るな……!」
「ちょっと訊きたい事があるんだ。悪いけど、軍の通信を傍受させてもらった。治安状態を知りたいからね」
 ナイフが来たら、蹴りで受けなければならない。手で受け流そうとして、うっかり手首でも切られたら終わりである。
「軍のお偉いさんの家族が、さらわれたんだって? 救出作戦も、どうやら失敗したらしいじゃないか。武装勢力に撃退されて退却中……いや、君は逃げ遅れたのかな」
 少年兵は、答えない。
 ナイフを握ったまま木にもたれ、意識を失っていた。
 放っておけば、本当に死体になってしまうだろう。
 この少年が軍人ではなく武装勢力の類であれば、放っておかずにとどめを刺しているところだ、と弦也は思った。


 父に、母に、弟に、もしかしたら一瞬だけ会えたのかも知れない。
 うっすらと、ヴィルヘルム・ハスロは目を覚ました。
 自分が、どうやら生きている。それが少しずつ、わかってくる。
 森の中だった。
 倒れている、と言うより寝かされている。
 すぐ近くでは男が1人、岩の上に腰を下ろして携帯無線機を弄っていた。
「何だ、もう意識が戻ったのか……見た目より頑丈だね、君は」
 東洋人だった。ヴィルよりも3つ4つ年上と思われる、若い男。
「さすが軍人さんは、僕なんかとは鍛え方が違うなあ」
 微笑んでいる。
 これほど優しく、これほど柔和で友好的で、これほど油断のならない笑顔を、ヴィルは見た事がなかった。
「また君たち軍の通信を盗み聞きさせてもらった。誘拐犯の連中、どうやらアジトを変えたみたいだね」
 軍の通信を、盗聴されている。この男を生かしておくわけにはいかない。
 ヴィルは跳ね起き、そして気付いた。
 自分の身体に、包帯が巻かれている。
「手当てを……して、くれたのか?」
「応急処置だよ。軍へ戻って、ちゃんとした治療を受けた方がいい……と言いたいところだけど」
 東洋人の青年が、ちらりと森の奥を見やった。
「連中の新しいアジト……この先にあるんだろう? 君は逃げ遅れたわけじゃなく、1人で戦おうとしている」
「……貴方には、関係のない事だ」
「そうだね、僕には関係ない」
 無線機の入ったショルダーバッグを担ぎ直しながら、男は立ち上がった。
「それはそれとして、さあ行こうか」
「……何を言っている」
 ヴィルは睨んだ。
 緑色の瞳が、若い東洋人に向かって険しい光を放つ。
「早く立ち去れ。手当ての礼だ、殺さずにおいてやる……私の気が変わる前にアジアへ帰れ、中国人。それとも韓国人か」
「日本人だよ」
 油断のならぬ笑顔の下で、男が牙を剥いた、とヴィルは感じた。
「もちろん僕も早く帰りたい。平和な祖国のありがたみってものを、痛感しているところでね……だから、さっさと済ませよう」


 あまり豊かな国ではないためか、学術調査などは行われていないようだ。
 とにかく、遺跡である。
 ルーマニア建国以前、どころかローマ帝国の支配がこの地に及ぶよりも昔、恐らくは神殿として建てられたものであろう。
 鬱蒼と茂る森林地帯の奥、どれほどの規模で広がっているのか、一見しただけではわからない。
 古びた、石造りの宗教施設。
 発見まで、いくらか時間がかかってしまった。もう夜である。
 満月の光が煌々と降り注ぐ、太古の神殿。
 その中枢部、石の大広間の全域に、武装した男たちの屍がぶちまけられている。
 とあるルーマニア軍高官の家族を誘拐した、武装勢力。この遺跡に立てこもり、だが弦也と少年兵が到着した時には、すでにこのような様を晒していた。
「化け物……このバケモノがぁあああああああ!」
 叫びながら小銃をぶっ放していた男が、砕け散った。
 超高速で宙を泳ぐ何かに、打ち据えられていた。
 幾本もの鞭、いや触手。
 そんなものたちを全身から生やした、何だかよくわからぬ姿をした巨大な生き物が、大広間の中央に鎮座している。無数の触手を、鞭の如く高速躍動させている。
 弦也は左右それぞれの手で1本ずつナイフを握り、構え、一閃させた。
 とてつもなく重い手応えが、帰って来た。
