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<東京怪談ノベル(シングル)>


切支丹天女(3)


 人類は、大河のほとりに文明を築いてきた。
 それと同じ事が言えるのかどうかはともかく、河川敷に大勢の人間が住み着いている。
 テントを張っている者もいる。廃材を巧みに使って小屋を建てた者もいる。どこからか電気を引いてきている猛者もいる。無論、犯罪行為だ。
 そこまでの覚悟はなく、ダンボールなどを敷いて日々を過ごしている者が大半なのだが、その中に彼はいた。
 小太りな、初老の男。
 着ている衣服はボロボロで、もはや彼自身が巨大なボロ布の塊であるかのようだ。
 生きる気力を使い果たした様子で座り込み、ぼんやりと川を見つめている。
 その目を、彼はふと左右に向けた。見回した。
 いつの間にか、取り囲まれている。
「捜したぞ……我々に、このような場所にまで足を運ばせおって」
 3人。日本語を話してはいるが、外国人である。
 純白の司祭衣に身を包んだ、白人の男が3名。
「恥も外聞もなく逃げ回ってくれたものだな、このような場所……貴様のような蛆虫には、ふさわしいと言えるが」
「もっと、ふさわしい場所へと送ってやろう」
 1人が、ボロ布のような男の胸ぐらを掴んだ。
「地獄へ……な」
「ま、待て……待ってくれ……」
 凄まじい力で胸ぐらを掴まれたまま、彼は辛うじて声を発した。
「わかった、私を殺したいなら殺せば良い……だ、だが君たちのやり方は、やはり間違っている……」
「東洋の黄色い豚が、我々に対し物を言うなど! 身の程をわきまえよ!」
 司祭衣をまとう白人が、しかし聖職者とは思えぬ罵声を吐きながら、男の腹に膝を叩き込む。
 小太りの身体を丸めて痙攣させ、のたうち回る男に、白人の1人が拳銃を向けた。
「貴様ら日本人はな、言葉を話す猿でしかないのだ。大人しく我らに飼われておれば良いものを……」
 その拳銃が、火を噴く前にグシャリと砕け散った。横合いから、叩き壊されていた。
 拳銃を握る右手もろとも、である。
 振り下ろされたのは棒、と言うより杖。先端部は、エデンを守るケルビムの像。
 形良くしなやかな左右の五指が、その杖をくるりと操った。
「この国に拳銃を持ち込むとは……一体どのような伝手をお使いになったのかしら」
 砕けた右手を押さえ、悲鳴を上げていた白人の身体が次の瞬間、へし曲がった。
 その腹部に、ケルビムの杖が叩き込まれていた。
 うずくまり倒れた白人の頭を、優美なロングブーツが踏みつける。
 黒のプリーツスカートを押しのけてムッチリと現れた太股には、ニーソックスとガーターベルトが巻きついていた。
 そのガーターベルトには、投擲用のナイフが何本か装着されている。
 他2名の白人が驚愕・狼狽した。
「な……何だ、貴様は……」
「お願い。どうか質問に、お答えになって?」
 端麗な唇が、優しく言葉を紡ぐ。
 整った口元、美しく尖った顎の形。完璧な美貌と言っていい。
 まさしく神の造形だ、と思いながら男は、小太りの身体をよろよろと起き上がらせた。
 胸に、どうしても目が行ってしまう。
 黒い衣服に刺繍された、天使の姿。それが、豊麗な胸の膨らみによって荒々しく歪んでいる。
「まさかとは思いますけれど……『教会』の伝手、ですかしら」
「当然だ。我ら『教会』の力をもってすれば容易い事よ。小賢しい猿しか住まぬ極東の島国……いずれ、あらゆる兵器を持ち込んで焼き尽くしてくれる」
 白人の1人が、司祭衣の内側から拳銃を抜いた。
