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硝子の華
シリューナ・リュクテイアは、知り合いのいる店の扉をくぐった。ガラス細工を展示するのだという女主人から依頼された、魔法の液体を精製し終えたからだ。
シリューナが店内に入ると、女主人が声をかけてきた。
「これ、依頼の品よ」
シリューナが依頼品の入った袋を手渡すと、女主人は礼を言って対価を払った。
「魔法ガラス細工、だったかしら」
「そう。幸運をもたらす魔法ガラス細工。展示とレンタルをするのよ」
「忙しそうね」
「ええ、でもお手伝いをしてくれているから」
女主人はそう言って、ちらり、と店の奥を見る。そこには、シリューナの良く知った顔である、ファルス・ティレイラだ。
ティレイラは、魔法道具を扱っていた。シャボン玉のような球体の魔法ガラス膜に、そっと花を入れている。入れられた花は、徐々に見えなくなって膜が萎んでいく。すると、花の形のガラスが出来上がるのだ。
花の形は様々だ。完成したガラス細工の花たちは、一所に集められるときらきらと光る花束のようだ。
「頑張っているようね」
シリューナが言うと、女主人は「そうね」と言って微笑んだ。
「ああやって手伝ってくれるから、私も他の準備に手を回せるの」
「それは良かったわ。ティレの勉強にもなるし、役に立てるのなら言うことなしね」
二人がくすくすと談笑していると、ティレイラの手がぴたりと止まった。
「あれ、いま」
ぽつりと呟く。シリューナの声が聞こえたのだ。満面の笑みで、勢いよく振り返ろうとした瞬間だった。
――カチ。
「え?」
ティレイラは機械音に気付き、そちらを見る。すると、ガラス細工を作る魔法道具のスイッチが入ってしまっていたのだ。しかも加減を間違えてしまっているため、ガラス膜はティレイラの足元から急激に膨らんでいく。
「あ、やだ!」
ティレイラを包み込むように膨らんでいくガラス膜に、ティレイラは慌てる。無意識に翼まで生やし、ばたばたと羽ばたく。勢いで出ようと試みたのだ。
だが、膜が完成する方が早く、出ることはかなわない。
「やだやだ!」
膜に入れた花の末路を知るティレイラは、ぞっとする。膜に入れた花は、膜が萎み、ガラス細工となるのだ。
ティレイラは必死になって膜から出ようと試みる。翼を羽ばたかせても駄目、叩いても駄目、蹴っても駄目。完成してしまった膜は、ティレイラの指一本たりとも外に出してはくれない。
――ピシッ。
「ひゃっ」
張り付くような感覚にティレイラは思わず声を上げる。膜に一番近い場所にあった翼や尻尾の先が、薄膜にパックされている感覚があった。それは恐怖よりも先に、奇妙な心地よさがあった。
「んっ……あっ」
じわじわと迫りくるような、不思議な気持ちよさ。足先から、優しくなでられ、強く抱きしめられるかのような。
「やっ……あっ……もう」
足を這い、腰を伝う。
ずっと続いてほしいような、すぐに終わらせてほしいような、矛盾した思いが交錯する。
「ああ、もう……んっ……私……!」
ついに、心地良い感覚は胸辺りまで到達する。
そこでティレイラは、はっと気づく。快感に身と心を委ねている場合ではなかった。
何せ、もう、力を入れても動かせる感覚がなくなってしまっているのだから。
翼は羽ばたかない。尻尾はぴくりとも動かない。足は曲がらない。胸から下の感覚はない。
「いやっ……お姉さま!」
ティレイラがシリューナに向けて手を伸ばす。すると、女主人と談笑していたシリューナが、ゆっくりとこちらを振り返った。
「まあ、ティレ」
伸ばした手はもう動かない。首から下は動かない。動かせるのは口。
「お姉さ……」
――カキン。
ティレの叫び声は最後まで放たれることは無く、全身がガラス細工と化してしまった。
口が動かなくなってからは、あっという間だった。声が出せなくなるのと同時に、鼻も耳も目も、頭の先まで、一気に動かなくなってしまったのだ。
シリューナと女主人は、ぱたぱたとティレイラの元に駆け寄る。そこにあるのは、シリューナのいた方向に向かって手を伸ばし、叫ぶような表情をした、美しい竜少女のガラス細工が出来上がっていた。
「これは、素晴らしいわね」
シリューナはティレイラの尻尾を、つう、となぞりながら微笑む。躍動感のあるポーズに、伸ばされた翼、ピンとそそり立つ尻尾。助けを求めるような表情だが、どこか艶めいたた様子でもあるティレイラの顔。
どれをとっても、シリューナの感嘆をもらすにふさわしい。
「いい感触ね。ガラスの美しさと滑らかさが際立って」
「尻尾もいいけれど、目いっぱい開かれた翼もすてきね」
シリューナと女主人は、様々な角度からティレイラを観察し、触り、堪能する。どの角度から見てもティレイラのガラス細工は美しく、またかわいらしく、素晴らしい。
「これは、いつまで効果があるのかしら?」
シリューナが尋ねると、女主人は微笑んで「さあ、いつかしらね」と答える。それは、すぐに解けるものではない、と言っているのと同じだ。
「あなたの展示品に、彩を添えることになるわね」
「そうね。本当に、体を張ったお手伝いをしてくれたわ」
「あら、本当ね。ティレ、あなたのお手伝い、素晴らしいわ」
ふふ、とシリューナはティレイラの頬を撫でながら笑う。シリューナに向かって叫ぶような表情が、たまらなくかわいらしい。
「このまま展示するんでしょう?」
シリューナの問いに、女主人はにっこりと頷く。
「もちろんよ。もうすぐ展示の時間だから、目立つところに置かないとね」
「幸運をもたらすガラス細工、ですものね」
シリューナはそういうと、ティレイラの作っていた花のガラス細工をティレイラの傍に飾る。まるで花畑にいるティレイラを、そのままガラス細工としてしまったかのようだ。
「本当に素敵よ、ティレ。かわいいわ」
今一度、全身をゆっくりと舐めるように眺めたのち、シリューナは店を後にした。
もうすぐ、店は展示を開始する。訪れるたくさんの客たちに、ガラス細工となってしまったティレイラは見られるのだ。
「本当に、幸運ね」
ふふ、とシリューナは呟き微笑んだ。
後にした店から「うわ、すごい」という感嘆の声が聞こえてくるのを、耳にするのだった。
<硝子となった華を思い・了>
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