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<東京怪談ノベル(シングル)>


切支丹天女(5)


 雷の翼が、白鳥瑞科の全身にまとわりついて羽衣となった。
 電光の、防護膜。
 そこへ、銃撃がぶつかって来る。
 禍々しい力そのもので組成された、非物質でありながら物理的破壊をもたらす銃弾。
 それが、咆哮の如き銃声に合わせて、雷の羽衣を直撃する。
 瑞科の身体の周りで、激しい相殺が起こった。
 力の銃弾と、電光の防護膜。その双方が、戦闘シスターの周囲で砕け散る。
 天女の羽衣が、無惨に引きちぎられてゆく様にも似ていた。
 ちぎれた羽衣を脱ぎ捨てながら、しかし天女が猛然と踏み込んで行く。
 ガーターベルトの巻かれた太股が、ムッチリと躍動してプリーツスカートを押しのける。
 左右の細腕が、猛々しく目まぐるしく動いて杖を振るい、打撃を繰り出してゆく。
 先端がケルビムの像となっている杖。そのケルビムが電光を発し、杖全体がまるで1本の稲妻と化したかのようだ。
 叩き付けられて来る稲妻を、鎧武者はことごとく弾き返し、受け流した。大型の火縄銃を、棒術の形に振るってだ。
 重い銃身が、暴風のような唸りを発する。
 速度と重量を兼ね備えた一撃が、ケルビムの杖に叩き付けられて来る。
「くっ……!」
 凄まじい衝撃が、瑞科の両手を襲った。
 杖が、叩き折られていた。
「終わりだな! 『でうす』の牝犬!」
 鎧武者が、至近距離から銃口を向けてくる。そして引き金を引く。
 とっさに、瑞科は防御を念じた。
 電光の羽衣が、戦闘シスターの肢体を包み込んで渦を巻く。
 そこへ、立て続けの銃撃が襲いかかる。
 羽衣のような電磁防護膜が、ちぎれ飛んで消滅した。
 相殺しきれぬ衝撃が、瑞科をよろめかせる。
「くっ……う……ッ!」
 倒れそうになった身体を、瑞科はゆらりと翻した。
 優美な細腕が、折れた杖を放り捨てながら超高速で弧を描く。
 プリーツスカートとニーソックスの間で瑞々しく露出した太股から、閃光が走り出した。
 ガーターベルトに収納されていたナイフが1本、抜き取られると同時に投擲されていた。
 よろめく戦闘シスターに、とどめの銃撃を食らわせようとしていた鎧武者が、火縄銃を構えたまま硬直する。
 異形の面頬と化した、剥き出しの頭蓋骨。その左の眼窩に、電光を帯びたナイフが深々と突き刺さっていた。
 眼球はなく、眼光そのものを鬼火のように燃やす左目。その鬼火が、聖なる電光にバチバチッ! と打ち砕かれて消滅する。
 電光が、涙の如く眼窩から溢れ出し、鎧武者の全身を走り抜けた。
「うぬっ……!」
 蛇のように這い回る電撃光に絡み付かれ、鎧武者が呻く。苦痛と憤怒の呻き。
 この程度で感電死してくれるほど容易い相手ではない。ほんの一時、動きを止めるのが関の山である。
 その一時の間に、瑞科は右手を掲げ、綺麗な指先を凄まじい速度で躍らせていた。
 躍った軌跡が、白く発光する。
 光をインクとして、空中に何かが描き出されていた。
 いくつもの真円、それらを繋ぐ何通りもの小径。
 セフィロトの樹、に似ている。
「あれとは、似て非なるものですわ。これは、宇宙の神秘をより即物的に現出させるための手段……限られた武装審問官のみに教授される、秘術の中の秘術でしてよ」
 空中に現れた光の真円が、輝きを増した。
 それはまさしく、生命の樹の果実を思わせる。
 その激しい輝きと対照を成すものが、鎧武者を捕えていた。
 暗黒、である。
 闇のそのものが、鎧武者を包み込み、押し潰しにかかっている。
「宇宙にはね、様々な力が渦巻いておりますのよ。中でも私たち人間にとって比較的、扱い易いのが……この、重力」
 鎧武者の全身に、亀裂が走った。
 禍々しくも力強い、異形の甲冑姿が、重力の塊に押し潰されてゆく。
 それは、小規模なブラックホールであった。
「宇宙の力に抱かれて、お眠りなさいな……島原・天草の民を思う、その心と共に」
「眠れる……ものか……」
 ひび割れ、砕け、歪み、縮みながら、鎧武者は笑ったようだ。
「私も……そなたも……ふふっ、死んだところで……安らかに眠れはせぬ……」
「……ですわね。私たちの、行く先は同じ」