「貴様か……武装審問官・白鳥瑞科。一介の戦闘シスターに過ぎぬ身でありながら、僅かばかりの戦闘実績を鼻にかけて驕慢この上なく振る舞っているらしいな? 我ら『教会』本部の意向にまで逆らう言動が目立つという。許しては、おけんなあ」
「……噂は、本当でしたのね」
 白鳥瑞科は溜息をつき、かぶりを振り、艶やかな茶色の髪を揺らした。
「『教会』で、ちょっとした人事異動が行われたという……私ども日本支部を嫌っておられる方々が、上層部を占めてしまわれたとか」
「これは『教会』全体の意思ではないよ、シスター瑞科」
 白人の聖職者たちに殺されかけていた男が、言った。
「一部の者たちの暴走だ。あまり事を荒立てては……それこそ、その者たちの思う壺だぞ。落ち着きたまえ」
「事を荒立てていらっしゃるのは、こちらの方々ですわ」
 ボロ布の塊のような男を、瑞科がじっと見つめた。
 青い瞳が、慈愛に満ち、だがそれを上回る怒りを燃やしている。
「神父様を……このような……」
「……私は、もう神父ではないよ。だが言っておこう。九州での任務、ご苦労だった」
 日本支部には、本部から正式に任命された新たな神父が赴任してきた。
 それまで神父であった彼は、一方的な解任処分を受けただけでなく、こうして命まで狙われている。
 2人の白人聖職者が、瑞科に拳銃を向けながら喚いた。
「アジアの猿ども豚どもが!」
「我ら本部を差し置いて、『教会』内で身の程知らずな台頭を企てようなどと!」
 瑞科に踏みつけられている1人は、苦しそうな気持ち良さそうな表情を硬直させたまま、すでに絶命していた。こめかみの辺りに、ロングブーツの鋭利な踵が突き刺さっている。
「私……台頭を企ててなど、おりませんわ。ただお仕事をしていただけ。貴方がたよりもずっと、ね」
 2つの銃口を見つめながら、瑞科はただ苦笑した。
「日本人の女が、欧米人の殿方よりも良い仕事をする。それがお気に召さないのでしょう? ふふっ……わかりやすい方々ですこと」
「黄色の牝猿が……!」
 白人聖職者2人が、引き金を引いた。いや、引けずにいる。
 拳銃を持つ、その手が痙攣している。まるで感電でもしているかのように。
 両名の前腕に、ナイフが突き刺さっていた。
 投擲用の小型ナイフ。その刃が、パリパリと電光を帯びている。
 数日前まで神父であった小太りの男は、思わず瑞科の太股に視線を向けた。
 ガーターベルトに収められていたナイフが2本、いつの間にか消え失せている。
「せっかく拳銃をお持ちですのに……いつまでも引き金を引かずに、つまらないお喋りをなさっているから」
 瑞科が艶やかに嘲笑い、軽く杖を掲げながら念じた。
「主よ……貴方の下僕が、貴方の下僕を裁きます。僭越と傲慢の罪、どうかお許しを」
 ナイフにまとわりついている電光が、轟音を立てて膨張する。
 それは雷鳴だった。
 落雷にも等しい電撃が、2人の白人聖職者を灼き砕く。
「事を荒立てては、相手の思う壺……神父様は、そうおっしゃいました」
 優美な嘲笑を保ったまま、瑞科は言った。
「願ってもない事。本部の方々、ここまで事を荒立てて下さって……私、遠慮なく反撃出来ますわ。まさしく私の思う壺、でしてよ」


 あの無能な神父の下で、地味な仕事を黙々と愚直にこなしてきた。
 そろそろ報われても良いだろう、と思っていたところで行われたのが、この度の人事である。
 あの神父は『教会』日本支部長の地位を追われ、私は新たな神父を直属の上司として仰ぐ事となった。
「君の協力に感謝する。まあ顔を上げたまえ」
 前任者よりもいくらか若い、堂々たる風貌の白人男性である。
