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<東京怪談ノベル(シングル)>


瞬く星の上を(4)
 すらりと長く伸びた女の足が、研究員の身体を蹴り飛ばす。襲い来る何人もの敵を倒しながらも、琴美は目的の場所へと向かい疾駆していた。
 そのしなやかな身体を駆使し華麗に走る琴美を狙い、身を隠していた一人の研究員が彼女へと斬りかかる。実験の影響で、その筋力は通常の何倍にも増幅されている。重く、深い一撃。しかし、琴美はその刃を難なくナイフ一本で受け止めてみせた。風が琴美の周囲へと集まる。それは身を守る盾であり、敵を切り裂く鋭い刃でもある。琴美に操られた風が、敵の事を吹き飛ばす。
 実験のせいで感情を失った濁った瞳が、琴美のほうをじっと見つめ返した。ぽかりと空いた口腔の中の暗闇が、恨みの言葉の代わりに血を吐き出す。
「ごめんなさい……。貴方様がたを救う方法は、もうこれしかないのですわ」
 優しき彼女は、悲痛そうに眉をひそめた。けれど、その漆黒の瞳には確かな決意が宿っている。任務を必ず成功させ、この悲劇を終わらせるという決意が。
 敵を倒しながらも、琴美は実験を行っているであろう場所を探す。秘密裏に実験をしているのだから、実験室は目立たない地下にあるのが定席だろう。しかし、琴美が目指す場所は地下ではなく上であった。ロングブーツが階段を叩く音を響かせながら、迷いのない軽快な足取りで彼女は上階へと進んでいく。
 やがて、上に続く階段が途切れた。最上階に辿り着いたのだろうか。しかし、琴美はそのフロアを探そうとはせずに、天井へと向かい風を放つ。風の力で天井の一部が抜けた。そこから顔を覗かせたのは、天井裏でも屋上でもない。隠されていたもう一つのフロアであり、本来の最上階であった。このビルの内装を知った時に、外観と内装に一つのフロア分のズレがある事に琴美は気付いていたのだ。
 風の力を味方につけ跳躍し、彼女は上の階へと上がる。広がっていたのは、広大な空間だ。フロア自体が一つの大きな部屋になっており、数々の実験道具や薬品、実験途中の実験体が並んでいる。そして、その中央には蠢く影。
 そこにいたのは、おぞましい姿をした一体の化物だった。
 巨大な肉塊、と言ってもいい。もぞもぞと蠢いており生きてはいるようだが、目や口等のパーツの正確な位置は分からない。ただ、内臓をひっくり返したかのような気味の悪い色をした肌がどくどくと鼓動に合わせて震えていた。
「思ったよりも早かったわね。侵入者さん」
 不意に、響いたのは少女の声。最初、琴美はその声がどこから聞こえたものなのか分からなかった。けれど、その声の正体に気付いた瞬間に、聡い彼女は全てを理解する。……少女の声を発したのは、今目の前にいるこの化物なのだ、と。
 そして、彼女が今回の黒幕なのだという事に。
 恐らくこの化物は、このに非合法の新薬実験の被害者の一人だ。度重なる実験に耐え切れず、彼女は人の形を保つ事が出来ずにこのような醜い化物の姿になってしまったのだろう。実験体であり、失敗作。本来なら、研究者達には処理され秘密裏に遺棄されていたはずの存在。
 けれど、薬の作用で彼女は常人を遥かに超える頭脳と強靭な体を手に入れていた。人智を超えた頭脳で、彼女は思考を重ねる。自分の不幸を悲しむ気持ちも、自らの家族を恋しく思う感情も彼女には残っていなかった。彼女の胸にあったのは、意地だけだ。
「私は決めたの。この実験を、必ず成功させようって……そうでないと、私がこんな身体になってしまった意味がないでしょう?」
 ふふふ、と不敵な笑い声を肉塊はこぼす。
 恐らく、最初の黒幕は別の人間だったのだろう。例の、琴美が暗殺した男だったのかもしれない。けれど、途中からこの非合法の実験を指揮する者は彼から別の者へと変わっていたのだ。自らの犠牲を無駄にしないために、哀れな失敗作の一人がその頭脳と力で研究員達を自らの配下へと置き製薬会社を掌握したのである。
 あの男があのまま全ての権限を握っていたら、きっと隠れ蓑にしている製薬会社も大きくはならなかったであろうし、今のように狡猾に実験の全てを隠しきる事は出来ずとっくに何らかの裁きを受けていただろう。
「失敗作のおかげで、全てが上手くいっていただなんて……皮肉なものですわね」
 琴美は呆れたように溜息を吐き、挑戦的な視線で黒幕を射抜く。この言葉自体も皮肉であったが、醜くも聡明である化物は僅かに身動ぎはしたものの落ち着いた様子で構えていた。琴美もまた、挑発しながらも冷静に相手の様子を伺う。
「そうね、失敗作が成功作を作る。それってとっても面白い事だわ」
 肉塊は語り始めた。実験の成功はもう目前なのだ、と。ただ、材料が一つ足りないのだという。ただの人間の体では、薬には耐え切れなかった。平凡な容姿の人間は、醜い化物へと変わってしまう。
「だから、貴女のような、強く美しい身体が必要なのよ!」
 叫び声と共に、肉塊が弾けた。化物の体は意思を持った弾丸になり、琴美へと襲いかかる。しかし、その攻撃は琴美には届かない。プリーツスカートが揺れ、ラバースーツに包まれた魅惑的な肢体は宙を舞う。瞬時に後方へと跳び攻撃を避けた彼女は、すでに反撃のためのナイフを放っていた。
 そうして、今宵最後の舞台は幕を開ける。戦場という名の舞台の上で対峙するのは一人の美女と一体の化物。姿や目的は違えど、二人の胸には確かな意地があった。