 渦巻く重力の塊が、鎧武者を押し潰し、呑み込んでゆく。
 かつて日本最大規模の一揆を指導した人物が、暗黒の渦に磨り潰されながら、最後の言葉を呟いた。
「地獄で、会おうぞ……」
 ブラックホールは、鎧武者を圧縮・粉砕・吸引しながら消え失せた。
 セフィロトの樹に似たものも、輝きを失って消滅する。
 だが、消え失せていない者たちもいる。
「きゃあああああああ!」
 悲鳴が上がった。
 武装審問官になったばかりの少女が、じたばたと可愛らしく暴れながら宙に浮いている。
 修道服を剥がされた肢体に、何本もの触手が嫌らしく絡み付いていた。
「動くなよ白鳥瑞科……貴様が僅かでも、我らに対し身の程知らずな行動を取った場合。私は、この可愛い牝豚を捻り潰さねばならなくなる」
 それら触手を生やした怪物が、人ならざる身で人語を発した。
 一応は正式に武装審問官のライセンスを得た男たちの、成れの果て。
 そんな怪物たちが、まだ大量に生き残っていて瑞科を取り囲み、無数の触手を蠢かせている。
「貴方たち……!」
「重ねて言うが動くなよ牝猿……黄色い猿であり豚である貴様を、我らが存分に愛でてやろうと言うのだグフへへへへへ」
 毒虫のような触手の群れが、あらゆる方向から瑞科に迫る。
「許さぬ、許さぬぞぉ劣等民族の小娘があぁ。か、かかカラダじゅうの穴を抉って嬲り殺して」
 怪物の1体が、妄言を吐きながら突然、砕け散った。
 瑞科は、何もしていない。
 ただ、銃声を聞いただけだ。
 銃声だけではない。炎の渦巻く音がゴォッ! と響き、鞘から刃の走り出す音が鋭く鳴り渡る。
 かつて武装審問官であった男たちが、ことごとく焼き殺されて灰に変わり、あるいは切り刻まれて滑らかな断面を晒す。または、銃撃に打ち砕かれる。
 捕えられていた少女が、解放された。絡み付いていた触手が、全て切断されている。
 落下し、尻餅をついて涙ぐむ少女に、瑞科は駆け寄った。そして背後に庇い、ナイフを抜き構える。
 この少女が再び人質に取られるような事が、あってはならない。
 いや、その心配はもはやなかった。
 怪物たちは1体残らず、原型なき肉の残骸と化し、散乱している。
 その凄惨な光景のあちこちに、優美な人影が佇んでいた。
 戦闘的に鍛え込まれた美しい肢体を、凛と武装させた、若い娘たち。
 全員、日本人ではない。だが発せられたのは流暢な日本語だ。
「本部の者どもは屑ばかりと……さぞかし優越感を覚えているのだろうな、ええ? 日本人よ」
「そんな事ありませんわ。このような殿方、日本人にも大勢いらっしゃいますもの」
 日本語で、瑞科は応えた。
 会話は、7ヶ国語で出来る。武装審問官であれば当然、受けている教育だ。
「助かりましたわ。本当に、ありがとう……まさか貴女たちが来て下さるとは」
「あんたなんか助けに来るわけないでしょ! あたしたちは、ただ『教会』の恥晒しどもを始末しただけ!」
 怒声と共に何かが投げつけられ、瑞科の足元に転がった。
 サッカーボールほどの大きさの物体が2つ、滑稽な死に顔を硬直させている。
「本部から送り込まれた神父と、その腰巾着よ。妻も子供もいるから助けてくれとか言ってたから、その首、ご家族に届けてあげようかと思ったけど……めんどいから、やめた。あんたにあげるわ、シスター瑞科」
「では、お墓くらい建ててあげるといたしましょうか」
 腰巾着、と呼ばれた方の男を瑞科は知っている。この日本支部で、前任の神父の補佐をしていた人物だ。
 その前任神父は、瑞科が保護している。復任という事になるのであろうか。
「本部の粛清は済ませてきた。やはり、男どもに『教会』の運営は任せておけぬ」
「……だけどね、日本人が気に入らないってのは私らも同じなんだよ。シスター白鳥瑞科」
 本物、と言うべき武装審問官たちが、口々に言う。
「でも貴女の実績は否定出来ない。否定する事は、許されない」
「本部の腐敗は、もっと許せない! だから私たちは、それを糺しただけ」
「ただ、それだけだ……いい気になるなよ、劣等民族が」
 戦闘シスターたちが1人また1人と、姿を消してゆく。疾風のように、去って行く。
 無言で、瑞科は見送った。かける言葉など、何もない。
 戦っているのは、自分1人だけではない。
 それだけで、瑞科は充分だった。