 同じく白色人種の男が4人、新任の神父を護衛する形に佇んでいる。ちっぽけな日本人である私を威圧・睥睨しながらだ。
 神父と同じく4人とも、純白の司祭衣をまとってはいるが、凶悪なまでの筋肉の隆起をそんなもので隠せはしない。
 武装審問官である。あの白鳥瑞科と、少なくとも地位は同格の戦闘者たち。
 そんな4名に護衛されたまま、神父は言った。
「日本支部が……いや前任の神父が秘匿していた様々な資料を、快く開示してくれてありがとう。物分かりの良い部下を持つ事になって、私は嬉しい」
「はっ……恐悦至極で」
 顔を上げて良いとは言われたが、私は床に平伏したままだ。
 前任の神父が秘匿していた資料とは、主に日本支部の……と言うより、ある武装審問官個人の戦闘データである。
「圧巻としか言いようがないな。日本支部の実績は、本当に凄まじい……大半が、あのシスター白鳥瑞科によるものだ。彼女の働きは実に素晴らしいが最近、それを鼻にかけた行いが目立つようだね」
「……さながら女帝の如く、振舞っております」
 私が言うと、男の武装審問官4名のうち1人が、横柄極まる声を発した。
「ふん、たかがシスター1人の思い上がりも止められんとはな。やはり貴様ら日本人の男どもは、非力な猿よ」
 他3人も、口々に言う。
「我らが来た以上、黄色の牝猿に好き勝手はさせん。本物の武装審問官がいかなるものか、極東の未開民族に教えてやるとしよう」
「『教会』は我ら優良民族によってのみ管理されるべきものなのだ」
「劣等民族に、あまり大きな顔をされてはな……猿相手とは言え、我らもあまり寛大にはなれんのだよ」
「……そこの者、日本人であろう? 貴様に対しても言っておるのだぞ。跪いて聞かぬか」
 壁にもたれて腕組みをしている1人の男に、武装審問官が声を投げる。
 神父が、私に問いかけた。
「私も、先程から気になっていたのだが……彼は何者なのかね?」
「……日本支部の、下級戦闘員でございます」
 嘘である。この男は、言わば用心棒だ。傭兵と言っても良い。
 正直この武装審問官4人で、あの白鳥瑞科をどうにか出来るとはとても思えないから、私が個人的に雇ったのだ。
 異形の鎧武者。一言で表現すれば、そうなる。
 全身を覆う甲冑は、強固な筋肉の表面が外骨格化したかのようでもある。
 その男が、ようやく言葉を発した。
「白鳥瑞科……あの小娘の名前か」
 眼窩の中で鬼火のような光を燃やしながら、鎧武者が嘲笑う。
「やめておけ。貴様たちが10人20人いようと、勝てる相手ではない」
「黄色の豚が! 無様な豚の姿を、その鎧で隠しておるのだろうが!」
 武装審問官4人が、一斉に拳銃を抜いた。熊を射殺出来そうな、大型の拳銃だ。
 4つの巨大な銃口が、鎧武者に向けられる。
 銃声が、雷鳴の如く轟いた。
 武装審問官4名は、ことごとく砕け散っていた。
「貴様らの腕……戦国の世では、通用せぬ」
 鎧武者が、いつの間にか銃を手にしている。
 手甲をまとう力強い両手で構えられたそれは、火縄銃にしか見えない。長い火縄が、鎧武者の剛腕に巻き付いている。
 武者の体内に渦巻く禍々しい力が、銃弾として装填され、放たれたのだ。
 一瞬にして護衛を失った神父が、呆然としている。起きながら悪夢を見ている表情だ。
 大型拳銃4丁を火縄銃で圧倒した武者が、嘲笑う。
「知る事は出来た。『でうす』を崇める者たちが、時を経て……どれほど腐敗したものか、をな」
 暗い悦びに満ちた嘲笑である。
「苦しみ、すがる民を救う事は出来ずとも……人の心を、腐らせる事は出来る。それが『でうす』であり『ぜず・きりんと』よ」