 高速で襲い来る触手たちが、弦也の斬撃にことごとく弾き返されて宙にうねり、即座にまた襲いかかって来る。
 軍用ナイフでも切断出来ない触手。むしろナイフの方が、ボロボロに刃こぼれを起こしていた。
「貴方は、日本の……軍関係者、なのか?」
 弦也の後ろで少年兵が、弾を撃ち尽くした小銃にすがりついて座り込み、苦しげに呻いている。
「かなりの戦闘訓練を受けているようだが……貴方ほどの手練、旧ソ連軍の残党にもいない」
「ちょっとした特異体質でね。それを活かすために、空手やら剣道やら色々やったよ」
 ローマ帝国以前の先住民族が、神として崇めていた存在……なのであろう怪物が、なおも執拗に触手を叩き付けてくる。
 鉄屑も同然のナイフ2本で防御し弾き返しながら、弦也も呻いた。
「ナイフってやつは意外に、使い勝手が良くないな。剣道の応用でいけると思ったんだけど……ところで君、傷口が開いちゃったんなら退却した方が良くはないかな」
 手負いの少年兵に、弦也は声をかけた。
「何しろ応急処置しか済ませていない。逃げるのは別に、恥ずかしい事でも何でも」
「……逃げるのならば、最初から来たりはしない」
 弦也の背後で、少年兵がゆらりと立ち上がった。
「力を貯めるのに、時間がかかってしまった……その時間を稼いでくれた事、感謝する」
 立ち上がった身体が、空を飛ぶように跳躍していた。負傷兵の動きではない、と弦也は思った。
「君は……」
「今夜は、満月だ……!」
 崩れかけた壁から射し込む月明かりの中、少年兵は微笑んだようである。
 獣が牙を剥くような微笑。泣き顔、にも見えてしまう笑顔。
 月光に後押しされたかの如く、少年兵は急降下してゆく。
 それは着地と言うより墜落、あるいは空中から地上への突進であった。
 触手が全て、ちぎれた。
 それらの発生源であった怪物の巨体が、ズタズタに砕け散った。粉砕に等しい微塵切りである。
 着地した少年兵が、風をまといながら佇んでいた。
 空気が、彼の周囲で渦を巻いている。
 それは、真空状態を作り出す旋風であった。大規模なカマイタチ現象が、巨大な怪物を切り刻んだのだ。
 勝ち誇った様子もなく、少年兵は言う。
「……私も、特異体質だ」
「そうみたいだね……何にしても、お見事」
 旅に出て良かった、と弦也は思った。
 わけのわからない体質を覚醒させてしまった人間が、自分1人だけではないと知る事が出来た。
 それはともかく、人質である。
 大広間の片隅で、幼い男の子と、その母親らしき女性が、抱き合って怯え震えている。
 誘拐された、軍高官の家族。
 もう大丈夫ですよ、と言葉をかける事もなく、少年兵がそちらを見つめている。
 睨んでいる。
 緑色の瞳が、餓えた獣の眼光を漲らせていた。
 非力な母子を、捕食の対象としてしか見る事が出来ない両眼。
「うっ…………ぐ…………ッッ!」
 少年兵が、牙を食いしばっている。
 苦しんでいる、のであろうか。何に苦しんでいるのかは、わからない。
 とにかく救助対象である母子から、獣の目を逸らさせてやる必要はありそうだ。
「君……」
 弦也は声をかけた。
 少年兵が牙を剥いたまま、ギロリと振り向いてくる。
 その顔面に、弦也は拳を叩き込んだ。この少年なら、思いきり殴っても壊れる事はなさそうだ。
「貴様……何をするかあああああッ!」
 怒号と共に、少年兵が食いついてくる。もはや人間の歯ではなく、獣の牙であった。
 それが、弦也の左肩に突き刺さった。
 鮮血が噴き上がり、少年兵の顔面を汚した。迷彩模様に、返り血が混ざった。
「そうか……力を使うと、血が欲しくなるのか」
 食らい付いてきた少年兵の身体を、弦也はそっと抱き締めていた。
 抱き締めた身体が、震えている。嗚咽の震えだった。
「僕は、こう見えて血の気が多い方でね……いいさ、いくらでも吸うといい」
「……………………!」
 迷彩と血と涙で、少年兵の顔はグシャグシャに汚れ乱れた。
 弦也の肩に食いついたまま、しかし溢れ出す鮮血を啜りもせず、彼は無言で泣きじゃくっている。
 ただ、抱き締める。
 弦也がしてやれる事など、他にはなかった。